青年の顔を老人にすることは、その反対よりも簡単だ。映画の世界では70年代の『猿の惑星』から特殊メイクが盛んになり始めたが、最近話題になった映画で、チャーチル首相をアメリカの俳優を演じるに当たって、本人とはほとんどわからないほどのメイクを施された。

またコンピュータ・グラフィックや整形手術によって、顔を作り変える方法は頂点に達している。女性の場合は特に顔の皺やたるみの除去を切望し、2、30歳ほど若く見せる手術を繰り返す女優やタレントがいるが、それはもう仮面と言ってよい。だが、人間の顔は次々に表情を変えるから、多くの仮面を持っていると考えることも出来る。その表情を役柄に合わせて真実味を感じさせるのが名優ということだが、大勢の観客を前にすれば顔の表情のだけの演技では物足りない。演技はセリフも含めて全身で表現されるものだ。そして、俳優の顔の表情を読み取るにはなるべく間近で見る必要があるから、大勢の客を前にする時は化粧して顔を印象づけることが行なわれる。いっそのこと仮面を被って役柄の本質をわかりやすくすることもある。演目が儀式に伴なうものとなって固定化すれば、セリフや身振り、仮面、衣裳などもそうなるが、そうした様式化は洗練の果てに生じる。また様式化は変化を求めにくくなって、衰退に向かいがちだ。
節分に松尾大社で石見神楽を見たが、その歴史は以外に浅いにもかかわらず、多くの団体はおそらくどこも「八岐大蛇」を最大の、つまり観客が最も喜ぶ演目として用意している。しかもその主人公としての、文字どおりの蛇腹の仕組みで作られた八岐大蛇は、いくつかの異なった型があるのでもなく、どこも同じものに見える。これはごく短期に完成の域に達したことを意味し、今後どう変化するのか、また変化のしようがあるのかと考えさせる。石見神楽も多くの仮面や衣裳を用いるが、それらは舞台映えするような派手で大振りなものだ。その奏楽とともに、能や狂言とは比較にならないほどに動的で、現代人の嗜好に合っているように思える。能を楽しむにはある程度の演目に対する予備知識が必要で、現在では娯楽を享受する人からすればかなり敷居の高いものになっている。見所がわからないからだが、それは流行から隔絶されたところで生き延びて来ている芸能に特徴的なことで、関心を持って接近しなければ心に反応してくれない。その点、石見神楽は心躍る奏楽のリズムが絶えず鳴り響き、筋立ての意味がわからなくても、つまり外国人でも楽しめる。だが、能の立場からは、それは下等なものと映るのではないか。そこには伝統の長さの違い意外に、京都で洗練のきわみに達した能と、石見という鄙びた地域との差もある。
3日前まで新熊野神社について何回か投稿した。そして足利義満がその神社で観阿弥とその息子の世阿弥の演じた猿楽を鑑賞し、その後観阿弥父子が率いる一座は支配者層に支持され、能を大成させる。能に対する知識のない人でも「観世流」という言葉は耳にしたことがあるはずで、観阿弥没後600年ほど後の現在までその流派が続いている。京都岡崎に観世会館があって、筆者は昔から4,5回は訪れて能を鑑賞しているが、それでも能に深く関心を抱けないでいる。その最大の理由は、能が無言劇ではなく、謡曲の文言を逐一現代語訳で読もうという気になれないからだ。また石見神楽のようにただ感じ取ればよいと言い切ることが不遜に思える。また、謡曲の内容が把握出来たとして、普遍性を感じ取るにはその内容にまつわる古い歴史をある程度知る必要がある。同じ古典芸能の歌舞伎は、新作によって外国人を含めた新しいファンを獲得する努力をしているし、新作を許容する大衆性も持ち合わせているが、能は足利時代からして権力者が賛美するものという、特権階級向きの閉鎖性がある。それは歌舞伎とは違って仮面を用い、また衣裳の形や模様も決まっているからで、そうした決まりを覚えれば、見所がわかるものと言えるが、決まりことがあまりに多い。足利時代や秀吉の時代ではそのようには思われなかったのだろう。能は時代が生んだもので、その時代が大きく変わったのに昔のまま演じれば、理解者が少なくて当然と言える。だが、支配者階級の楽しみであったならば、現在もごく一部の人が鑑賞すればよい。芸術とは本来そのようなものだ。能を芸術と言うのであれば、歌舞伎や石見神楽は芸能に相当するだろう。もっとも、歌舞伎ファンが歌舞伎を芸術と思っても何ら差し支えない。芸能が長い歴史を経て芸術になるのであれば、歌舞伎も芸術的側面がある。能も元は芸能で、それは観阿弥と世阿弥によって型が確立され、芸術の道を歩み始めた。「能楽」と言うようになったのは明治からで、それまでは「猿楽」と呼ばれ、平安時代は「田楽」とともに大流行していた。「猿楽」は奈良時代に大陸から伝わった「散楽」のひとつで、猿が主役の猿回しのようなものであった。「散楽」は軽業や漫才、人形使いなど現代のあらゆる見世物を含み、笑いを伴なった雑技であったが、平安時代後期に仮面を使う新たな「猿楽」が生まれる。その仮面は猿の顔を模倣したもので、やがて同じく顔の皺が多い翁の顔を模した「尉」に変化する。これには朝鮮半島の同様の仮面からの影響もあるだろう。「尉」は「鬼」の仮面ととともに、寺社の行事への奉納芸に使われていたが、観阿弥は「尉」は継承したものの、「鬼」は改変し、新たに「女」「男」「霊」など多くの仮面を作り出した。これが現在能で知られる種々の仮面となっている。
さて、先月9日にMIHO MUSEUMで本展を見た。Mさんを初め、誘った人はみな用事があって、筆者ひとりで出かけた。展示替えを含めて350点の面を集めたもので、その空前の規模に圧倒されたが、副題にあるように大和、近江、白山に伝わる仮面を中心としている。その理由は大和が観阿弥父子の出身地、近江は猿楽が盛んであったこと、白山の周辺地域には寺社で古くから仮面が受け継がれて来ているからだが、350点はあまりに膨大だ。切り口が多い内容で、一度見ただけではほとんど理解出来ない。それは最初に書いたように、能に対する知識不足にもよるが、猿楽ないし能の仮面は、仮面としての造形を味わうにはいいが、元の猿楽、能の全体像はほとんどわからないからだ。能はまだしも、猿楽となればどのような衣裳を用いたか、どのような所作であったかなど、文字でしか伝わらないことが多い。つまり、本展は猿楽や能の本質を知るためのものではなく、彫刻の造形作品としての仮面を楽しむものだ。それでもその関心から能そのものの魅力に分け入ることは出来るし、350点も見れば、地域差や時代差もわかってそこから猿楽や能の多様性に思いを馳せられる。そう思う一方でたとえば本展は奈良時代の伎楽面から展示され、伎楽と猿楽のつながりや断絶がどうであるかの疑問を抱えることになり、やはり切り口の多さに呆然とする。その切り口のひとつには、社寺の行事として演じられた猿楽であれば、その信仰の側面がどのように仮面に反映しているかという関心もある。話が少し変わるが、10数年前、京都造形大学の春秋座で、野村万之丞の仮面楽劇を見た。正倉院の伎楽面を使った新作だが、観阿弥父子が大成させた能や狂言以前の仮面劇に回帰しようとしたものだ。その思い、考えはわからないでもない。無駄がない形として完成され、新作を受け入れない能をそのまま伝えるだけではやがて衰退に向かうだろう。そこで日本の猿楽の源流をたどり、そこから新たな仮面劇が創出出来ないか。大陸から受け継いだとはいえ、日本には参考すべき遺産が豊富にある。その意味で、たとえば本展は伎楽面、舞楽面を展示しながらそれと猿楽の仮面との関係には触れない。伎楽はどのようなものであったかほとんどわからないのでそれも仕方がなく、また不明なことが多いので野村万之丞の試みもあった。舞楽は宮廷や寺院の国家的行事に演じられ、現在は雅楽として伝わり、それに携わる若手集団はそれなりに育っている。本展の切り口の多さとしては、狂言の仮面がある。能とセットになっている狂言は仮面をつけないが、壬生狂言では仮面がある。そういた狂言の多様性は雑多な印象を与えるが、それと能との関係が筆者にはよくわからない。
いつの時代のどの国においても娯楽は必要で、猿楽は寺社の行事にも出番があって、権力者の庇護を受けやすかった。観阿弥はその稀な才能にもよるが、足利義満の目にかなったところが後の一座の基盤作りに大きく貢献した。そして権力者に気に入られると、勢力を増し、他の同じような集団を駆逐するし、また同じ家柄は派閥も分かれて行くだろう。能には観世流以外にいくつかの流派があるが、流派による差がわかるようになるにはどれほどの能を鑑賞する必要があるだろう。350点の仮面を前にしておののく筆者にはそれは途方もないことだ。それでもっぱら図録をぱらぱらめくりながら、あるいは展示を見て気になった仮面を反芻する。造形的にとても意外なものが少数混じっていて、それらが型として後世に伝わらなかったことを思う。つまり、雑多で種類が豊富なものの中から、洗練されたものだけが型として残り、それが繰り返し模倣されながら、ごく細部に作り手の個性が反映するようになった。そうした微細な差を味わう楽しみは、袋小路にたとえてよい。それで一気にそこを脱出する考えが全く別のところから発生する。そうした変革、革命は大半は歴史に残らないかもしれないが、観阿弥父子のように偉大な才能は時流に合わせて普遍的なものに昇華させるだろう。本展の内覧会ではいつもの玄関ホールに低い舞台が設えられ、そこで能の「高砂」が上演された。その仕舞いだけは下の妹が昔結婚する時に妹の同級生が演じてくれたが、正式の能としては筆者は初めて見た。紋付袴姿の謡いの数人は見事は低音でホール内に声を響きわたらせ、「尉」の仮面をつけ、きらびやかな衣裳を着た男性は、それに合わせて晴れ晴れと舞った。そして退場する時は腰を落としたままで、その身振りに能の型の凄味を感じた。ホールの背後は大きなガラスでその向こうに松が1本斜めに生えている。それが能舞台の鏡板の現実版であることを初めて知った。本展はこの美術館としてもぜひ開催したかったものなのだろう。幽玄という言葉は能を形容する際によく使われるが、その意味を把握するには実際の能を見るしかないだろう。あるいは能の実演を何度も鑑賞する過程で、能面を見ただけで幽玄の境地に達するかもしれない。能面は見方によっていろんな表情に変化する。顔の整形手術を繰り返す女優は、仮面のような固定した、しかも美しい表情を求めているが、それは自分の顔を唯一無二の永遠の「型」と同一視したいからだ。顔が売り物であり、仮面と同化することを密かに望んでいる。だが、顔の筋肉の動きが乏しくなってどこか薄気味悪い。能面に対してもそのように思う人は多いが、能面は美しさを皮相的に捉えたものではない。能の世界は美しさやはかなさ、めでたさや恨み、あらゆる人間の思いをひっくるめての味わい深さを内蔵する。