糸口を見つけるためにつごうがいいのかどうか。これまで何度も書いたが、筆者のブログは冒頭の文字が決まっている。ブログを始めた頃はそれを大文字にしていなかったが、やがて紺色太文字にした。
そして、もう使える文字がないと思った時にオレンジ色で紺色の文字順を繰り返すことにした。紺色とオレンジ色とで、同じ言葉を使う可能性がどれほどかが多少気になっているが、いちいち過去の投稿を調べて比較する暇はない。今日は「糸」にまつわる言葉を捜せばよいが、これは冒頭の一字を気にせずに書くことに比べると多少頭を使う必要もあるが、その考えることは大事で、工夫につながる。冒頭の一字を気にせずに投稿を続けると、語彙の少ない筆者は1000回の投稿で100種類ほどの文字しか使わないだろう。それはそれで個性と思えばいいが、せっかく投稿するからにはこだわりがほしい。冒頭の一字が決まっていると、それは音楽の調性のように作用し、こうして書き連ねることはその一字に多少引っ張られる。時にそのようなことと全く関係のない文章を書いてしまい、また落ちらしきものも見つけられないが、それはそれで仕方がないと諦めている。話の糸口をどうしようかと考えて今日は「糸口」という言葉を思い出したが、筆者はよく糸で縫う作業をする。そして糸をよく絡み合わせてしまうが、それを根気よくほぐことは苦手で、たいていは絡まった箇所を鋏で切る。それは「それはさておき」という表現で話題を変えることに似ている。その表現を筆者は投稿のたびに使っているが、やはり語彙が少ない。それはさておき、大阪天満宮の写真は6枚残っている。今日と明日、3枚ずつの写真では内容の区切りが悪いので、今日は2枚とする。これは境内の南西で撮った。最初の写真は蛭子門を入ってすぐ右手の新しい「老松神社」だ。蛭子門の右手は2枚目の写真で、左が「老松社紅梅殿」、右が「白太夫社」だが、「大将軍社」と同じように少し高いところに祠があり、近寄り難い印象がある。「老松神社」はその名前から老松を祀る神社であろうが、大阪市のホームページで「北区」のページにはこの新しい祠を「老松神社跡」と表示している。そして『神功皇后が風波を避けて無事上陸したという巨松が起源で、現在は天満宮に合祀』とあるが、補足すると貞観2年(860)の建立を平成2年に天満宮境内に移したものだ。28年経ったが、まだとても新しい。一方の「老松紅梅殿」はかなり古いようで、「老松」つながりで「老松神社」をそばに持って来たのではないか。梅は菅原道真の象徴で、「紅梅殿」は京都にあった道真の邸宅だが、道真は松も好んだようで、世阿弥が作った「老松」は道真の霊が現われるめでたい能の演目だ。それで、2枚目の写真からは、「白太夫社」の祠は少し低く、添え物という印象があるが、白太夫は道真の死後もその霊を守った農民とされる。調べたことでいろいろと糸口を得た。