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●「13 JOURS EN FRANCE」
●「13 JOURS EN FRANCE」_d0053294_18494477.gif「フランスの13日」と直訳出来るこの曲をよくぞ当時の日本の先達は「白い恋人たち」と訳したものだ。甘ったるい感じはあるが、清楚かつロマンティックでよい。



トリノ・オリンピックの開会式ではオノ・ヨーコが白い帽子とセーター姿で出ていたが、それはこの曲のイメージと合う。もしジョン・レノンが生きていたならば、一緒に白の衣服を着たことと思う。トリノ・オリンピックの開会式ではジェネシスが「イマジン」を歌っていたが、同曲はこの「白い恋人たち」からわずか3年後に出た。しかし何とその3年は大きいことか。60年代と70年代はそれほどに開きがある。これをビートルズの存在時代とその後と捉えてもよい。そしてこの曲はまだ前者の時期に収まっていて、そのことが独特の懐かしさを伝えている。ところで、日本で公開された『冬のソナタ』ではこの曲はすべてカットされたが、韓国ではギターを初めとしてさまざまなアレンジで随所に使われた。そのことについては賛否あるが、大体は日本版の方がよいという意見に落ち着いている。だが、オリジナルの韓国版におけるこの曲の使用はさほど悪くはない。むしろ、そこはかとないレトロ感覚を漂わせ、冬の中に宿る春への兆しをほんのりと感じさせて心地よい。この曲が韓国で当時発表された時、どんな韓国のタイトルがつけられたのか知らないが、筆者が考えるに、それは「白い恋人たち」をそのまま韓国語に直訳したものではなかったろうか。そうであってこそ『冬のソナタ』での使用に合点が行くからだ。そして、もしそうだとすれば、「白い恋人たち」というタイトルは本当によく考えついたものだと思う。このような言葉のセンスはその後コピーライターなどというよくわからない横文字の職種が登場してからは、かえって消え去った。映画やレコード会社の担当者や、あるいは解説者、評論家が頭を絞ってどうにかヒットさせようとこうした特別の邦題を当時はよく使っていたが、原題重視の考えが支配的になってからは、こんな勝手はもはや許されなくなった。それで何が起こったかと言えば、横文字そのままの片仮名表記だ。そのため、何のことやらわからない映画や曲名が増えた。それが時流というもので、反旗を翻すとたちまち袋叩きに遇う。これに多少関する話だが、昨夜たまたま筆者の実名を上げて、筆者の文章を「下品」と書き、しかも同じ意見を他者にも求めているブログを見た。表現の自由があるから、どんな誹謗も許されると思っているのだろうが、自分のそんな考えと同じ書き込みを期待する文章行為はそれこそ「下劣」だ。先日書いたように、どんなに間違ったことでも、いや間違ったことであるほど、公然と罵ればそれが真実としてまかり通るのが世の中だ。それは何もヒトラー時代だけには限らない。筆者の文章が仮に下品として、今までに不特定多数の人に向かって自分の意見に同調を求める煽動的な書き方は一度たりともしたことはない。「下品」と書かれて憤慨しているのではない。そんなことを平気で書く人がいて寒々と悲しいのだ。
●「13 JOURS EN FRANCE」_d0053294_2083931.jpg 昔、ドーナツ盤の紙袋中央の丸く開いた穴の下にレコードを買った日づけをよく書いたものだった。手元にあるこの盤を見ると、1969年9月14日とある。18歳になってすぐに買ったわけだ。発売は68年後半だったと思うが、お金に少し余裕が出来て買ったのだった。ビートルズのレコードを買う一方、このようなヒット曲のシングル盤もちょくちょく買っていたが、それらはみんな筆者の重い思い出となっている。昔は映画音楽がけっこうヒットしていて、ロック一辺倒に聴くのではなく、ごく自然にムード音楽も楽しんでいた。それが本当はバランスの取れた音楽の聴き方と思うが、こんなことを書くとまたバランスとは何かなどと、若い人に揚足を取られて嘲笑される。このカテゴリーの「思い出の曲」とは、どんな過去まで遡っていいのかまだ決めかねているが、ひとまずは最低でも20年以上経ったものを扱いたいと思っている。それは単に懐かしがりたいからではない。今の時点で昔の音楽がどう聞こえるか判断し直したいのだ。近年の音楽で当然好きなものはいろいろとあって、たまにはそれらも挟んで書いて行くつもりでいるが、なるべく季節に合わせて、しかも自分が書く気になることが大切であるので、なかなかこのカテゴリーは充実しない。で、この曲は実は去年ブログを始めた当初からすぐにでも取り上げる予定でいたのに、その機会が見つけられなかった。一昨日だったか、またGoogleのロゴがトリノ・オリンピックの開会を記念して新しい特別のデザインに変わった。それを見て、今こそこの曲をと思ったわけだ。68年当時、筆者は映画は見なかった。何年も経ってTVで見た。その後もしばしばこの映画はTVで放送するのでよく知られているはずだが、フランスのグルノーブルでの第10回冬季オリンピックを13日間にわたってドキュメントしたものだ。とにかく見ていて楽しい。競技の失敗シーンもあるし、またどのようにして撮影したのか、速度のあるスキーヤーになった気分で風景を楽しめたりも出来る。ほんの少しだが、グルノーブルに来ていたシルヴィ・バルタンの姿も映ったりする。
 オリンピック映画と言えば、東京オリンピックの記録映画を作った市川昆の作品をすぐに思い出す。この『白い恋人たち』はかなりその映画の影響を受けたのではないだろうか。芸術性をことさら誇張はせずに、もっと気軽な感じに撮影されているが、単純な記録映画にしていない点は市川昆作品に通ずるものがある。『男と女』『パリのめぐり逢い』で当時日本でも大ヒットしていたクロード・ルルーシュ監督が手がけたため、フランスでしか出せない味というものがはっきりとあり、それがフランシス・レイのこの曲と相まって絶大の効果を上げている。どちらか片方が欠けてもヒットはしなかったであろう。この後日本では1972年に札幌で、また1998年には長野で冬季オリンピックが開催されたが、特別に映画が撮影されたという話は聞かない。そう思うとなおさらこの曲が際立って脳裏に蘇る。今では開会式を豪華にすることが加速化し、世界中がTVでリアルタイムに競技を鑑賞出来ることになったため、もはやこうした記録映画の出番はなくなった。それに、競技に失敗している人をわざわざ撮影して見せることはないだろうという人権批判めいた声もあるかもしれない。しかし、画一化、巨大化して行く直前の、まだまだ人間味があったよき60年代のその最後のオリンピックの記録として、この映画は今後も繰り返し鑑賞され、そして音楽も忘れ去られることはないだろう。日本盤には「フランシス・レイの音楽」と題して青木啓の文章がある。往年の軽音楽評論家として青木啓の文章は定評があり、香りが高くてそれこそ「下品」さは微塵もない。少しだけ最後を引用する。「…聖火台に火が点じられたとき、流れ出すワルツ調のテーマの美しい感動。これはやはり勇壮なマーチでは出てこなかったであろう感動だ。映画が終わったとき、あなたはこのワルツ調のメイン・テーマ曲を口づさんでいるにちがいない。そして、この曲を、くり返し聞きたくなることだろう。リリカルなすばらしい画面と音楽。ルルーシュとフランシス・レイのコンビは、ひたと寄り添う男と女、すてきなめぐり逢い、そして理想的な恋人たちなのだ」。この文章の下に放送局のディレクターなど6人の推薦文がある。これは異例のことだ。みな絶賛している。それもあって当時はラジオから頻繁にこの曲が流れた。そしてレコードはたくさん売れて、筆者まで買ったわけだ。
 A面はオーケストラ、B面はコーラスになっていて、A面が20秒ほど長い。オーケストラとはいえ、男女のスキャットが大きく明瞭に入っている。最初はエレクトリック・ピアノとギターがメロディを奏でるが、やがて弦楽器中心の演奏になる。このコロコロとしたエレクトリック・ピアノの音色は『パリのめぐり逢い』でも特徴的に使用されていたが、当時としては最先端の音色で、その絶妙の使い方がよかった。これがもしハモンドオルガンでは感じが全然異なったはずだ。B面ではさらにこのエレクトリック・ピアノが活躍し、男女の歌声の次に大きな音色で始終鳴り続ける。歌詞はジャケットに訳してあるが、「グルノーブルの13日 フランスはお祭り ごった返しの情熱に てんてこまい 流れる時間」というように続く。最後のヴァースには、「だが 13日の日々 フランスの白い恋人は 片時も忘れない…」とあって、実は「白い恋人」という邦題がこの歌詞から取られていることを示唆する。しかし、原語が載せられていないので確認が出来ない。メロディはさきほど奏でてみたが、A、B面とも同じキーで、最後に4度上がって主題が演奏される点も同じだ。ほとんど白い鍵盤だけで演奏出来るが、途中でわずかに黒鍵も3つ叩く必要がある。調性はAマイナーとしてよいが、一部主音をEとみなせるようなところもあって、フリギア旋法と考えてもよい。これにさらに前述のように転調があって、単純な主題の繰り返しながら、かなり色合いの変化が生じている。男女のコーラスを用いることは60年代では珍しくないどころか、とても例が多った。A、Bを同じメロディの別アレンジで聞かせるところがなかなか心憎い。これはビートルズでも当時同じことをしていたが、70年代以降はもっとおおっぴらに行なわれるようになる。さて、『冬のソナタ』は真冬から次第に春めいた日差しの日に以降してドラマが進んだが、それはドラマを見る誰しもが春を待つ独特の思いをよく知っているために、ドラマの内容を春を自然かつ期待を持って受け入れるのと同じように、ごく当然のこととして受容することを助ける。今はまだ2月だが、山の木々は遠目に見てもうっすらとピンクがかっていて、春の息吹を抱え込んでいることがはっきりとわかる。それと同じものが『冬のソナタ』には巧みに仕組まれていた。そしてこの「白い恋人たち」の音楽にも筆者は似たものを感じる。寒い冬はいやだが、その冬の中に春を感じることは他に代えようのない趣を宿す。そしてそういう感情を人間はよく歌にして表現して来た。「雪の降る町を」はその代表と言ってよい。先日、自転車でみぞれが降りし切る中を30分ほど走った時、ハンドルを握る指がガチガチに冷たいにもかかわらず、思わず笑顔になった。楽しかったのだ。そして「雪の降る町を」を口ずさみ、涙が出そうになった。もうこの寒さは後少しですっかり消えてなくなるはずで、そうなればそうなったでまた寒さも恋しいものだ。そんなことを感じたのだ。思い返せば、18歳の頃、筆者は冬のただ中にいたように思える。いずれ春がやって来るだろうとかすかな期待はあったが、春は短く、そして気がつきにくい。今では若い人から「下品」と言われるおっさんになってしまった。だが、若い人よ、おっさんにも若い頃があったし、今も若い時と何ら変わらない思いは持っているつもりだ。どこか春が遠くに少しちらちらと見えているこの2月は、2月でしかない空気が確かにあって、1日ずつがとても愛しい。そしてそんなまだ寒い2月にこの曲を聴く。来年もその次の年もずっと老いても思い出し、そして聴くだろう。それは18歳の若い頃を懐かしく思い出すためではない。老いても白いままの気持ちはあるし、そんな心の中によく知っているメロディを奏でてみたいのだ。
by uuuzen | 2006-02-12 18:53 | ●思い出の曲、重いでっ♪
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