「
ぼんくら」は差別用語なのかどうか、今はあまり聞かない。「ぼっとしてお前はぼんくらか?」と筆者は子どもの頃に何度か言われたような気がする。
経済的に貧しかった筆者は、幼稚園や保育園に行かされず、さりとて家ですることもなく、終日ぼっとして小学生になるまで過ごした。今から思えばそれが却ってよかったように思う。幼児期から多忙であれば、いつゆっくりと物事を考えるのだろう。筆者は幼児教育に反対だ。人によりけりとの意見があるが、子どもの頃はぼっとしている時間を多く持つ方が、想像力が身につくと思っている。4、5歳頃の筆者は風が吹くとよろよろするような頼りない子どもに見えたそうで、そのことを大人になってもしばしば筆者に言う親類がいる。だが、筆者とは反対に親から天才ではないかと期待されたのに、あまりにすばしっこく、家の近所で道に走り出て車に轢かれて死んだ従弟がいる。4歳や5歳で自分の子を天才だと嬉しがって吹聴するのは、当時の筆者でもみっともないと思ったが、親はそれほどに子どもに期待をかける。そしてたいていは凡人になる。あまりに頼りなさそうに見えた幼児期の筆者は、実際とても怖がりであった。小学生になってもお岩さんの幽霊が出る時代劇などは正視出来ず、そのことを面白がった従姉さんたちは筆者を面白がって押さえつけながら、怖い絵が出て来る漫画を無理に見せた。今でも恐怖映画は見るのは嫌で、怖がりの性格はそのままだ。だが、怖がらない者は「ぼんくら」だろう。賢ければ危険を察知する能力に長けているもので、不安を与えるものに接近しない。「君子危うきに近寄らず」という言葉を小学生の高学年で聞いた覚えがあるが、そのとおりだと思った。つまり、危険を察知してそれにあえて接近しないことは賢いことだ。これを臆病と言う大人もいるが、進んで危険なことに身を晒して死ぬより、臆病の方がいいに決まっている。そんなこともわからない者が自らの過ちで早死にする。また、危険に近寄らない性格であるとして、どんなことに対しても臆病とは限らない。筆者は無鉄砲なことをする同級生が意外なところで臆病であることに何度も遭遇した。結局彼らは本当の「ぼんくら」で、威勢がいいように見えて、本質は臆病そのものであった。勇気の見せ方がわかっておらず、それで虚勢を張る。「勇」には「男」が入っていて、「勇ましい」は男だけに備わっていると今時言えば、男尊女卑と吊るし上げられるが、男の名前に「勇」は使っても女の場合にはあり得ない。それで、「勇気」つまり「こわがらない気持ち」を持つ男を格好いいと言うが、勇ましい男の行動に人徳が常に伴なうとは限らない。そのことを知らない凡人が多過ぎる。徳を具えると自然と勇気は身につく。
先月の初め頃のことか、アマゾンで「ZAPPA」を検索すると、今日取り上げるDVDが最初のページに表示された。格安で売られていたので注文したが、届いたまま放置して見なかった。そんなDVDが3枚あって、今日は帰って来た息子がスマホでゲームばかりしているので、思い切って本作を開封し、プレーヤーにセットした。すると、息子もつられて見始めた。DVDにはライザ・ミネリが登場する編も収録されているが、今日は前半のザッパ登場の作品を見た。1時間に少し足りない長さで、また1984年の製作であるのでデジタル時代のような鮮明な画質ではない。それどころか、多少ぶれがあって、家庭用のVHSの3倍速度で録画したような画質だ。それが気になったが、見始めると集中する。筆者は昔この作品をどこかで見たはずで、今調べると、
10年前に京都みなみ会館で見た。ブログに書いたその感想を全く読み返さずにこれを書いている。10年前の封切り映画では、『クリストファー・リーとフランク・ザッパのこわがることをおぼえようと旅に出た男』というように、ザッパの名前がクリストファー・リーの後にあった。これはザッパがチョイ役のせむし男を演じるのであるから内容にかなっている。今や日本ではザッパの方がドラキュラなど怪奇映画で有名なクリストファー・リーよりも有名と思われたのか、DVDの邦題ではザッパの名前が先になっている。ザッパはモンスター映画のファンであったので、このTV映画への出演の打診があった時は喜んで引き受けたであろう。物語の場所はトランシルヴァニアとされ、せむし男以外にその点でもザッパには縁がある。またセリフがないのでボロを出さずに済んだが、身振り手振りで下男役をそれなりにうまく演じている。DVDのジャケット上端に「ホラー・コミック」とあって、ホラーの側面をクリストファー・リー、コミックの側面をザッパが担当したと言える。ザッパ・ファンが期待するほどの内容ではないが、1984年という年度は興味深い。何月の撮影か調べていないが、この年のザッパは南イタリアのカプリ島にTV番組出演を兼ねて出かけていて、メディアへの露出に乗り気であったようだ。作品の内容を簡単に書く。「ぞっとする」ことの意味がわからない若者マーティンが父と兄から呆れられて家を追い出される。彼は10マイル離れた村で1枚の貼紙に出会い、恐怖の城に3日滞在すると城主になれるうえ、姫と結婚することも出来ることを知る。城主は広い城の暖房費が惜しいほどに経済的に困窮していて宿屋で住んでいるが、恐怖体験の挑戦者が脱落するたびにその所持金をせしめている。城主の娘の好意もあって、マーティンは3日を「ぞっとする」ことなく過ごし、契約どおりに城主になって姫と結婚するが、その際の姫の媚びに初めて「ぞっとする」。そして姫とともに王座に着く生活が始まり、姫が退屈を覚えると、マーティンは今度はその正体を探る旅に出るという落ちだ。原作のグリム童話は少し内容が違うが、中世でも「ぼんくら」がいたということだ。