娯楽の少なかった時代という表現を見るたびに筆者はそうかなと思う。ラジオやTVがなかった時代はそれに代わる楽しみがあったろうし、いつの時代の人間も空いた時間にさまざまなことをして楽しんで来た。
昨日は自宅に庭がないのに玄関扉の脇に枝垂桜を地植えしている人のことを書いたが、花を育てる趣味を持つ人がそのきっかけをどこで得たのか、筆者は興味がある。筆者が育った大阪市内の家には裏に小さな庭があった。60年前の大阪市内の家はどこでもそうだった。その庭に花があったかどうか記憶にないが、嵐山に住むようになった筆者は同じような裏庭に少しずつ植物を増やして来た。現在母がひとりで住む家は、玄関前に小さな庭がある。そこに薔薇やサボテンなど、植木鉢が20から30あって、母はたまにどれか好きなものを持って行けと言うが、もらっても置き場所がない。母は植物を育てることがそれなりに好きなようだが、凝り性ではなく、ほとんど放ったらかしだ。その点は筆者に似ている。では筆者の息子がそれなりに植物を育てることが好きかと言えば、全くその気配はなく、花の名前をほとんど知らない。庭いじりは老人臭い趣味と思っているのだろう。確かにそういうところはある。最近ネットで読んだことに、イギリス人の夢は小さな庭をこととあった。そしてその庭いじりを中国人が見て、どこが楽しいのかと揶揄しているそうだが、どういう中国人に意見を訊いたのか問題がある。高層マンションに住む中国人は、庭いじりは不可能で、植物を育てることに無関心な若者が多くても当然な気がする。また、中国の田舎ではイギリス人の庭よりはるかに広い空き地があって、庭を自分好みの植物で埋めるという考えが湧きにくいだろう。イギリス人が庭で植物を育てることが好きなことは、TVの特別番組でよく紹介されるが、日本でそれを真似するには街中ではかなり無理があって、それなりに辺鄙なところに住む必要がある。嵐山でも大きな家が壊されて新しく3,4軒建つと、どの家にもガレージはあるが庭はない。現在の日本では庭よりも車が優先される。そして部屋の多さだ。庭は公園で代用しようということだが、そこには好きな植物を植えることは出来ない。庭いじりは今では高くつく趣味、娯楽だが、自然に触れるにはペットを飼うよりも手っ取り早く、安価でもある。ヴェランダがあれば小さな植木鉢は並べられるし、それがなくても多肉植物のいくつかに日を当てる場所くらいはどのような狭い家でも確保出来る。ところで、庭があっていいことは、鳥がよくやって来ることだ。数日前から筆者は小さな白いプラスティックの容器に、家内が米をとぐ時に選別した茶や黒の米粒を100粒ほど入れ、それを合歓木のすぐ下のフェンスに置くようになった。数か月でそういう米がジャムの小瓶いっぱいになっている。2,3時間すれば雀が数羽やって来て、それを食べ尽くすが、雀が喜んでさえずっているのを聞くことは楽しい。その米がなくなると餌用の米を買おうかと思っている。
今日はついに裏庭に出て合歓木とその隣りに大きく茂る名前の知らない木の枝を剪定した。ただし、筆者の思いの数分の1で、まだ数日はかかる。また今日は2.5メートルほどの細い角材の先端に結わえたノコギリが外れ、下に流れる小川に落ちてしまった。水深は最大の50センチほどあり、勢いもとても速いので、長靴で中に入ることも脚立を立てることも出来ない。雨が降った直後では上流の堰が閉められるので、その時に剪定をするつもりであったが、天気は崩れず、合歓木はついに新芽が出て来た。ノコギリは去年の1月、松尾大社の亀の市で買った刃で、それを50センチほどの細い木に固定して使っていた。その状態のまま、2・5メートルほどの角材の先端に針金と紐で縛ったが、ノコギリの刃を動かすたびに緩み、川の流れに落下した。5,6メートルほど流れて行くのを見て、慌てて脚立から降り、自転車に乗って小川沿いを600メートルほど下流まで走った。途中にたくさんコンクリートの小さな橋があって、そのどれかの上で待ち受けるためだ。3年ほど前、サンダルの片方を流した時も自転車で下流に行って待ち受けたが、2,3分経ってサンダルは流れて来た。橋の上に腹這いになると、充分手が水面に届くが、一発勝負だ。筆者が待つその橋は最も理想的な高さで、そこでつかめないと、もうほとんど諦めるしかない。サンダルの時はうまく行ったが、刃のあるノコギリが勢いよく流れて来るとつかみにくい。だが、今日は軍手をはめたままであった。通りがかる人がいぶかしげに筆者を見るが、それにかまわず、流れて来るのを待ち続けたが、5分経っても現われない。筆者の到着が遅かったかもしれない。小川の流れを見ながらすごすごと帰ったが、ザッパの「THE OCEAN IS THE ULTIMATE SOLUTION」(大洋は究極の解決)を思い出し、2,3日後は大阪湾に流れ込む様子を想像した。今日はノコギリの件とは別に二度全速で小川沿いを走った。伐採した大きな枝が川に落ちて流れ始めたからだ。切った枝は筆者が立つ合歓木の太い幹分かれ箇所に引き寄せるのだが、たまにそれがうまく行かない。地面に降りるのが速かったので、600メートルほどではなく、200メートルほど下流まで息を切らしながら走って待っていると、1分ほどして大きな枝の塊がゆっくりとやって来た。橋の上でそれをつかんで引き上げると、川底の藻があちこち絡み、臭いがひどい。それを引きずりながら家に帰るのは大鯛を釣った気分に似ている。さて、今日の写真は4日に撮った。牡丹の葉に溜まる朝露に目を留めた。ザッパの曲「DOWN IN THE DEW」を思い出すが、これは「UNCLE REMUS」の最後の歌詞でもあり、黒人の若者がビヴァリーヒルズに住む金持ちの家に早朝行って、前庭の芝生に建つ騎士の彫像を引き倒すと、それが露に濡れていたという描写だ。その露は一生懸命働いても金持ちになれない黒人青年の嘆きの涙の象徴でもあるかもしれない。