●「武田理沙~フランク・ザッパ・メドレー関西初演」 武田さんと筆者が10月26日、大阪の神山町のALWAYSにて対談します。
●切り株の履歴書、番外その3
意しないとわからないことだらけの世の中だが、人それぞれに注意の度合いと対象、それにわかることの範囲と限界があるので、ぼんやりしていても、またわからないことだらけでも生きてはいける。



d0053294_01284426.jpg筆者はその部類で、このブログもそれに準じた内容だが、たまには知って新鮮な驚きがあって、わからないことだらけでいるとそういう幸運に出会うことがある。昨日はそんなことがあった。数時間そのことをあれこれ思うことに熱中し、深夜2時頃に布団に入ってからも興奮が醒めず、目覚めた家内にそのことを話し続けた。簡単に言えば、10代後半で著作を読もうとして50年もそのままになっている人についての関心で、筆者の思いは10代から少しも変化していないことに改めて気づいた。50年前に読もうとしながら読まなかったのは、ほかの人の本を読んだことで機会を逸したからでもあるが、一旦読もうと関心を抱けば、それが心のどこかに刺さっていて、何かの拍子に思い出す。そして、思い出してもそのまま放置することがほとんどだが、新たに湧いた関心がその棘とつながっていることに気づいた途端、50年前の棘を抜くきっかけが得られる。だが、50年前に読もうとして読まなかった本だけに留まらず、その何十倍もの本を購入して読む必要がある。そしてすでにその作業を最近始めて少しずつ購入しているが、大半はフランス語の本でしかも日本語に翻訳されていないから、フランス語を英語を読む程度に習得したい気持ちが再燃している。それはともかく、その途方もない関心事はこのブログともつながっている。昨日はそのことに気づいて嬉しかったのだ。それはさておき、その関心事とは全くとは言わないが、ほとんど無関係なことに筆者は注意を向けることが多い。たとえば今日の投稿の切り株上に接着された小さな玩具だ。そういうつまらないものは戦後の日本は無数に製造し続けて来たが、100年前の大量生産文化が訪れた時の欧米社会で見られた。音楽家のラヴェルはそういうちゃちな玩具を集めることを好んだそうだが、それはラヴェルの音楽のどこかに影響しているはずで、ラヴェルの芸術にある意味では欠かせないものであったと考えることは許されるであろう。ラヴェルの作品を大芸術とは呼ばないが、数百年先の評価ではどうなっているかわからないから、安価で陳腐なガラクタとしての玩具がただそれだけの存在であるとは言い切れない。ラヴェルは自分がなぜそういう玩具を楽しむのか深く考えなかったかもしれないが、ラヴェル研究家がそのラヴェルの趣味を看過するのは、研究のひとつの方法であっても万全な態度とは言えない。むしろラヴェルの本質を見誤るのではないか。つまり、ちゃちな玩具とラヴェルの音楽との関連を探ると、ラヴェル時代の芸術のひとつの大きな特徴が見えるかもしれない。
d0053294_01291437.jpg 今日は息子がまた帰って来るというので、午後4時頃に家内と嵯峨のスーパーに出かけた。ただし、真夏のような日差しなので、徒歩ではなく自転車を使った。筆者の自転車は前輪のタイヤの一部から中のチューブがはみ出てしまい、ここ2か月近くは乗っていなかった。タイヤを交換するのはもったいないので、タイヤが薄くなって中の針金が3本ほど透けて見えている箇所、つまりチューブが飛び出そうとしている部分のゴムを塞ぐことにした。その傷はパンク修理の際にドライヴァー2本を差し込んでチューブを抜こうとした時についた。ガムテープではとても駄目で、硬化すればゴムになる接着剤を買った。それを使用して2,3日後に空気を入れると、どうにかチューブはタイヤからはみ出さない。だが、筆者が乗ればその圧力で接着剤を塗布した部分が破れるかもしれない。その心配があったが、今日はふたりで自転車で買い物に行くというので思い切って乗った。応急修理は功を奏し、ほんのわずかにチューブがはみ出そうとしている箇所はあるが、そこにはまた接着剤を塗ればよい。市営駐車場前の切り株家の様子が変化しているかもしれないと思ってカメラを首からぶら下げて行った。今日の2枚の写真のように、先月17日の撮影時とは違っていた。黄色の矢印は変化なしで青は変化を示す。最初の写真ではクリスタル風の透明な熊か猫の人形がなくなり、代わりに左下隅のドラえもんが増えている。また、春らしく赤い花が咲いた。2枚目の写真は先月17日と比較するためにしゃがんで撮ろうかと一瞬思ったが、それでは背後の人形が映らない。右端のミッキーマウスと左端手前の赤い台に乗る茶色の熊が増えている。この1か月、筆者は3,4回はこの切り株の前を歩いたが、たいてい気にかけて見ていたはずで、変化はなかった。ここ10日ほどは嵯峨のスーパーに行かなかったので、おそらくその間に変化したのだろう。道を歩きながらこの切り株に目を留める人はどれほどいるだろう。一旦目に留めて記憶すればその後も注意するが、目に留めても関心を持続させない人は二度目に通っても気づかない。人間にはもっと重要な考え事が常に無数にあって、ちゃちな玩具を使ったちゃちな遊びの変化など、全くどうでもいいと言ってよい。だが、ある人物が面白いことをしているという自覚がこれらの玩具には込められていて、それに反応することを面白いと思う筆者のような人が存在する。その思いがあるので筆者はブログを続けていると言ってよいが、筆者は切り株上に玩具を付着させる人物像を知りたいとは思わず、筆者と筆者のブログの読み手との関係もそうありたい。その関係は前述した筆者が50年前に関心を持った本の著者との間にも言える。つまり、表現者ではなく、表現そのものに関心がある。
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by uuuzen | 2018-04-21 23:59 | ●新・嵐山だより


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