恒星として人はひとまず太陽しか知らないが、人を構成する細胞の原子は光を発している。それは太陽を真似たのだろう。
その一方、同じ場所で動かない太陽と違って人は迷い、さまよう存在だ。それは惑星のようなものだが、主体的に動く人はやはり太陽にたとえてよい。太陽のような人としてたいていの人は有名芸能人を思い、それに群がるファンは小さな惑星を自覚している。だが、その惑星も誰かに惚れられると、その誰かにとっては恒星の太陽となる。さて今日は大阪に出て、まずタワー・レコードに向かった。今日は「レコード店の日」で、ザッパの『ランピィ・グレイヴィ』のキャピトル・オリジナル盤が発売されたはずだ。だが、店員に案内されたそのコーナーにはなかった。売り切れたのか、入荷していないのか。京都の河原町に出た時にまた探そう。今日の話題に移る。数日前にザッパ・ファンの大平さんから、お兄さんの啓吾さんの個展案内はがきが届いた。
今年の正月に書いたが、大平さんのお兄さんが亡くなり、その遺作展だ。本職は写真家であったので、はがきにある怪獣の着ぐるみ以外に作品としての写真も展示されると思うが、実際はわからない。はがきの表面に小さな地図が印刷され、
JR国分寺駅南方のスロー・ギャラリーが会場とある。会期は5月4日から9日までの午前11時半から午後6時までで、7日が休み、入場無料だ。国分寺に筆者は行ったことがない。ゴールデン・ウィークで旅行には最適の季節だが、東京に行くならいくつかの用事を作りたい。それが今からでは思いつくものがない。またその期間は妹が旅行して母の面倒を見られないので、筆者は母の家を覗く必要がある。息子も休みなので、一緒に行くことになる。それはともかく、大平さんと兄さんとではどれほど年齢が違うのだろう。訊いたかもしれないが、忘れた。最近の大平さんのメールにこの個展のことが書かれていて、筆者は兄弟愛がうらやましく、そのことを返事に書いた。それを家内に言うと、きょうだいはきょうだいでも、男同士と男と女とでは違うと言った。家内にはふたりの兄がいて、そのふたりを見てそう思うそうだ。筆者は妹がふたりいて、男きょうだいはない。それで男兄弟の仲のよさがわからないが、どこでもそうとは限らないはずだ。たとえば、2年に一度は個展の案内が届くA先生は、必ずお姉さんが友人を連れて個展会場にやって来る。その様子を筆者は何度も見ているが、姉と弟の仲のよさの見事な見本を見るようで、いつも感心する。姉としてはかわいい弟の個展が少しでも賑やかになるようにとの応援で、絵が売れるということよりも、身内が応援せねば誰がそれをするという考えなのだ。ゴッホも弟のテオがいて、絵を描き続けることが出来た。だが、そういう兄弟愛はあたりまえではないだろう。筆者の妹は筆者の仕事を理解する気持ちはなく、出版した本をプレゼントしても「高い本やな」の言葉しか返って来ない。数億の貯金があっても本を買ったことも読んだこともないのでは、それは当然かもしれない。何度も個展し、また公募展で受賞しても、おめでとうの言葉を聞いたことがない。それどころか、妹夫婦がどこかで知り合った図案家が組合の展示会で受賞したことを、筆者に「すごいやろう」と自慢する。筆者がベンツにでも乗ると初めて目を丸くするはずで、金こそが成功者の証と信じて疑わない。ほとんどの人は金儲けが人生の最大の目的と思っているが、芸術を目指す者はそうは考えない。だが、やめておこう。筆者が俗物を罵ることを家内は嫌い、そんなことに心を乱さずに淡々としていればよいと言う。それはともかく、大平さん兄弟は美しい。兄弟愛には1億年以上の伝統があるはずだが、金というものを発明した人間は、きょうだいでも他人以上に冷たいことを平気でするようになった。啓吾さんとは一度しか喫茶店で話が出来なかったが、もっと親しくなっていれば俗物について話を盛り上げたかった。