槍玉に挙げられた形で拘置所にもう200日以上入れられたままのKは、ただ金儲けが優先で、本当は子どもの教育に関しては二の次であったか。

一方、「美しい日本」を唱える首相が子どもたちに道徳教育を強いるのは、ここ1年のかまびすしいKを発端にするニュースを見ていると何ともグロテスクだ。日本の美しさは標語を喧伝しても増えはしない。それは首相が心配しなくても、ほとんど人知れずにそっと存在している。だいたい「美しい」とか「まさに」という言葉を使いたがる人間に限ってその反対に染まっている。東大を出たか知らないが、下品の塊のような人間が多いことを昨今は嫌というほどTVで見せてもらえるが、先ほど家内とそのことを話しながら、小中学生にそういう奴がクラスに必ず何人かいたことを思い出した。教育ママに尻を叩かれながらガリ勉に勤しみ、誰からも嫌われていた奴だ。そういうのが大人になって世間に恥を晒す。あたりまえの話で、日本に限らず世界は公平に出来ている。また、そう思わなければ、まともな考えの持ち主は怒りの矛先を収めるのに苦労する。それはさておき、今日からまた「神社の造形」のカテゴリーに投稿するが、先月13日に偶然見かけた神社だ。今日は訪れてちょうど1か月で、これ以上遅れると投稿する気が萎む。この神社はとても日本的な場所と言おうか、美しい雰囲気に満ちる山中にある。13日は久世の厳島神社をたまたま見つけたが、税金の申告をした後で思わぬ出会いがあった。行きたい場所を地図で調べてから出かけるのもいいが、全く予期しない遭遇は強い印象を残す。同じようにして事故に遭って大怪我をすることもあるので、予期しないことを期待し過ぎるのは考えものだが、見知らぬところを出歩けば得ることの方が大きい。そのため、旅はたくさんすべきだが、そう言えば今年の春は家内と遠出をしなかった。名古屋城が木造で建て替えられる予定で、5月までは現在の名古屋城に入れるという。これまで何度か機会がありながら名古屋城を訪れなかったので、2月に家内に名古屋城を見に行くかと訊ねたところ、家内はあまり名古屋にいい思い出がなく、行きたくないと言った。それでそのままになったが、5月までなら間に合う。そう思う一方で、鉄筋コンクリートの城を見るより、木造で完成した時でいいかとも考える。鉄筋コンクリート造りの寺や神社がたまにあるが、やはり木造がいい。日本は山が多く、木の国だ。それなのに、新しく建てられる民家はみな映画のセットのように味気なく、無表情だ。そこに美しさはない。そう思うので、多くの樹木に囲まれた木造の社が美しいと感じる。世の中がグロテスクさに満ちていても、そこには黙って地面を掃く人がいて、黙ってお詣りする人がある。

この神社は北白川にある。先月13日、北白川に行く用事を作った。そのことを書いておく。3年前か、東山三条のある古本屋を訪れた。ネットで珍しい本を見つけたからだ。その店にはごくたまに訪れるが、店主は筆者を覚えてくれている。本を受け取った後、店主は二条通りにある古本屋の店主が深刻な病を患い、店では半額セールをやっていると教えてくれた。だが筆者は訪れなかった。何か掘り出しものがあったかもしれないが、これまでよく通い、珍しい本などを入手して来て、もうほしいものは残っていないのではないかと思ったのだ。仕入れたばかりの本を背丈ほどに山積みしているのを何度か漁ったことがあって、その中から1,2冊を見つけて店主に値段を訊くと、笑顔を全く見せないながら、筆者の様子をちらりと見て、筆者が思っているより安い値段をつけてくれた。他店より3割ほど安いといったところだが、それでもうれしい。もう10年ほどになると思うが、そのようにしてほしい本をカウンターに持参すると、レジの横に1枚の裏打ちした染色品のまくりがあった。黒い牛に童が乗る絵で、禅で有名な画題だ。サインを見ると「佐野猛夫」とある。筆者は店主に「いくらですか?」と訊いた。無愛想な店主は「売りません」と言った後、「わたしの師匠です」と続けた。つまり、古書店を経営しているが、若い頃は佐野猛夫に染色を学んでいたのだ。それは意外でありながら、納得出来た。その店が並べる本は美術関係が多く、掛軸などの骨董品も混じっていたからだ。その佐野猛夫の若き時代の作品は今どうなっているかと思う。無愛想な店主ともっと親しくしていれば譲ってもらえたかもしれないが、店主はほとんど店におらず、10回訪れて1,2回顔を見ればいい方であった。競り市に商品を買い出しに行っていたからだ。その店主がいつ亡くなったのか知らないが、二条通りにあった2軒の店はシャッターを閉じ、看板が下ろされた。その古書店がなくなったので、岡崎に向かう時、二条通りを歩く楽しみがなくなった。実際この2年は一、二度しか歩いていない。岡崎の美術館や図書館に行く時は別の道を行くようになった。古書探しと同時にその店主の顔を見たくて訪れていたかもしれない。さて、2月中旬、江戸時代の木版画の掛軸をネットの「日本の古本屋」で見つけた。長野の古書店は6万円ほどの価格をつけていて、もう1軒、京都の店が1万円で売っていた。ただし、八双と天、つまり本紙より上部が欠けていて、掛軸としては使いものにならない。販売店は二条通りにあった無愛想な店主の店と同じ名前で、遺族が自宅でネット専門で販売していることがわかった。ちょうどその時、ネット・オークションでも同じ版画の掛軸が出品されていて、1万6000円であった。当然最も安いものがいい。それで早速メールし、相手のつごうを訊いて引き取りに行くことにした。

京都市内であればついでの用事を作って引き取りに行くことを筆者は好む。何かと情報が得られるからで、そのようにして顔見知りになってよく話す店主が何人かいる。今回は病を患って亡くなった店主のことを遺族に訊きたいとも思った。午後2時から3時までに行くと伝えておいて、厳島神社の境内を抜けて市バスに乗ったのは1時半頃であった。店は北白川にあり、そこで掛軸を引き取った後、母の家に立ち寄って帰ることにした。店は筆者が歩いたことのない地域にあるが、グーグルのストリート・ヴューで調べ、簡単な地図も描いた。銀閣寺道のバス停に着いた後、店がある方角の道をたどったが、歩いて5分ほどのはずが、ストリート・ヴューで確認した外観の建物がない。焦りながら道を進むと、今日から紹介する天神宮神社の鳥居が見えた。その前をさらに北上したが、どう考えても間違っている。それで四辻まで戻ったものの、方向感覚がさっぱりわからない。また神社の前まで歩き、ふたたび同じ四辻に戻って立ちすくんだ。時計は見なかったが、30分はうろうろしたので、もう3時近いはずだ。それでバス停まで戻ることにした。だが、その道もわからない。メモ程度に書いた地図ではさっぱり役に立たない。どうしたものかと歩いていると、ストリート・ヴューで見覚えのある祠のような建物を見かけた。その何軒か隣りが目指す店だ。おそらく3時ぎりぎりに着いた。出て来たのは、たぶん初めて見る顔の若い女性であった。古書店では筆者はふたりの女性を知っていたが、彼女らとは違う。おそらく店主の娘さんだろう。店主は癌で死んだとのことであった。呆気ないものだ。亡くなった店主は筆者がこれまでの間、多くの珍しい資料をその店で見つけたことを知っていたであろうか。客は単なる金儲け相手と思うのでは、やってられないところが古書店にはあるだろう。無愛想な店主ではあったが、他店にないことをやるという矜持が感じられた。筆者のその思いは対応してくれた女性に伝わったであろうか。古ぼけた掛軸を引き取りに行ったのは、筆者なりの弔いの思いがあったからだ。店主に感謝の言葉をかけることは出来なかったが、その思いは今日の文章で代用したい。さて、掛軸を受け取ってから、また三度目に天神宮神社の鳥居の見える場所まで行き、境内を訪れた。今日の4枚の写真は撮影順で、鳥居をくぐって左に折れる石段を100ほど上り切ったところまでだ。3枚目の写真は3分の1ほど上って振り返った様子で、樹木の多さで昼間でも鬱蒼としている。それは4枚目のように上り切った平らな場所でも同じで、平安時代そのままの空気が流れている。バス停から10分ほど歩いたところにこんな場所があるとはにわかに信じがたい。それほどに京都はまだ大昔の風情が残っている。そうそう、1万円で買った掛軸は、それから1週間後に状態のきわめていいものが千円でネット・オークションに出た。焦って入手して損したが、世話になった古書店の主への弔意金と思えばよいし、知らない神社を見つけられた。