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●神社の造形―新熊野神社、その3
対にと決めつけず、気が向かない時はやめておく。それがいい時とよくない時があるが、いろんなことで時間が取れず、後回しになることは誰にでもよくある。筆者のブログがそうだ。



●神社の造形―新熊野神社、その3_d0053294_00222678.jpgこれが収入になるのであれば絶対にと歯をくいしばり、また何よりも優先するが、あまり気の進まない神社についての投稿で、撮って来た写真に合わせた段落数を書くのは、毎日絶対にという気にはなりにくい。そのことからまた後白河上皇の熊野詣を思ってみる。上皇が毎年のように出かけたのは、絶対にという信念の強い人であったからではないか。その思いは登山好きに似ているかもしれない。隣りの自治会のYさんは毎週2,3回、愛宕山に登っている。何よりも山歩きが好きであるからだが、後白河上皇は愛宕山に登らず、わざわざ遠方の熊野まで出かけた。京都では比叡山も高い山だが、上皇は延暦寺とはあまりいい関係ではなく、物見遊山で登ることは出来なかったであろう。では熊野詣にはどれほどの登山と呼べる道があるかだが、筆者は熊野古道についてほとんど知識がない。熊野三山巡りをすると自ずと熊野古道を歩くと想像するが、車で一気に周る人はそうでもないだろうから、熊野三山と熊野古道がどのようにつながっているのか知らないのではないか。昔発売されていたふるさと切手に「熊野古道」があった。そこには平安時代の衣裳を着た女性がふたりほど描かれていた。後白河上皇は数十人の行列を作って出かけたと思うが、ひとりふたりの個人が出かけることもあったのだろう。その場合、山賊に出会う可能性があったのではないか。しんどい道のりにそういう危険もあれば、ますます出不精は敬遠する。熊野詣をする人にはそれを上回る強い信心があった。またYさんと同じように元来歩くことが好きであったからで、車のない時代の人たちは現代人が想像する以上によく歩き、また速かった。話を戻すと、熊野古道については大阪の歌手のやしきたかじんが恋人と歩いたことがあったとTVで話していた。デートで大阪から熊野古道に出かけるのはなかなか渋いが、昔からそれなりに有名な観光地であったと見える。また、やしきたかじんが歩いたのはごく一部で、それだけでも山深い古道の雰囲気は充分感じられたのだろう。熊野古道の最も有名でまた最も多くの人が訪れる区間があると想像し、熊野三山は無理でもそれくらいは歩いてみたいと考えながら、やはり四半世紀前頃から家内はいつか行きたいなどと言いつつ、そのままになっている。筆者は行動に移すまでにぐずぐずしてなかなかなのだ。だが、決めれば何事も早い。その決めることを熊野三山と熊野古道については相変わらず行なっていない。「その2」に書いたように、その熊野古道の模型のような短い道が新熊野神社にある。
●神社の造形―新熊野神社、その3_d0053294_00225483.jpg 新熊野神社は街中にあるので、境内は比較的狭い。にもかかわらず、樹木が鬱蒼とし、森の雰囲気は感じられる。境内の北端が「京の熊野古道」で、土地が少し高く盛り上がっていて、長さは30メートルほどととても短いが、昼間でも薄暗く、おそらく本物の熊野古道の雰囲気はあるだろう。今日の最初の写真は、「京の熊野古道」への入口の手前にある中之社と上之社で、上方の写真の中之社の向かって右手の坂を上る。中之社は本殿の西隣りで、つまり本殿の裏手の山道が「京の熊野古道」だ。これは後白河上皇時代からそのように名づけられ、また利用されていたのだろうか。そのことについては神社のホームページに書かれていない。また、中之社と上之社は真新しいが、本殿や下之社とともに南方の熊野を向いていて、おそらく上中下の3つの小さな社は後白河上皇時代からあったと想像する。社を建て替える費用が捻出出来るほどの何かをこの神社がしているのかどうか知らないが、鳥居のそばにある境内の模型を思えば、維持するための経費が潤沢に入って来る仕組みがあるのかどうか、よけいな心配をしてしまう。参拝客がとても多いようには見えず、それにもかかわらずお金をかけて特徴を出すことに熱心で、その意味でも特異だ。ホームページを見ると、全国熊野会というのがあって、熊野三山と連携して会員を募っている。連携ということは、熊野三山からも多少は援助があるのかもしれない。何しろ京都における出張所のような神社で、ここをお参りすることで熊野三山に行きたいと思う人はいるだろう。先月のTVで、この神社にたくさんの山伏が集まって何やら儀式を執り行なっている様子を見かけた。ほんの一瞬だったので、どういう行事かわからなかったが、修験道者にとっては重要な神社で、彼らのつながりにおいても会員は多いだろう。また熊野神社は全国にあって、それらとの関係で会員が増えることも考えられる。そうそう、西国三十三か所のひとつの寺に京都泉涌寺の今熊野観音寺があることを最近知ったが、今調べると弘法大師が807年に庵を結んだとあって、丸太町通りの熊野神社よりも古い。それが「今」熊野と名づけられたことがよくわからないが、ともかく今熊野観音寺は新熊野神社の南東600メートルほどの山手にあって、弘法大師の時代はその辺りは熊野とあまり変わらない奥深い山の雰囲気に満ちていたに違いない。新熊野神社は三十三間堂近くにあった上皇が住む法住寺殿の鎮守社として建てられたもので、法住寺殿から南に300メートルほどだ。現在は新熊野神社の間にJRの線路があるが、東大路通りではその下をくぐり、東側で山科に向かうトンネルとなっている。上皇の時代、そのJRの線路のある場所がどのようになっていたかだが、新熊野神社はその線路際まで境内が広がっていたのではないか。また、線路はトンネルに向かうので現在は谷になっているが、東大路通りと同じ高さの土地が法住寺まで広がっていたと思う。
●神社の造形―新熊野神社、その3_d0053294_00233012.jpg 今日の2枚目の写真は「京の熊野古道」で、中之社の奥に入ったところで本殿の裏手を見た様子だ。奥が東で上り坂になっている。右手はコンクリートで切り通しになっていて、上皇の頃はもっと様子が違ったであろう。熊野古道のイメージとはかなり違うが、3枚目の写真は多少はその趣がある。これは2枚目の突き当たりに立って南の社務所を向いている。右手が本殿で、左が森のようになっている。そしてそのすぐ左が東大路通りだ。4枚目の社は、2枚目の奥に写っているが、3枚目の立ち位置のすぐ左手だ。左が若宮社で右が下之社だ。「その2」に載せた最初の写真がそれらふたつの社と書いたが、それは間違いで、そのふたつの説明は出来れば後日にする。若宮社と下之社は「京の熊野古道」の終点にあって、今日の最初の写真の、入口のそばにある上之社と中之社のようにまだ新しい。この新しい様子がなかなかよい。あるいは古くなるたびに白木の味わいを求めて建て直すのかもしれない。これら4つの社は同じ高さの地面になく、また東西の一直線上からややずれるが、本殿の両脇にあってだいたい左右対称となっている。それは曼荼羅を思わせ、それを考えての配置だろう。今日の投稿で境内の建物は社務所を除いて全部紹介したことになるが、他に驚くべき展示物がある。その序奏は鳥居の際の境内の模型だが、それとは違って鮮やかな絵画群が同じように雨水の浸入を防ぐガラスのケースに入れられて点在している。それは、わかりにくいとは思うが、今日の最初の写真の上の方、つまり中之社の右手奥に影となって見えている。「京の熊野古道」を歩く時にこれらの絵画群には気づかないが、今日の2枚目の写真の左手の塀の向こう側に東西にギャラリーのように並んでいる。それらは「京の熊野古道」を歩いた後、そのまま導かれるように存在しているが、関心のない人は今日の4枚目の撮影立ち位置からそのまま社務所に向かって帰路に着く。筆者はそうせずに、ガラス・ケースのすべてを覗き込み、写真を撮った。ただし、全部ではない。それらの写真を紹介するには後3回の投稿が必要で、どうしようかと迷っている。幸い、この神社のホームページには筆者が撮ったよりもはるかに明るく鮮明な写真が紹介されていて、また説明もある。それらを読みながら順に紹介するのもいいが、ただの引用の二番煎じの文章では面白くない。それで迷うのだが、撮って来た写真を載せるとなれば中途半端はいやで、絶対に全部載せる。そしてそれに伴なう文章が問題だ。筆者のブログは今年に入って1段落当たりだいたい1100から1200字ほどと決めていて、写真4点では原稿枚数にして12枚ほどを書く必要がある。無駄話を好き勝手に書くのでそれくらいは苦行ではないが、書いた後に今日はそれなりにうまくまとまったという満足感が大切で、それが次回に向けての気力につながる。それはともかく、新熊野神社は境内の北端に熊野信仰にまつわる美術回廊があり、これは他の神社にはない大きな工夫だ。狭い境内なので目障りだと感じる人があろうが、神社や熊野信仰について少しでも考える手立てになっている。
●神社の造形―新熊野神社、その3_d0053294_00235632.jpg

by uuuzen | 2018-03-23 23:59 | ●神社の造形
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