●神社の造形―天神宮神社、その3
画で今は時代劇がほとんどないように思うが、ロケが難しくなったことがその理由のひとつだろう。北白川の天神宮神社の境内は近代的な建物が見えず、京都市内とは思えない林の中にある。



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もっとも、同じような場所は京都の山手ではたいていどこでもあるのかもしれない。というのは、わが家から徒歩3分ほどで嵐山の南に続く山への登山口があり、それを5分ほど登ると天神宮神社とさして変わらない雰囲気が味わえる。それを経験したのは家内と一度だけで、それ以降全く気が向かないので、山歩きに慣れていないことを自覚する。その山道を1時間少々南に歩いて苔寺に出たが、驚いたことに途中で出会った3,4人のひとりに、70歳くらいの普段着の女性がいた。家からそのまま出て来たようで、本人曰く、散歩でたまに歩くらしい。おそらく地元で生まれ育った人で、山歩きが苦にならず、気が向けば山道を歩くのだろう。松尾大社の際に登山道があって、そこから山に入ったとのことで、そういう道があることをその時に知った。そのことで思い出すのは、6年ほど前か、筆者が自治会長をしていた時、80代の男性が行方不明になって捜索願いが出た。家の中からすっといなくなったとのことで、散歩に出て道に迷い、どこかで保護されているのではないかと噂されたが、1か月ほど後、その山の中で死体で見つかった。自然がよく残っていて静かな山の中に簡単に入れるとなれば、地元で生まれ育った老人はふらりとその空気を味わいたくなるのかもしれない。子どもの頃に頻繁ではないにしろ、その山の中に入って遊んだはずで、筆者が思うほど別世界ではないのだろう。そう言えば、前述の筆者らが使った登山口の横に小さな竹林が残っていて、その所有者がわが自治会の住民だ。毎年地蔵盆で使う竹製の花器を手作りする必要上、地元で生まれ育ったFさんは5月下旬にその竹林の所有者に頼んで1本を切らせてもらう。その手伝いを筆者は2年前にした。横が駐車場になっていて、昔は現在の数倍の面積はあったはずだが、今でもその竹林に入ると、すぐ近くにFさんの家があり、またバスや車が頻繁に往来するとは思えない静けさと薄暗さがある。その雰囲気は天神宮神社の境内でも感じられる。筆者が境内にいる間、若いサラリーマンの男性がひとりと、中年の男性が相次いでやって来たが、その姿をすぐに見失うほどに木が多く、また境内は順路とでもいうべき小径が南に蛇行している。そして、それに沿って鳥居や玉垣で囲った岩の塚が点在するが、これらは一昨日紹介した階段を上り切った平らな土地に並ぶ拝殿とは一線を画すような感じで、野趣が強い。つまり、平安時代そのままだろうという雰囲気があって、時代劇のロケに充分使えるだろう。
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 この小径の突き当たりまで行って階段前の平地に戻ったが、今日から紹介する小さな祠や岩は山の斜面に並ぶので、参拝するのは多少足元が悪く、大雨の後では滑りやすそうだ。この林がどこまで広がっているのか知らなかったが、民家が全く見えないので、筆者は前述した嵐山から南に続く山を思い出した。つまり、それほどに広いのだろうと思った。ところが、地図を見ると、境内の北すぐに民家が並ぶ。街区が整っているので、戦後に出来たものと思うが、東や南は200メートルほどの山地が確保されている。今後境内が民家で侵食されるかどうかはわからないが、現状を保存してほしいものだ。北に1キロ少々で蕪村の墓のある金福寺、またその北には詩仙堂があって、苔寺付近に似た山手の土地だが、高級感は北白川の方が上だ。だが、冬は嵐山より2,3度は低いだろう。10年ほど前の冬、息子の車で金福寺まで家内と乗せてもらったが、細い道に雪が積もり、境内での寒さはきつかった。金福寺の近くで息子は道に迷い、どうしようかと思っていると、ベンツに乗った30代の女性と出会い、家内が声をかけて金福寺への道を訊ねた。すると、彼女は方向が違うはずなのに、その寺のすぐ近くまで車で先導してくれた。同じような女性は松尾にもいると思うが、ほとんど出会う車がなかった時のことでもあり、北白川やその北の一乗寺地区には優しくて金持ちの女性が住んでいるものだという印象を持った。だが、山手の住民はどこも同じかもしれない。さて、今日の最初の写真は前回の4枚目と同じ「加茂社」だ。本殿南の小径に入って最初に撮った。鳥居を見上げていて、拝むには石段を10ほど上る必要がある。つまり、それほどの急斜面に西向きに建っている。午後3時過ぎの日差しが木漏れ日として多少見える。向かって右隣り、つまり南に「天照社」がある。今日の2枚目は小径をさらに南下する。朱塗りの玉垣と祠から稲荷社と想像出来るが、鳥居を見上げていないので、おそらく小径の標高と大差ないところにある。3枚目は玉垣前の狐の石造で、金属の檻の中だ。これは不要と思うが、以前にいたずらでもされたかもしれない。狐像の足元に伏見稲荷大社前で売られている白狐の小像が2体置いてあるが、左の狐の石像の足元には1体しかなかった。それを見た時、参拝者が持ち帰ったと思った。どこで売られているのか知らない外国人であれば、かわいさあまりにそういうことをするかもしれない。ネットには「瑜宮稲荷社」とある。「瑜」は上質の宝の玉の意味で、石を産出する北白川にふさわしい。昔の石工が商売繁盛を願って伏見稲荷大社から勧請したのだろう。また、伏見稲荷大社のある深草は北白川より標高が低く、同地まで石を運ぶのはさほど難儀ではなかったと想像する。
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by uuuzen | 2018-04-16 23:59 | ●神社の造形


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