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●神社の造形―高津宮、その2
志は特にスポーツ選手に求められるものだが、監督の思いを選手がどう汲むかは、双方の思いの通じ合いに深く関係する。



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映像として残る試合で選手があからさまな反則をすることは、そのことのみ取り上げれば、選手に監督を困らせる意図があったのではないかと思わせるほどに、誰の目にも信じられないほどの目立つ行為であったが、とにかく監督と選手との間に信頼関係がなかったことだけは確かだ。とはいえ、選手を180人も抱える状態ではそういうことも起こり得る。それほどに大昔から人間関係は難しく、親子の間でも殺人が起こる。そのためにたとえば目上を敬うという儒教も生まれて来たが、今回のアメフトの事件はその目上の権力が絶対的とされる中で起こった。儒を知らない目上が私利私欲や権力欲にまみれると、数多く抱える目下を軽く扱うことが起こりやすいのであって、儒学そのものには罪はない。その私利私欲はとにかく金が他人よりも多くほしいという、きわめてわかりやすいものであるが、金が関係しないところでも人間は我欲を起こすもので、なかなか始末の悪いものでもある。事件を起こした監督はなかなかの権力者で、そうなりたい欲望があったのだろうが、大多数の庶民はそんな野心はなく、またあっても実現しないことを知っている。それでせいぜい宝くじでも買って億万長者になる夢を見る。大きな権力者になろうとするものは、その闘志をもっとほかのところで燃やすが、私利私欲が過ぎると足元をすくわれる。それに人相が悪くなり、そのことを自覚出来なくなる。さて、松屋町筋を南下して左手奥に樹木が茂る場所が見え、それに引き寄せられるように坂を上って行くと、視界を遮る城壁のような崖に沿って玉垣のすぐ奥に階段がいくつかあり、そのどれを上ればいいのかわからない。筆者は昨日書いた徳力富吉郎の縦長の版画を思い出し、それがどこから見た光景かを即座に悟った。目の前にある高台の壁の北端にも階段があって、しかも太い石碑が見えたからだ。またその前に公園が広がり、自然とそこに吸い寄せられた。上町台地にある公園であるから、広域避難場所と思うが、高津宮はその名のとおり、さらに高台に社があって、上町台地の周囲が海であった大昔からそれなりに神聖な場所とされていたのだろう。ネットで調べると、秀吉が仁徳天皇を主祭神として遷し、摂社としてもともと祀っていた比売古曽神を地主神とした。比売古曽神は記紀には新羅の神とあり、比売古曽神社は高津宮の東方800メートル、JR鶴橋駅からは北東400メートルほどに位置する。今日の3枚目の写真は神輿庫のすぐ東にある比売古曽神社で、北坂を上って最初に目につく社としてこれが位置することはいかにも地主神らしい。
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 高津宮境内の西端は崖になっていて階段が4つもある。昨日の2枚目の写真は北からふたつ目のもので、これは途中で折れ曲がり、夫の妻への離縁状の形に似ているところから、「縁切り坂」と呼ばれるそうだ。この坂を上り下りして密かに離縁を願う者が今もいるのかどうかだが、難波に近く、またすぐ近くにラヴ・ホテルが建ち並ぶだけに、色っぽい「縁切り坂」の呼び名はいかにもと思わせる。その点は3,4番目の階段もで、このふたつは崖に描かれる二等辺三角形となっている。そのふたつの斜辺のどちらを上っても、高台のてっぺんで同じ場所に出る。つまり、ふたつの階段は傘の形に見え、それを相合傘になぞらえて「相合坂」と呼ぶ。それを知って恋する男女はこの坂を二手に分れて上り、高台で出会う遊びをするかもしれない。今日の最初の写真は2番目の坂を上り切ったところにある鳥居と、その南にある絵馬堂を中心に撮ったが、筆者らが境内にいる間、ずっと若い男女が絵馬堂で話し合っていた。大阪市内にこのように緑があって、見晴らしのいい自然の高台はほかになく、デート・スポットとしてはなかなかよい。2枚目の写真は最初の写真の右端に写る海鼠壁の神輿庫で、ガラスの向こうに神輿が見える。神輿庫はまだ新しいようだが、神輿は黒門市場が夏祭りのために奉納した「黒門神輿」ではないだろうか。高津宮と黒門市場はかつて市電が走っていた千日前通りによって南北に隔てられている。交通量がきわめて多い千日前通りは大きな川のような存在で、特に高津宮付近は千日前通りを横切る信号がなく、通りの南と北の地域は一種別世界のように隔絶されている。これがとても残念だが、黒門市場から奉納された神輿が黒門市場から高津宮へと向かうのであれば、交通渋滞をどうするかという大きな問題がある。そのため、神輿は一時巡行が停止されていたそうだ。その黒門市場の寄贈による神輿とすれば、神輿庫が立派であることは納得出来る。また、氏子は黒門市場だけではなく、普通に生活する一般人もいるから、お祭りには小学生も参加するが、高津宮では子どもは特に重要な役割を担う。祭りは正月明けの「とんど祭り」もあって、この「とんど」は、冬の寒い時期に野外で何かを燃やして暖を取る時に筆者も子どもの頃によく使った言葉だが、古い護符などを燃やす行事として京都の寺社でもよく行なわれる。高津宮の本殿のある高台でそれが出来るとは思えないが、焚き火をせずに「とんど祭り」の名前だけが残っているかもしれない。「とんど祭り」では多くの屋台が軒を連ね、富くじが売られもする。写真を撮らなかったが、絵馬堂のすぐ南は木造の建物があり、ヤフーの地図では「富亭カフェ」と記されている。これは「高津の富亭」と呼ばれる「参集殿」で、「とんど祭り」の際には落語が開催される。
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 筆者は落語通ではないが、「高津の富」と題する落語は誰でも一度は聞いたことがあるか、内容を知っていると想像する。この「富」は「宝くじ」のことだ。金持ちを装う貧乏人が、最後に売れ残った富くじをしぶしぶ買わされると、それが千両という最高額を射止めたという内容で、いつの時代も変わらぬ庶民の夢を描く。江戸時代の富くじは神社で売られることが多く、その売り上げから修理費などを捻出した。大坂におけるそうした代表が高津宮であったのだろう。くじの等級を決めるのは邪心のない子どもが担当し、現在の「とんど祭り」でもその伝統が継がれている。筆者の地元の夏祭りでもさまざまな景品が当たるくじが行なわれるが、高津宮の「とんど祭り」では200円か300円程度で番号つきのくじが一般に販売され、その日のうちに当選が決まる。商品は黒門市場その他から協賛として提供されたもので、当たればそのまま持ち帰るが、こうしたくじが人気を大歓迎のうちに持続することは宝くじ人気と同じで、容易に理解出来る。大金が当たるくじは宝くじが代行するようになり、神社はお祭りを通じてせいぜい氏子たちをささやかな射幸心で喜ばせるだけだが、どの神社でも見られる占いくじとは違ってそれなりに豪華な景品が当たるとなると、人間は運というものを改めて信じたくなる。またそれは和気を伴なったもので、人々が団結するお祭りにふさわしく、必須の存在でもある。落語の「高津の富」の「富」の風習を、高津宮が形を変えながらも伝えていることは、上方落語が健在であることとどれほど関係しているのかは知らないが、落語を開催する場所を境内に持ち、また「高津の富」で有名でもあった落語家を顕彰する立派な石碑が本殿近くにあることからは、「笑い」という大阪らしい要素によって人々に記憶されている現実がわかる。その意味で「参集殿」は天満宮の「繁昌亭」を思い起こさせるが、「繁昌亭」は「参集殿」のもっと立派なものを作ろうという考えで生まれたかもしれない。今日の最初の写真と同じ高さの土地は境内の中ではそれほど広くはなく、本殿の前にわずかな空き地以外は建物が占拠している。今日の4枚目の写真が本殿で、筆者の立ち位置の背後はなだらかな下り坂の階段が長く続いている。その参道沿いに祭りの際に屋台が並ぶのだろうが、京都の北野天満宮の縁日を想像した。そう言えば明日の25日はそれがあり、家内もそのことを言ってくれたが、明日は別の場所に行くことを先週から決めている。それはともかく、高津宮で撮った写真はもう3枚ある。ネットで境内案内図を見ると、筆者が撮影しなかった社もあるが、それを撮影するために7月の夏祭りがいいかと思っている。
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by uuuzen | 2018-05-24 23:59 | ●神社の造形
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