香りがないのが欠点で、やはり桜より梅の方がよい。それに梅の実は食用になる。わが家の裏庭の2本の梅の木は白梅にだけ実が出来るが、品種によって結実の条件は異なるだろう。
それよりも日当たりが大切と思うので、明日は梅の木の上方に派手に繁茂している名前の知らない木の柔らかい枝を思い切り刈り取るつもりでいる。だが、その木は白梅の上にあるのに、白梅に実がつく。今日は梅と違って4月1日に見た桜について書くが、その話の前に日当たりで思い出した。梅津の従姉の2,3軒隣りが数年前に玄関脇に枝垂桜の苗木を地植えした。日差しがよいのですくすく育ち、高さ2・5メートルほどになっている。今年はわずかに花を咲かせたのではないかと思うが、庭と呼べる場所はなく、道路際に植えたもので、大きくなれば近所の人は迷惑がるはずで、何を考えて植えたのだろう。枝垂桜を1本植えるには10坪は必要だ。それほどの庭を持つ家はそれなりに裕福でしかも庭木の好きな人だ。このことは以前に書いたことがあるが、阪急の桂駅近くの、電車から見下ろせる大きな家に見事な枝垂桜が10年ほど前まであった。毎年それが満開の様子を車窓から眺めるのを楽しみにしていた人は多いだろう。家が建て替えられた時、その桜は当然のごとく姿を消したが、桜よりも部屋数が多い方がいいとの考えだ。そのことでまた思い出した。昨日は風風の湯のサウナ室で筆者と同じ年生まれのMさんと話したが、Mさんは葬式代程度を残して死ぬのがいいと言った。中途半端に金を残すと、また子どもが複数いると、必ず遺産の分配で揉めるというのが理由で、Mさんはそういう家庭を3つ4つ知っていると言った。Mさんの話を受けて筆者は、老後に生活を縮小するのは賛成で、家も大きなものは不要で、座ったまま物に手が届くように1部屋だけでもいい気がすると言った。Mさんは頷きながら、夫婦だけの暮らしでは家の2階にほとんど上がらないと返した。そう言えば、先日広島の尾道の南にある向島で脱走した男のニュースで、人口3万人のその島に空き家が1000軒もあると伝えた。それはその島特有のことではないだろうが、京都の嵐山や嵯峨では空き家を民泊に改造する人が多いが、観光者が訪れない地域ではそのまま放置される。とはいえ、筆者も隣家を空き家のままにしていて、毎日本などを取りに出入りはするが、ガラクタ置き場に年10万近い固定資産税を払う馬鹿がどこにいるかと家内はうるさい。部屋はひとつでもいいと思いながら、矛盾したことをしていて、これはまだ老いてはいないと思いたいだけの老人特有のこだわりであろう。一方、本などを今後少しずつ処分して行くとして、最後まで手元に残したいのはどれかなどと最近はよく考える。
先月末に息子がまた帰って来て、4月1日は天気もよく、花見がてらに大阪にでも出ようかということになった。大阪の桜と言えば、今日から始まった造幣局の通り抜けが真っ先に思い浮かぶが、その日は大阪城の桜がよいかとぼんやり考えた。大阪城公園の桜を筆者は見たことがない。家を出たのは正午過ぎだ。どこをどう歩こうかとはほとんど決めなかったが、目当ては桜ではなかった。それは息子も家内も同じで、嵐山で充分見られる。今日の最初の写真は大阪に向かう切符を家内が買っている間、嵐山駅前で撮った。多くの人が大阪方面から電車で訪れる。筆者らはその反対に大阪に向かう。どこの桜も同じようなものだが、むしろ嵐山の桜は本数が少なく、貧弱だ。それはともかく、運動不足の筆者は、いい機会とばかりに、あちこち歩くことにし、阪急の天六駅で降りた。梅田でもよかったが、天満宮に行きたかった。そこは数か月前に家内と訪れたが、今回は別の目的が2,3あった。息子はあまり大阪の街を知らない。それでただ筆者に着いて来るだけだが、ぽつりぽつりと話をした。歩いた道筋は今日の3枚目の画像に赤で示したが、天神橋筋商店街を南に抜けて天神橋の北詰めに着いた時、家内は息子と一緒に写真を撮ってくれと言い、息子も嫌がらずに家内の横に立った。筆者は背後の明治時代の天神橋に架けられていた金属の銘板の文字のうち、「神」の文字がふたりの間にちょうど収まるように撮った。筆者も収まればよかったが、誰かに頼むのでなければ撮れない。橋をわたる間、眼下の中之島に桜が見え、そこに降りようと言ったが家内が反対し、天満橋に向かった。その途中で撮ったのが今日の2枚目の写真だ。見事な眺めだ。このような桜並木は京都には皆無だ。満開の桜並木が造幣局まで続いているが、その日は通り抜けの桜を見るのは10日ほど早かった。造幣局の桜は何回か見たことがあるので、今年は行きたいとは思わないが、会期の終了日の来週火曜日はほとんど葉桜になっているだろう。息子は見たことがないので、いつか連れて行きたいとは思う。息子は本当は彼女が出来てデートで行けばいいが、その気配は皆無だ。息子がは家にいても暇なので、歩く気になったのだろう。それでも30半ばで両親と一緒に歩くことはきわめて珍しいだろう。筆者はその年齢で母親と一緒に電車に乗って散策に出かけたことはない。女の子であれば話は別で、何歳になっても母親と一緒に出かけるし、旅をするだろう。そう言えば、家内の兄が勤めている時に、80代の父とふたりでよく旅行したそうだが、旅館に着くとすぐに家に帰りたいと言って兄を困らせたという。親思いの長男で、なかなか出来ることではない。筆者は父親をほとんど知らずに育ったので母親にそのような孝行をすべきだが、母とふたりの旅を考えたことがない。そんな筆者であれば、息子が筆者を連れてどこかへ行こうと誘うこともない。
京阪の天満橋駅の八軒家浜では大勢の人が花見をしていた。フラメンコ・ギターの伴奏でフラメンコを踊っている女性もいたが、5月の連休に中之島で毎年開催されるお祭りにフラメンコのグループがたくさん出演するのでその練習だろう。家内は来年はその川沿いの花見客に混じりたいと言った。その日にそうすることも出来たが、大勢の人で座る場所が見つからない。それで天満橋から谷町筋を南下した。途中で大阪城の天守閣を息子に指し示しながら、来年は家内の言うように八軒家浜で食事をし、そして大阪城公園の桜を見ようかと思った。谷町筋を歩きながら、息子は道路標識を見て、「南に行くと天王寺か」と笑いながら言った。その時に筆者が思い出したのは、隣りの自治会で6,7年前に会長をし、去年亡くなったAさんだ。これも以前に書いたが、Aさんは天王寺の出身で、梅田から天王寺までよく歩くと言っていたが、小柄ながら愛宕山に頻繁に登るなど、健脚であった。天王寺までどの道をたどったのかだが、天満橋から谷町筋を南下したかもしれない。Aさんが地下鉄に乗るより歩くことを好んだのは、交通費がもったいないからではない。外の景色が見られないことがもったいないからだ。それに1時間少々程度なら、散歩にちょうどいい。話を戻す。あらゆるチェーン店があることを息子と指摘し合いながら、やがて空堀商店街の出入口が見えた。日曜日であるからか、商店街は閑散としていた。上町台地をどんどん下がって、西端近くにあるスーパー玉出の店先で格安のバナナを買った。息子は安くても100円ほどだと言ったが、それでも安いのはいい。天満宮境内の有名なうどん屋で「すべらんうどん」を食べた後だったが、家内は買ったばかりのバナナを早速食べようと言った。横堀川に架かる橋の畔だ。青空の下で食べることを嫌う家内としては珍しい。家族3人の遠足気分なのだろう。息子は嫌がったが、幸い人は通らない。その辺りが住友の銅吹きでかつて有名であったことを記す看板の前で頬張ったが、小さいバナナなので食べるのに1分とかからない。次に心斎橋筋商店街から道頓堀には行くことにした。梅田から難波へは、地下鉄に乗れば疲れずに済むし、それがあたりまえの行動で、筆者らの行為はほとんど馬鹿に見えるだろう。だが、3人で大阪市内を歩く機会はめったになく、あえて歩きたかった。家内も文句を言わず、機嫌がよかった。道頓堀はいつものとおり、外国人観光客で溢れ返っていた。いつものことながら、筆者は明治製菓のカールおじさんが描かれた壁画にある液晶の記念撮影画面の前に立った。筆者の姿が映った途端、10人ほどの中国人が殺到し、画面を占領した。息子にスマホで数枚の写真を撮らせ、そのうちの1枚を4枚目に掲げる。筆者は右上隅に写っている。戎橋筋商店街で食事し、また歩いて天神橋筋商店街に戻った。そしていつものようにスーパー玉出で買い物をした。帰りの電車に乗ったのはちょうど8時頃だ。息子は少なくても10キロは歩いただろうと言ったが、12,3キロか。