駅から遠いところに住む人は自家用車を持っているのが普通だろう。駅が近くにあってもバスや電車にほとんど乗ったことのない人もいるが、そう言えば妹がそうだ。
夫婦ともにこの40年、市バスに乗ったのは一度程度のはずで、どこへ行くにも車だ。妹の友人の女性も金持ちで、京都から夫の実家の高槻に行くのにいつも車で、それを子どもが嫌がったという話を聞いたことがある。それでごくたまに電車で行くと、息子は大喜びしたそうだが、その息子が30半ばになった今、電車に頻繁に乗っているのかどうか。車を乗り回すと行動範囲が広がり、見聞が増す分、賢くもなるかもしれないが、車で見逃すことが徒歩で得られることがあり、筆者は車をほしいと思ったことはない。家内の最大の不満はそれで、筆者の運転で各地を旅することが夢のようだ。今でもそのことをたまに筆者に言う。家内の姉が大の車好きで、名神高速道路が出来た頃から家内は姉の車で高槻から大阪の百貨店に何度も通ったそうで、その思い出があるので車での移動が好きなようだ。ならば家内が免許を取ればいい。それを言うと、60を超えたのでもういいと諦めの境地だ。それで筆者と出かける時は自転車か徒歩、電車かバスで、タクシーにほとんど乗ったことがない。筆者は毎日運動不足なので、たまにたくさん歩くことにしていて、またそのことが好きだ。家内はただついて来るだけでいつも疲れ切ってしまうので、内心は腹立たしいだろうが、やはり諦めの境地だ。人生には諦めも必要で、諦めれば気が楽でもある。それが我慢出来ない場合は熟年離婚となる。「風風の湯」で家内が最近話すようになった同じ年頃の女性は2,3年前に離婚し、わが家の近くでひとりで住んでいるが、家内が筆者への不満を話題にすると、その女性は、「夫はいるだけでもありがたいと思った方がいいよ」と言ったという。そう思えない人が離婚するが、離婚にも種々の理由があることがその女性からわかる。さて、筆者が出かける時は目的がいくつかある。誰でもそうだろう。生きていても目的のない人があるのかどうか知らないが、筆者は目的が常に湧いて来る。それを果たせば時にはそれについてこうして書く。書く行為は仕事と同じく、家の中でじっと座ってのことで、すこぶる健康に悪い。それでまた外出する用事を作る。それにはたいてい家内が一緒だ。家内の用事や目的に筆者が同行するのはスーパーへの買い物程度で、夏場以外はほとんど歩くことにしているが、家から歩いて片道30分はかかるので、だんだんとそれが辛くなって来る暗い将来を家内は予想する。スーパーのすぐ近くに転居するのがいいが、そのスーパーがなくなることもあり得る。その点、神社は変わらぬ姿のままで、その近くに住むことは気分が落ち着くだろう。筆者と家内が最初に暮らしたのは梅宮大社の境内が見えるところで、その付近であれば人口が多く、スーパーがなくなることもない。ただし、松尾駅まで徒歩10分ほどかかる。何から何まで便利という住居はない。何かを諦めるのが人生だ。
大阪天満宮の境内案内図には駐車場が記されない。境内の近くにそれがあるのかどうか知らないが、地下鉄の駅がすぐ近くにあるので、車では来るなという考えか。京都でもこの駐車場が大きな問題となる。二条城の正門近くの樹木がある土地を駐車場にするという計画が発表された時、市民が反対した。下鴨神社の境内の一部をマンションにする案が出た時もそうだ。先日書いたように、新築の家には庭はないが駐車場が必ずあることに象徴されるように、現在は新しい家と駐車場のために寺社の土地ですら占領される。これは信仰心の減少と、金を持つ者が力を持つ資本主義による。そのため、境内の大きさで寺社の力もわかると言ってよい。力つまり金が乏しければ境内の一部を切り売りするか、経営のために誰かに貸す必要がある。そういう金を仲立ちとした関係は人間関係でもあるから、悪いことばかりとは言えない。むしろ寺や神社は現代人と深く関係を持つべきで、それには金の話は無視出来るはずがない。ただし、寺や神社の建物が立派であるのはいいが、その中心にあって運営する人が豪華な暮らしでは庶民はあまりいい顔をしない。先日尾道水道を泳いで渡り、広島で逮捕された男のニュースがあったが、男が隠れていた向島のとある神社の荒れた様子がTVで映った。空き家が多くなって神社の参拝客も激減したためだろうが、人が寄らなければ金も集まらず、荒れ放題となる。これは神社に限らない。そのため、神社が今後も同様の状態で存続すると考えるのは楽観的過ぎるだろうが、大阪の天満宮級の有名な神社では心配は無用だ。昨日の
「その4」で触れた内藤湖南は秋田の生まれだが、東北と畿内とでは歴史が倍ほども違い、神社についても畿内には日本を代表するものがたくさんあると書いている。それで京都に骨を埋めたが、筆者もそうなるはずで、あまりに遅くはあるが、畿内の代表的神社にはみな訪れたいと思うようになっている。神社は人生が10回あっても全部訪れることが出来ないほどの数があるので、代表的なものだけでもと考えるのはもっともなことだ。またそれでいいとも言える。その意味で京都に住んでいるのは便利だが、駅中心でしかも日帰りの行動の計画を立てる筆者には、たとえば熊野三山のように車でなければとても不便なところがある。本題に入ると、今日の最初の写真は「その4」の最初の写真の左端を東向きに撮ったものだ。この社に参拝している男性がいたので、まず「その4」の4枚の写真を撮り、また西に戻り、その男性が移動するまで待って撮った。この社は「住吉社」だと思う。2枚の扉は西を向き、金地に琳派風の松が描かれている。それが住吉詣を描く絵に出て来るものに似ている。また、住吉大社の3つの本宮はどれも西を向いているから、それに倣ったものではないだろうか。
今日の2枚目からは境内の西北に移動して撮った。2枚目はよくある神社の長屋で、写真の左に写っているように鳥居の横で若い男が寝そべっていた。筆者はその男の前を横切り、鳥居の正面に立ったが、カメラをかまえた時、男と目が合い、男はばつが悪そうに起き上がった。不謹慎な態度であると思われたと感じたのだろう。桜満開の4月1日で、うとうとしたくなる気持ちがわからないでもない。それに長い建物なので、それと相似形の横になろうと思ったのかもしれない。この建物は十二社で、十二の神様を祀る。これほど横長の社は珍しい。個々の神を祀る面積がないので、まとめたのだろうが、筆者はこういう長屋は嫌いではない。同じ大きさで横並びになっているのは仲のよいことの反映だ。WIKIPEDIAによると、 吉備聖霊、早良親王、藤夫人、伊予親王、火雷神、火産霊神、埴山比売神、天吉葛神、川菜神、藤原廣満霊、橘逸勢霊、文太夫霊を祀るが、これら十二神は時代が下がる順に増えて来たのだろう。とすれば今後も増える可能性があり、また減ることはないに違いない。3枚目の写真は
「その2」で触れた「大将軍社」だ。これは菅原道真が大宰府に向かう途中で詣でたもので、その頃はもっと北にあった。ともかく、現在の天満宮の大本としてよい神社で、境内の北西にあるべきものだ。玉垣に点在する幟旗に「白米稲荷大明神」の文字が染め抜かれている理由はわからない。また5段ほどの階段は比較的新しそうで、社正面に向かって少し斜めについている。その特徴がこの社を記憶に残りやすいものとしている。また現地に立つと、階段の向きがお参りしやすいようになっていることに気づく。もうひとつの理由は階段のすぐ両側に大きな木があって、それを移動しないことには社正面に向かって階段を設置することが困難であったからではないか。4枚目の写真は「大将軍社」の西隣りにせせこましく建っている「神明社」で、鳥居を真正面から撮影すると樹木が遮る。樹齢は50年ほどと思うが、神木ということで切ることが出来ないのだろう。無計画に木を植えたのか、あるいは植えた後で「神明社」を造ったかもしれない。写真左端に少しだけ写っているのは「蛭子遷殿」だ。これは蛭子大神を祀る。多角経営のような天満宮で、1月の「ゑべっさん」の時期にお参りしてもらおうとの考えだろう。ならば蛭子像がほしいが、それは境内南西の蛭子門を出てすぐ西側に石造があって、よく目立つ。典型的な鯛と釣竿を持つ像で、まだ新しいものに見える。蛭子門から境内に入れば、突き当たりの少し左に「蛭子遷殿」があるが、「大将軍社」の陰になっていて目立たない。それに鳥居もなく、筆者は気づかずに写真を正面から撮らなかった。