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●神社の造形―新熊野神社、その2
テルや鉄道、便利な道路がない時代に熊野三山に詣でるのは想像を絶する。後白河天皇は上皇になって34歳で新熊野神社を建て、初めて熊野詣をする。記録によれば28回詣でたとされる。



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いくら信心深かったとはいえ、途轍もない気力と体力があったと言える。現在でも京都からそれほどの回数を訪れる人はいないだろう。身分の高い人とはいえ、悪路を歩く必要があったはずで、また宿泊施設にしても現代とは比べものにならない貧弱な場合もあったに違いない。快適さにあまりに慣れ過ぎた現代人からすれば、上皇の熊野詣はなかなか理解し難い。よほど暇であったと思いがちだが、政治における活動は波乱万丈で、その点でも活力みなぎる人物であったことがわかる。これは筆者が昔働いていた大阪の設計会社の上司で、部の次長であったUさんから聞いた話だが、Uさんは定年退職後に阪急の長岡天神駅近くに住み、筆者は少なくても5,6回訪問したことがある。仏像を彫り、盲人のために点字の本を作り続ける一方、日本の歴史を最初から腰を据えて学ぶという生活であったが、歴史学習については数年で終えたようだ。特に平安時代の天皇については、政治を司り、日本を戦乱に巻き込むなど、ろくなことをしなかったと筆者に言った。その時のことをよく覚えているが、Uさんはおそらく後白河天皇のことが脳裏にあったのだろう。筆者は政治に関心がなく、それ以上の話には発展しなかったが、筆者が毎年出品していた公募展が宮家を名誉顧問の形で戴いていたことを、「今の芸術の世界にそれは不要で、全く感心しませんなあ」と意見し、とにかく身分の差という概念を嫌っていた。筆者とは親子ほどの年齢差もあって、歴史や政治にまつわる話は筆者の方からは全くしなかったが、そう言えば去年2月に亡くなった、これも筆者の長年の知り合いで10歳ほど年長のKさんは、書斎が本でいっぱいで、またそれらのほとんどが政治に関するものであった。Kさんも天皇は不要と思っていて、そのことを何度か話題にした。筆者が「あってもいいと思います」と意見すると、幻滅した表情を見せ、「そういう考えはよくない」ときっぱり断言した。Kさんは碁も好きで、筆者がそれを学べばきっとかなり上達すると何度か言ったこともある。筆者は碁に限らずゲーム類に無関心で、結局Kさんの最大の関心事についての話は噛み合わなかった。UさんやKさんがどの政党を支持していたのか知らないが、おそらく現在の政治には幻滅していた。戦後の高度成長を評価せず、社会の拝金主義を大いに侮蔑していた点でも共通するが、それは筆者より10から30ほどの年配者にはありがちなことで、また筆者と親しかったのは、同じような考えを持っていると思ったからだろう。だが、筆者はUさんのように歴史についての本を集中して読み、またKさんのように政治の専門書を山積みにすることはない。
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 後白河上皇が建てた新熊野神社は応仁の乱で本殿などが焼けた。再建されて現在に伝わることは、上皇を偲ぶ縁となる。新熊野神社にすれば上皇を崇めるのは当然だ。そこには戦後の天皇制に対する思想とは別の、歴史をそのまま受け止めるという考えがある。上皇が人間的にどうであったかは、上皇の行状を記す書物によって知り、個人が勝手に判断することで、Uさんのように嫌悪する人もあるだろう。だが、上皇の千手観音信仰は三十三間堂として現存し、それは京都の重要な文化遺産になっている。その点は新熊野神社も同様で、戦乱を超えて現在に存在することはほとんど奇跡だ。神社や寺に無関心な人も大勢いて、京都からそれらがなくなってもかまわないと主張した一流企業勤務のエリートと昔話したことがある。それは京都の寺の僧侶が毎夜祇園の高級な料亭で酒杯を上げているのを目の当たりにしたからだが、そのこととたとえば上皇が生きた平安時代の貴族が比較出来るかとなれば、それは無理な話だろう。歴史に残る人たちが人間的に好ましかったかどうかはほとんどの人にはわからない。後白河上皇の名前は学校で教わるが、ほとんどの人にとってはそれだけのことで、新熊野神社や三十三間堂で思い出す人も少ないだろう。筆者もどちらかと言えばそうだが、何かのきっかけで多少の関心を持つと、他の知識と合わさって急にその関心事が拡大することがよくある。それは誰でもよくあることで、筆者にとって後白河上皇は長年訪れたいと思っている熊野三山がらみで何となく身近な人物に思えて来ている。それは源平の勢力争いの観点で上皇の人柄を想像するのとは違い、心の平安に関することであり、それはまた熊野信仰への関心につながっている。そしてそれは上皇が当時の神仏習合の考えを具体的にどのように思っていたかについての関心にも広がるが、つまり上皇がいたために平安時代の造形の一部分が現在に伝わることの貴重さを思う。その造形のひとつは新熊野神社で、前述したようにそれは上皇がいた時代とは大きく変わっているとしても、同じ場所にあったことの重さを実際に訪れて感じる。そのひとつがたとえば昨日載せた樟だ。樹齢900年とされ、熊野から持って来た苗木を上皇が植えたとされる。これは東大路通りに面した石の鳥居をくぐってすぐ左手にある。境内の南東角で、樟大権現の祠が巨木の手前だ。この樟はせせこましい土地に立っているが、東大路通りは平安時代はもっと狭く、神社の境内は東にもう少し広がっていたのではないか。昨日の4枚目の写真は上下につないだが、比較的新しい石碑が目立ち、神社と上皇の関係を示す思いがよく表われている。昨日の2枚目は、透明なケースに入った神社の全景を示す模型で、これは昨日の最初の写真の鳥居の左手前に写っている。
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 こういう模型は博物館で見かけるもので、神社ではかなり珍しい。筆者の知っている限りは初めてだ。また野外に置かれるので、防水加工がされているが、鳥居の際の設置はほかに適当な場所がないからだろう。普通は宝物館といった建物の内部に展示するが、ここでは境内に入ってすぐに目につく。それは訪れた人に境内の建物配置をわかりやすく示すうえで効果があるが、境内はさほど広いとは言えず、この模型がなくても一巡するのに迷わない。だが、いきなり遭遇するこの境内模型は、この神社の現在の特殊性を知らせるための序奏で、境内を巡った後で理解することが出来る。そのことは後日写真とともに説明するが、結論を言えば、参拝者にとても親切な神社で、境内全体が美術館の趣がある。それは現宮司の考えによるものだろうが、京都国立博物館に近いためもあるのか、美術に造詣が深いと思わせる。神社に祀られる神は形を持たないが、神仏習合によって仏の造詣が神のそれを代用し、かくて神社は視覚的に楽しい仏像と馴染むことになった。後白河上皇が三十三間堂を建て、その内部に納めた千一体の千手観音像はあまりに荘厳だが、それに対して新熊野神社がどうあるべきかと言えば、熊野神社を勧請したからにはそれとのつながりを参拝者によりよくわかってもらえることがよい。熊野詣はごく一部の人が可能であったので、京都でそのいわば出張所を求めて新熊野神社が創建されたが、お参りすれば同じ御利益があるとは思いつつも、本家は熊野にあり、わざわざそこに行くのが最もよいことは誰でもわかっている。そして何度も訪れた上皇の熊野信仰の源にどういう考えがあったかは、やはり実際に熊野詣をしてみるべきで、また実際は平安時代と同じように徒歩で行くのがよいが、そのことを夢想しながら筆者は電車を使っても大層であると思っている。ならば上皇の思いが理解出来るはずがない。さて、今日の写真を説明する。最初は樟社の北側で、この神社のホームページによれば左が若宮社、右が下之社とある。説明の立て看板があるが、近寄って見なかった。目の前がロープで四角く結界が作られていたからでもある。2枚目の写真は若宮社の西の本殿で、両脇にある狛犬は写していない。3枚目は本殿の西で、撮影位置のそばに「京の熊野古道入口(熊野三山御利益巡り)」とある。これは知らなかった。出張所としての面目躍如で、境内を一巡することで熊野三山を訪れたのと同じ御利益があるとする。こういうことはよくある。信仰心があっても体力、経済力、時間がない人がいつの時代にも大勢いる。そういう人たちのために本場の代理となるものが必要だ。またその代理を経験することで本場にいつか必ず訪れたいという気持ちが増す。その意味で筆者は先に新熊野神社を訪れてよかった。
●神社の造形―新熊野神社、その2_d0053294_02225568.jpg

by uuuzen | 2018-03-21 23:59 | ●神社の造形
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