偶然は常に待っている。ただし、無関心ではそれに気づかない。筆者が久世の厳島神社の存在を知らず、たまたま見かけてその境内に入ったのは偶然の出会いだ。

そういう偶然はあればあるほど、人生は面白い。筆者がブログを書かず、また神社についての投稿をシリーズ化していなければ、厳島神社に気づかなかった。そうでなければ別のことに関心を持ち、別の偶然に出合うはずだが、人生は意思の決定の連続で、それによって関心事は変化して行く。その関心は薄れることもあれば新たに芽生えることもあって、予測出来ないが、何かに関心を持って偶然の出会いを楽しめることは得だ。昨日は家内と万博公園に行ったが、リニューアルされたエキスポランドの中に出来ていた大型の集合店舗にあった本屋を覗くと、家内が雑誌の題名に目を留めた。「60になって手習いをする馬鹿」という文字を読んだ家内は、そのことを笑いながら筆者に言った。その雑誌は本当は60になって何か新しいことを始めようとする人を応援するもので、60から新しい趣味に手を染めようと時間を持てあましている人がどこか恥じていること暗に言っているのだ。60になっての手習いが遅いか早いかは、人それぞれだ。暇と金があれば、手習いでも何でも好きなことをすればよい。本人が満足すればよく、それがいわゆる「モノになる」ことと思うに限る。偶然誰かの目に留まって一躍有名になる夢を見ることも出来るから、新しい世界に挑戦することはよい。その過程で偶然に出会う。だが、偶然は必然だ。筆者はたまたま厳島神社を見かけて境内に入ったが、神社に関心があったからだ。偶然出会いはしたが、関心があったことで、それは必然でもある。人間は関心のある対象には出会うものだ。金がほしくてたまらないと思っている人は、50年ほど思い続けると、それなりに金持ちになる。絶対にそうなる。有名になりたいと思う人も同じで、誰よりも強くそのことを常時思っていると必ず有名になる。人間は関心のある方へ自分から動いて行くからだ。ただし、その関心事が当人にとって本当に正しいことかどうかはわからない。大金を得てそれが幸福と思える人はいいが、金の欲は切りがないから、いつまでも幸福感は得られない。有名も同じだろう。誰かが有名になると、嫉妬心が湧き、心が穏やかでなくなる。関心は心を豊かにするが、関心を持つ対象には注意した方がよい。最近筆者は20歳頃の関心事を改めて思い、現在のたとえばこのブログが、それとどう関係しているかを何度も測っている。つまり、現在の自分が20歳頃からぶれていないかどうかを検証するのだが、神社に関心を持つことも、20歳頃の関心事につながっていることに気づく。つまり、筆者は60になってから新たなことを始めるタイプではなく、成人して以降、関心事が広がりながら、それらはすべて20歳頃の関心に収斂する。そのことは今後ブログに別の角度から書くつもりでいる。

先日ある若い女性と少し話をした。彼女の名前も年齢も知らないが、半年ほど前にお互い顔を知るようになった。彼女は独身で、山口県の出身と言ったが、故郷に帰っても仕事がないので、京都でひとり暮らしをしている。そういう人は多いだろう。筆者は山口には萩に一度だけ行ったことを言い、次によほど今の首相の話をしようかと思ったが、話が込み入るし、また政治の話はよくない。それで口をつぐみ、別の話題になった。彼女は京都暮らしにひとまず満足しているようで、その理由は神社仏閣が多いことだ。筆者は「若いのに珍しい」と言うと、彼女は「静かな場所が好きです」と返した。神社はただで入れるが、寺は金を払う必要があって、「社寺巡りも大変ですね」と筆者が続けると、「そうですね、一食分くらいになりますしね」と、彼女の慎ましやかな生活がわかる言葉が出た。神社の話になったので、筆者は中久世のバス停近くに神社があって、それが意外で驚いたと言うと、彼女はそのバス停を知らないらしく、首をかしげたが、厳島神社と筆者が言うと、「ああ、マクドナルドの裏手ですね」と、今度は筆者が面食らうことを話した。若い独身女性が「社寺が静かでいい」と言うのは、趣味としては地味過ぎるが、経済状態と使える時間を考え合わせると、もっともなことだろう。幸いと言うか、京都に社寺は数年でも巡り切れないほどある。彼女は訪れた社寺の感想をブログに書いていないと思うが、本格的にそれをやると、60になった時には何冊か本を出しているかもしれない。さて、今日は厳島神社の残り4枚の写真を使うが、最初は祠右の木札に「八王子神社」とある。これは境内の北西に位置し、本殿を向いている。2枚目の写真は大木が邪魔をして真正面から撮るのに苦労したが、「大将軍神社」だ。本殿に向かって右手つまり東にあって、やはり本殿に向いている。拝殿右手の由緒書きの看板には、祭神として、「主神 市杵島姫命 田心姫命 立田姫命」とあって、いずれも女神だ。ウィキペディアによると広島の厳島神社は「市杵島姫命 田心姫命 湍津姫命」を祀っていて、「宗像三女神」と呼ぶとある。また、市杵島姫命は仏教では弁財天で、これならわかりやすいが、御所の厳島神社もそう言えば弁才天を祀っていた。「市杵島姫命」は「いちきしまひめのみこと」と読むが、「いちきしま」が「いつくしま」になったと言われる。では「市杵」とは何かと言えば、「斎き」で「神に斎く」のことだ。これで思い出すのは
嵯峨の斎宮神社だ。それはともかく、久世の厳島神社が三女神を祀るのは、その境内の形に似合っている。狭くて長い参道は女性の産道と似ているし、突き当たりが広い空間になっていることもそうだ。となると、江戸時代でも今と同じ境内の広さであった可能性が高い。

八王子神社と大将軍神社が両脇を囲うのは、いかにも三女神を守っている雰囲気があり、中央の拝殿と本殿がこじんまりとしつつも上品であることに納得が行く。家内の母親は家内を生む前夜に弁天さんの夢を見たそうだが、厳島神社は家内がお参りするのにふさわしい神社ということになる。そう言えば、神戸の生田神社にも弁財天を祀る社があったことを思い出す。2枚目の写真はわざと大木にくくられる札を写し込んだ。「区民の誇りの木 スダジイ」と書かれ、「酢田爺」を連想したが、これは椎の木だ。樹齢がどれほどか知らないが、500年は経っているのではないか。撮影はしなかったが、拝殿の少し南に舞楽殿があって、その東側に大木が点在している。おそらくもっとたくさんあったと思うが、枯れたものがあるだろう。区民の誇りとなるような大木があることでこの神社の歴史の長さがわかるが、それらの大木が外の世界とは隔たった、目立たない奥ゆかしさを湛えることにも、貢献している。3枚目の写真は境内の北端中央の鳥居で、この向こうに東西方向の狭い参道があるが、写真からわかるように石畳が敷かれている。また出口は西方面のみで、東には出られなかったと思う。4枚目の写真は3枚目の鳥居をくぐって西に向かい、バス道に面したところから撮った。写真の右側つまり南側が鬱蒼と木が茂っている。鳥居はバス通り沿いの歩道から10メートルほど奥にあって、またその前には車が数台停まっていて、鳥居は見えにくい。北隣りが中古車販売店、南が工務店で、そのどちらかの車のようだが、よそ者は来るなという一種の警告の役割を果たしている。グーグルのストリート・ヴューで見ると、4枚目の鳥居の向こうの樹木が付近のどの建物よりも高く、またそこしか樹木が見当たらず、この神社がなければどの国のどの町かわからない。その意味でも貴重な神社で、偶然残って来たのではなく、地元住民その他、残そうという思いの結集によって現在の姿がある。その思いを必然として何ら疑うことをしないのが、日本が平和な証拠だ。地元住民が普段はほとんど意識せず、境内に入ることもめったになくても、誰かがきれいに掃除をするなど世話を続けている。その思いを自然と継いで行くことが、地元の誇りになるが、表通りのバス道沿いに建つ大きな店や工場地帯に目を向けると、その誇りはほとんど今の若者には理解出来ないものかもしれない。それでという理由からでもないだろうが、赤い防火用のバケツが並び、もしもの時に備えている。だが、誰も常住していないので、一旦火がつけば防火バケツは用をなさない。変な輩がたむろして、たばこのポイ捨てから「区民の誇りの木」に火がつくことがないことを願う。桜など、鑑賞用の木はないと思うが、その方が境内は荒れないないだろう。