温泉に浸かりながらザッパの曲を聴くとくつろげるかどうか。音量と曲によるが、「STUCCO HOMES」や今鳴り響いている「I HAVE BEEN IN YOU」はいいだろう。
「AUDIO」の10曲を今日は通してざっと聴き、これを書きながら二度目を聴いている。10曲は時代順ではないが、時代順に言えば最も古いものは1967年夏、ニューヨークでのインタヴューで、次に70年9月の1曲、10月の2曲、79年の1曲、そしてラジオ・ショーのための81年頃編集の5つのパートで全18曲、84年の1曲で、メインは78年から80年演奏のラジオ・ショーだ。全部で78分ほどで、CD1枚にどうにか収まるだろう。ということは、これを新譜として発売する考えをアーメットやゲイルが持っていたことも考えられるが、大きな欠点がある。ザッパ自身が放送にふさわしくない言葉を消していることだ。だがこれはそうでないヴァージョンが存在するのではないか。一方、この78分の演奏はラジオで放送されたかどうかわからないが、放送済みであれば海賊盤があるだろう。筆者はそれを知らないが、ラジオ局から依頼されながら、ザッパは別に編集したテープを使ったかもしれない。アレックスやジョー・トラヴァースがデジタル・ヴォールト・パスのためにどういう音源を用意すべきかを考えてこの81年頃編集の全18曲を選んだことは、『オン・ステージ 第5集』のディスク2にまとまっている82年の演奏を鑑みてのことではないか。ただし今回は前述のように80年秋のツアーだけではなく、78、79年の曲も含まれ、まとまり感がやや乏しい。また5つのパートに分けたのは、ザッパが遺したテープがそうなっているからだと思うが、1枚のCDに切れ目なしに収録した時、全体がどのように聴こえるかはまだ試していないのでわからない。ただし、ひとつのステージのように選曲されていることは、パート5の最後「I DON‘T WANNA GET DRAFTED」の最後が、ステージ最後のメンバー紹介であることから言い得る。パート1の最初の「NO PROBLEM/SHE‘S NOT THERE」は80年のツアーで何度か演奏されたゾンビーズの曲を後半に含むが、これはギター・ソロがいつの間にかそれに変化する形で演奏された。今回のヴァージョンは、アルバム『黙ってギターを弾きな』の「カルロス・サンタナの秘密のコード進行の変奏曲」の冒頭と同じくザッパの掛け声からザッパがギターを弾き始めるので、「CITY OF TINY LIGHTS」のソロであろう。つまり、ソンビーズのオリジナル曲ではあるが、サンタナのカヴァー演奏をザッパは意識している。ザッパはこのゾンビーズの曲をいくつかの自曲のソロの最後に用いたが、これまで正式な発表はない。その点でこの曲を今回紹介するのは太っ腹なところを見せようとの思いだろう。 パート1の5曲目「アルマジロ・ミュージック」は8分ほどのギター・ソロ曲で、ベースとドラムスのソロが続く。これは未発表だが、題名は演奏した場所が『ボンゴ・フューリー』と同じテキサスの会場であるからだ。パート1はギター・ソロが多く、当時のザッパのステージを模した編集のアルバムとは毛並みが違うが、これはギター・アルバムを編集するほどにギター・ソロをたくさん発表したいとの思いの反映だろう。

パート2は79年2月、ハマースミス・オデオンでの「POUND FOR A BROWN」が最後に収録されるが、3分ほどだ。またこれはアルバム『ハマースミス・オデオン』のヴァージョンから1年後の演奏になるが、今回は70年10月、そしてパート4の全体を占める78年10月の「THIRTEEN/POUND FOR A BROWN」と聴き比べられる。今そのパート4を聴こうとすると、プレイのボタンを押してもそれが暗くなるだけで演奏が始まらない。パソコンの容量のせいだろう。ダウンロードして1枚のCDとして焼いた方がよさそうだ。84年の曲は7月20日演奏の「OH NO」で2分半ほどと短いが、アレックスによると、せっかく発見されたテープではあるが、録音の不具合からショー全体が聞き取れないほどの小さな音になってしまった。ザッパは諦めていたのだろうが、ジョー・トラヴァースがそれを現在の技術でどうにかぎりぎり良質の音に復活させた。その意味でとても珍しい音源だ。ザッパの録音テープを救うというアレックスによる企画であるからには、そうして尽力して復元した音源の見本としてこの曲を紹介したかったのだろう。10曲目「ヴァンクーヴァー・ラジオ」は70年9月に同地のラジオ局でゲストのDJとして吹き込んだ音源だ。一度しか聴いていないが、16分半と長く、またとても聴き取りにくい鹿騒ぎといった感じで、演奏はない。ただし、ラジオ局で適当に見つけたレコードか何かをBGMにしている箇所がある。1曲目のインタヴューは、冒頭にスーパーマーケットの宣伝曲が流れる。全体で15分ほどで、放送されたので海賊盤が出ているかもしれない。冒頭でザッパは「オレたちはアメリカの音楽を演奏する」と言うが、それを含めて全体にザッパの自信が垣間見える口調で、マザーズのロック音楽市場における「フリーク・アウト」としての位置をよく自覚する。たとえばサイモンとガーファンクルと違って自分たちはGRUNGYであると言う。これはマザーズが実際にグランジーの身なりであったからだが、それがそのまま売れる材料になることをザッパは知っていた。また、聴き手が求める音楽を提供し、自分たちの音楽をエンタテインメントと言うが、これは多くの聴き手が求める音楽は他のミュージシャンがやるので、いわば隙間を狙うということだ。それが「フリーク・アウト」宣言だ。また、ニューヨークを気に入っている様子で、ラロ・シフリンの名を挙げるが、ザッパがロック以外の音楽の才能に目を配っていたことは、アルバム『ランピィ・グレイヴィ』から納得出来る。インタヴューの時期は第2作目のアルバム『アブソルートリー・フリー』が発売される直前で、ザッパはその宣伝になると思って応じたのだろう。インタヴュアーは冒頭でアルバム・ジャケットもザッパが描いたことを伝え、そしてサイケデリック・ロックに関する筆問ではビートルズの『サージェント・ペパー』について言及するが、ザッパはその中の「ラヴリー・リタ」が『フリーク・アウト』を聴いて作曲したものと言う。これはよく知られたことで、別のインタヴューでも語ったかもしれない。別の質問ではマザーズが世間に与えた影響のひとつとしてビートルズがいると答え、またバーズの音楽をラーガ・ロックと表現し、それも自分たちの範疇にあることを言い、ロック・ビジネスの手の内をすべて把握している貫禄を示す。最後はヨーロッパに話が向けら、そこを訪れたことや、アニマルズやザ・フーがマザーズの曲をカヴァーしたことなどを話す。60年代のザッパの音楽は温泉に浸かりながら聴くようなものではなさそうだが、美しいメロディを猥雑な音色で聴かせる、たとえば「DUKE OF PRUNES」のような曲があって、パンクだと言われた時期でも「I HAVE BEEN IN YOU」を歌った。