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●神社の造形―新熊野神社、その4
れいな色で彩色されている東寺の両界曼荼羅ほどの厳密性はないが、同じ日本画の顔料で描かれた木片が、境内の北端の高台に並ぶガラス・ケースに展示されている。



●神社の造形―新熊野神社、その4_d0053294_01252392.jpgこれらを順に見ることも、「京の熊野古道」を巡ることになるのだろう。東から西へと順に写真を撮りながらケースの中を覗いたが、その順路が正しいのかどうかはわからない。筆者が撮って来た写真はどれも薄暗くて、絵具の鮮やかさが伝えられないが、光が当たっている箇所そうでもない。またその色合いから、ここ数年の製作に思えた。ケースは防水だが、ガラスが少し曇っていて、湿気を完全に遮断することは出来ない。そのため、絵具はいずれ色褪せるか、木材が腐食するだろう。そうなればまた描き直せばよい。木材は中央に穴が開いているものがあり、画材として形が整えられていない。筆者の想像だが、これは後白河上皇が植えた樟の廃材ではないか。樹齢900年であれば、枯れる枝もあるはずだ。廃棄するのはもったいないので、絵を描いて熊野三山の説明に使うことが考えられたのだろう。では誰が描いたか。仏画師に頼んだか、もっと安く仕上げるために絵の上手な人に任せたのだろう。幸いなことに、これらの木片絵画の鮮明な画像はこの神社のホームページに出ている。それを知ったのは投稿を始めてからだ。各ケースの前には何を展示しているかがわかるように名札が置かれている。その名札込みで画像を加工したのは、後で投稿する時に便利なようにとの思いによるが、画像加工後にホームページに載っていることを知って多少がっかりした。没にするのはもったいなく、また元の画像は消去しているので名札込みの画像を使うしかないが、画像が小さくて名札は読めないかもしれず、逐一説明を加えて行く。最初の写真は熊野三山をそれぞれ象徴するものが描かれている。ケースの中は右から順に、写真の右上、下、左上と並べられていて、右上の札には「神倉山・ことびき岩(御神体・岩)熊野速玉大社・元宮」とある。下は「大斎ヶ原(御神体・川)(旧)熊野本宮大社」、左上は「那智の滝(御神体・滝)熊野那智大社」と書かれ、御神体に合わせた木片を使っている。見立てということだ。細長い木片を見て、「これは那智の滝みたいだな」ということで選ばれたのだろう。これらの3つの木片が御神体ではなく、熊野三山の御神体を視覚的にわかりやすく、美しい顔料で描いたということだ。川原にある玉石に猫や犬の絵を描く人がよくいる。その発想と同じだ。だが、木片の朽ちた形がなかなか神仙の雰囲気が濃厚で、また境内に置かれていることで熊野信仰のイメージをよく伝えている。同じ御神体を写真に撮って展示すれば全くそのような味わいは出ないはずで、自然の素材に自然の絵具で描いているところがよい。
●神社の造形―新熊野神社、その4_d0053294_01255055.jpg
 2枚目の写真も3つの木片が並ぶ。画像加工前に名札の文字を書きとめておいた。右は「(神)矜羯羅童子」、中央は「(神)弥都波龍売神 (仏)不動明王」、左は「(神)制多迦童子」とあって、どれも穴の開いた木片に赤を基調に描かれている。中央は神と仏が同列に記されている。神仏習合のためで、左右は不動明王の脇侍だ。不動明王は修験者が行をする滝のそばによく置かれているところを見かける。行の苦痛を憤怒の形相の不動明王が見守っているとのことで、精神を不動明王のように強く保持して荒行を乗り越えるためだ。これら3体を展示するケースが何を示すためであるかはホームページによって知った。あるいはケースのそばに立て看板があったかもしれない。ホームページによれば、平家物語巻五に登場する神護寺を再興した文覚上人の那智の滝での行を示すためだ。昨日はこの神社に山伏が集まったことをTVが伝えていたことを書いたが、修験者に行がつきものであることをこの展示は知ってほしいのだろう。中央の不動明王は青い肌で、また胸のど真ん中に穴が開いている。その穴をどのように捉えるべきか戸惑うが、「心を空に」という仏教を思っていいのだろう。背後に支えがない薄い板のようだが、下部が三春の張子のように板に固定されている。左右の2体は同じ木片から取られたようだ。3枚目の写真は後白河上皇の白木の坐像で、表情がわかりにくいが、とても貫禄がある。これは有名な坐像を縮小模刻したのか、あるいは肖像画を参考にしたのか、いずれにしても専門家が造ったものでよく出来ている。ケースの外側から注連縄を架けてあり、神像の扱いだ。このケースのみ立体像を収め、他はすべて木片への彩色だ。また撮影はしなかったが、鳥居の近くには能面を描いた石碑があった。それについては後日説明するが、上皇は雑芸に携わる身分の低い人たちと交流し、今様をとても好んだ。この「新しもの好き」の性質に、この神社が境内に展示するさまざまな絵解きの木片絵画はよく似合っている。新しい試みが新しい文化を生み、それがやがて伝統となる。そこまで考えなくてもよいが、他では見かけないこの神社独自の展示物は、歴史をひもとく一助になっている。それは下手をすれば嫌味になる。絵は描いた者の品性を表わすからだ。だが、たとえば画学生が頼まれて描いたにしても、下手ではない。また高名な画家の独特の個性のようなものが主張されているのでもなく、嫌味は感じなかった。そのためでもないが、いつか家内にも見せたいと思っている。それは熊野古道への即席の足跡だが、経験しておいて損はない。そう言えば家内の姉を誘って家内ともども高野山へバス・ツアーに行ったことがある。高野山は中学生の林間学校でも訪れた。次に和歌山県を訪れる時は熊野古道を歩きたい。
●神社の造形―新熊野神社、その4_d0053294_01260930.jpg

by uuuzen | 2018-03-24 23:59 | ●神社の造形
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