臨海工業地帯という言葉を小学生の社会の時間で習ったが、大阪市内に住んでいれば大阪湾辺りとピンと来る。一方、南海トラフの巨大地震があった場合、真っ先にその大阪湾辺りの地域が津波でやられる。

大阪市内にどれほどの津波による被害が出るかを予想したコンピュータ・グラフィックスの映像が機会あるごとにTVで放送されるが、筆者はそれを見るたびに大阪市内に出かけていた際にその地震に遭遇すればどうしたらいいかと考える。大阪湾付近だけではなく、梅田や難波など、筆者がよく出かける地域はどこも津波で浸水する。高層の建物に駆け込むとして、一般人に開放されるのかどうか。嵐山に住んでいると、広域避難場所は嵐山公園であることが決まっていて、もしもの時に行くべき場所がわかっているが、大阪市内では高層の建物も倒壊しないとは限らず、どこへ逃げればいいのかと心配している市民が多いのではないか。何度も書くように筆者は家内と息子を連れて、4月1日と5月3日に大阪市内の北から南へと歩いたが、前者では息子に特に上町台地を示した。そこは大阪が現在の姿になるはるか昔、海に突き出た半島のようであった。つまり、上町台地以外は全部海で、現在の大阪市内は大半が埋め立てによって出来ていて、巨大地震があると津波で上町台地以外はほとんど浸水する。となれば、地震があれば上町台地に駆け上がればいいが、大阪湾近くに住む人は無理だ。そのことを筆者は息子に話さなかったが、大阪市内は東部に南北に細長い上町台地があって、谷町筋やその下を走る地下鉄の谷町線の「谷町」はその上町台地の西の端の谷にだいたい相当することは言った。そして空堀商店街を東から西へと下がって通り抜け、息子はそのことで大阪市内に意外に坂があることを知ったようだ。急な坂のある商店街は海と山が接近した神戸では理解しやすいが、広い大阪市内では意外な存在で、その意味で空堀商店街は一度歩けば忘れない。また、自転車を利用するのは大変だが、4月1日は東から西へと自転車が次々と走って来るのを見かけた。帰りは自転車を押して坂を上って行くのだろうが、坂のない天神橋筋商店街でも自転車で走るのは禁止されているのに、空堀の住民は運転がうまいと高をくくっているのか、閑散としていて人にぶつかる心配がないのか、とにかく気になった。5月3日は空堀商店街の西端の口が見える松屋町筋を歩きながら、息子は即座に空堀商店街に気づいた。上町台地は天王寺以南に続いているので、今度は上町筋を縦断して四天王寺まで行くことを思っているが、それを踏破すると大阪西部の南北に走る大通りを順に踏破する番だが、筆者はなにわ筋から西はほとんど知らず、臨海工業地帯の印象を抱いている。それもあってか、筆者はユニヴァーサル・スタジオ・ジャパンに全く関心がなく、行きたいと思わない。

今日からまた「神社の造形」への投稿が続く。4月1日に続いて5月3日に家族で大阪に出かけた最大の理由は筆者の神社巡りであった。そのことを言うと息子と家内は着いて来ないので、いつものとおり、黙って着いて来ればよいと押し通した。今時そういう態度はあまりに横柄で他人から糾弾されかねないが、運動がてらの散歩であり、また散歩中にいろいろと話すことで家族の和が生まれる。それに筆者としては知っている場所だけを巡るのは嫌で、ブログのネタ集めを兼ねて、まともに行ったことのない場所を中心としたい。また、地下鉄で目的地へまっしぐらも駄目で、街を歩きながら、その空気を吸う。それが最大の目的でもある。さて、息子が筆者のすぐ隣り、家内は10メートルほど遅れて着いて来るという形で歩き続け、松屋町筋を谷町8丁目ほどに差し掛かった時、筆者は首を左に向け続けてこんもりとした樹木の塊を探した。そこに神社があるからだ。予想どおりに100メートルほど東の突き当たりにそれが見えた。それが高津宮であることはすぐにわかった。高津(こうづ)は高津高校でも有名で、筆者は幼ない頃からよく聞いた。だが、その神社に行ってみようと思ったのは2,3年前のことだ。浪速百景といった大阪市内の名所を描いた版画に必ず取り上げられていることを知ったからだが、京都の徳力富吉郎が作った版画が特に素晴らしく、また大阪にこのようないいところがあったのかと思った。それは急な階段が目立つように描かれ、神社の境内がその階段の上にあることを示唆していて、上町台地に建つ神社であることがわかった。だが、そういう神社は生国魂神社が有名で、そこには筆者は昔訪れたこともあるが、高津宮は規模が小さいのか、徳力の版画を見るまで意識に上ったことがなかった。それで5月3日は中之島から南下してまずそこに向かった。いつものように地図でだいたいの場所を確認するだけで、下調べは全くせず、予期せぬ出会いを期待する。それでは必ず見落としがあり、再訪する必要が生じるが、それでもかまわない。目上の人に会う場合はまずいが、ほとんど何も知らない状態で関心の対象に接する方がよい。自分の趣味に関することは、わくわく感を優先すべきだ。今日の最初の写真は松屋町筋から100メートル先の突き当たりまで歩き、高津宮の横っ腹のどこから上ればいいかと一瞬迷いながら、左つまり北に向かって見つけた階段で、それが徳力の版画にあったものと同じであることに気づいた。急な階段を上ってすぐのところで振り返って撮ったのが2枚目で、上って来た階段とは別の階段が写っている。これについては次回に説明する。また、写真の左上に写っている白い車から、どれほどの高台であるかがわかる。3枚目の写真は2枚目の撮影位置から少し南にある鳥居で、西日の角度からだいたいの時刻がわかるだろう。高津宮は「その3」まで予定している。