巷で見られる松にどのような種類があるのだろうか。わが家には2年前だったか、東山のとある民家の玄関脇からもらって帰った松の小さな盆栽がある。
枯れずに元気にしているが、葉を剪定していないので、目に見えて大きくなっているのがわかる。風風の湯で会う81歳のMさんは先日、松は庭に植えるとぐんぐん大きくなるので、毎年植木屋に手入れをさせる必要があり、あまり植えるものではないと言った。庭に枝ぶりの立派な松を植える家は金持ちなので、植木屋の賃金くらいに渋らないが、筆者は松がそれほど勢いのいい木とは知らなかった。それでMさんに、前述の盆栽を地植えにすると、普通の松のように大きく成長するかと訊ねると、あたりまえだと言われた。わが家の裏庭には松の木を植える空間がないので、盆栽のまま育てる必要があるが、松の身になるとそれもかわいそうな気がする。松も地中にしっかりと根を生やし、大きく成長したいだろう。盆栽はいわば動物を檻で飼うことに似ている。一方、飼い犬や飼い猫を家から放り出して野生化させると憐れな末路をたどるので、盆栽を地植えにすれば盆栽から恨まれる可能性も大きい。それはともかく、Mさんは松の話から松茸の話を始め、昔は赤松が多くて松茸は珍しくなかったと、懐かしそうに言った。筆者が4,5歳の頃、毎夕母に連れられて近くの市場に買い物に出かけたが、その時の思い出で特に鮮明なのは、八百屋の店先で松茸が裏白にたくさん並べられ、強い香りを放っていたことだ。東京オリンピックの数年前で、松茸はさほど珍しいものではなかった。その後の日本は便利さを極度に追求し、自然を壊して豊富な松茸を失ったが、金持ちはいくらでも食べられるから、世の中が進歩して損を見るのは貧乏人ばかりだ。それはそうと、松で思い出すのは、「おそ松さん」だ。これは赤塚不二夫の昭和30年代の有名になるきっかけを作った「おそ松くん」の六つ子が大人になったことを描くアニメらしいが、筆者は見ていない。赤塚が死んだ後の企画のはずで、赤塚が生きていればどう言ったか、また許可をどのようにして得たのか多少気になるところがあるが、最も気になるのは、大人になったその6人の表情だ。それが筆者は気に入らない。どうも赤塚が描かない感じで、つまり許可しなかったと思う。他人が描けば、また大人になった設定では表情が違って当然だが、「おそ松くん」をそのまま再アニメ化すればいいのではないか。それはともかく、「おそ松くん」の六つ子の名前を全部言えるかと今考えたが、おそ松、とど松、十四松、から松しか思い出せない。ネットで調べると残りはチョロ松と一松だ。筆者の記憶力はまことにおそ松で、「おそ松さん」がそれなりにヒットしているのであれば、20年後に「おそ松爺さん」をアニメ化すればいいように思う。超高齢化社会では、筆者のように「おそ松くん」を『少年サンデー』でリアル・タイムで経験した世代がそれを大いに喜ぶのではないか。20年と言わず、10年先でいい。
今日も「神社の造形」について書こうかと思いながら、少し別の話題を挟む。今日は松の写真だ。最初の2枚は3年ほど前から気になっているMIHO MUSEUMの玄関脇に並ぶ。いつ撮ったのか忘れたが、MIHO MUSEUMにいつ行っても同じ状態であるので、撮影日はどうでもよい。同じ状態であるのは手入れを欠かさないからで、やはり裕福の象徴である松はMIHO MUSEUMによく似合う。この玄関脇の木が松であることは遠目にはわからない人がほとんどだろう。筆者はそうであった。3年ほど前に一緒に内覧会を訪れた画家の女性から言われて初めて知った。近寄って見ると、松でしかあり得ない葉で、なるほどと思ったが、同じ松を別の場所で見たことがない。松は西洋にも多いから、日本原産でないかもしれない。MIHO MUSEUMは世界の古代の美術品をコレクションするので、たぶんそうではないか。この松は背丈が大きいが、樹形が比較的まとまってこじんまりしているので、もっと小振りであれば日本的な松より庭に植えやすそうだ。つまり、剪定をしながら枝振りを格好よく整える必要がない。名前を調べるとすぐにわかると思うが、あええてそうせず、勝手に「おそ松くん」の妹のように「MIHO松」と名づける。3枚目の写真は先月13日に右京税務署に申告に行った後、銀閣寺のバス停のそばのとある店の前で見かけた。こういう写真を勝手に撮ってネットに載せることを禁止する店が増えているので、それを心配しながら撮った。だが、誰でも見られる歩道際にあり、撮影しても店の人にはわからない。撮影中に店の人が出て来て、「困ります!」と注意されると、「おそ松なことで申し訳ない」と謝るつもりでいたが、そういうことは起こらなかった。もし注意されると、グーグルのストリート・ヴューから画像を取ろうと思ったが、調べると写っていない。最近登場したのだろう。また真冬では外はよくないかもしれず、3月中旬ではその心配がないと考えられたかもしれない。筆者が目に留めたのは、珍しい松であるからだが、大王松のはずで、大きな木を府立植物園かどこかで見たことがある。葉は異様に長く伸び、大王の顎髭のようで、鑑賞によい。この松は樹形を気にするよりも葉にまず目が行くので、剪定をあまりせずに済むのではないか。写真からは箒になりそうな雰囲気で、実際この長い葉は何かの役に立つような気がする。「おそ松くん」の六つ子は同じ顔をしながらみな名前が違うが、MIHO松と大王松は部分的にそっくりでありながら、全体像は著しく異なり、松もさまざまであることを再確認する。ともかく、3年前からいつ投稿しようかと思っていたMIHO松の写真をようやく使うことが出来た。