民家と呼ぶことに躊躇するようなタワー・マンションが都会の各駅前に出来て、70年代は郊外に家を買った人が今ではまた都会に戻って来ているという。
今日TVを見ていると、パリのエッフェル塔がある地域が映り、そこにエッフェル塔より高い、あるいは低くても目立つビルが皆無なことに気づいた。エッフェル塔を真似た東京タワーではそのようなことは考慮されず、都内には東京タワー並みの高層ビルがたくさんある。京都タワーより南部もやがてそうなるだろう。そう言えば、筆者が暮らす嵐山地区で江戸時代には桂川を越えて梅津に向かう中心の道があった区画は、大きな田舎の民家と呼ぶにふさわしい家が並ぶが、その1軒が先ごろ更地となった。おそらく3,4軒の建売住宅が出来るだろう。更地になった前を歩くと、以前の家の様子がすぐに思い出させないが、ひんやりとした古い苔のイメージがあった。そういう古さはただただ老朽化として、今は好まれないのだろう。向日神社の「鶏冠木の苑」は、同神社のホームページによれば、170年前にあった本殿を現在の位置に移してからは、雑木が繁茂して見通しの悪い場所になったという。それで元の桜と楓の神苑に変えたが、「鶏冠木」は「かえるで」と読んで「楓」のことだとある。これは鶏冠が赤い楓の葉に似ていることによるが、「かえるで」は一方で「蛙手」に通じるのだろうか。蛙の手と楓の葉が似ている。また、向日市の南部、駅で言えば阪急西向日辺りに「鶏冠井町」があるが、これは京都に住む人なら必ず目にしたことのある町名のはずだ。ところが、どう読むかを知っている人は少ないのではないか。筆者はその部類で、昨日家内に質問すると、即座に「かいでちょう」と返事があったのでびっくりした。なぜ知っているのかと訊くと、昔家内が京都に出て来た頃に勤めていた梅津の不動産屋に、この町と梅津にアパートを持っている家主がいたとのことで、その時に珍しい地名だと覚えたらしい。筆者は長年「とさかいちょう」かと思いつつ、それではあたりまえ過ぎるので、実際はどう読むのかと不思議であった。だが、向日神社の「鶏冠木」と「鶏冠井」とはどう関係するのか。「木」と「井」は違うが、「かえるで」と「かいで」はどちらも「楓」のようだ。また、「鶏冠木の苑」に桜の木もあるならば、なぜ楓を優先した名称にしたのか。向日山の眼下に広がる鶏冠井の村が氏子であったというのが理由のような気がするが、ネットで調べると、「鶏冠井」は元は同じ発音の「蝦手井」の文字を使い、それが訛って「かいで」になったとある。蝦を音読みすれば「蝦手井」は「かてい」で、それが「かいで」になるのは理解出来るので、「蝦手井」から「鶏冠井」の字を充てるようになったことは別の理由があるのではないか。またそのことに関しては、この地が「鶏冠井」と呼ばれるようになったのは、中国における宮殿の周囲に植える楓に通じる長岡京の内裏の跡地に、12世紀に公卿が別荘を建てたことによるらしい。桜は日本のものであるから、向日神社の「鶏冠木の苑」は平安時代の中国に憧れた貴族の思いを反映したことになる。
それはさておき、向日神社の本殿近くからは京都盆地を見下ろすことが出来ないと先日書いたが、グーグルのストリート・ヴューによれば、向日山の南端に北山遺跡があって、そこからの眺めの写真が投稿されている。それによれば深草の石峰寺の若冲の墓の前からの眺めと同じように、眼下に家並みが広がる。物集女地区に遺跡が多いことは知っているが、北山遺跡はその関連だろう。そう言えば阪急電車で大阪に向かう途中、東向日駅から西向日駅までの間にある小学校の校舎の壁面に、人面土器のイラストが大きく描かれているのが見える。これは向日市教育委員会の矜持で、考古学にさほど関心のない人でもそれを何度か見れば、向日市が古代の遺跡で有名であることがわかる。では、その考古学の成果をまとめて展示する施設が向日市にあるのかとなれば、筆者は知らない。市役所の北に文化資料館があるので、そこで展示されているかもしれない。京都市内に住んでいれば、向日市のことまでなかなか思いが回らない。それはともかく、北山遺跡のある向日山南端までは筆者は行かなかったが、その方角には向かった。今日の写真の最初の2枚はそれで、「鶏冠木の苑」から本殿の南側を抜けたところで見かけた御霊神社だ。時計の針とは反対に境内を周ったことになる。本殿前に出た時、相変わらず参拝客はおらず、贅沢な気分が味わえたが、これからの季節は桜が咲いてもっと気分はいいだろう。家内と花見に出かけるのもいいが、それにはついでに見ておきたい場所を下調べした方がよく、先日書いたように、中学3年生の遠足で訪れた向日山の西にある光明寺にも足を延ばしたい。それはいいとして、御霊神社は今日の最初の写真の鳥居のある祠だと思うが、2枚目の写真のその西隣りにある夫婦岩はまた別の神を祀るのであろうか。間に溝があるので、別々の神と思うが、向日神社のホームページには記されていない。3枚目は御霊神社のすぐそばにあった絵馬掛けで、上の方を撮った後、そのすぐ南側にももうひとつあることに気づいた。後方の絵馬掛けには戌年に因む絵柄とは異なる菅原道真を印刷したものがあって、受験生やその親が納めたのだろう。たくさんあるところ、地元住民から親しまれている様子が伝わる。絵馬を撮った後、かなり気になった建物がある。ホームページの境内図によれば剣道場だ。元は地元の小学校の職員室であったが、現在は剣道場として使われている。前庭に樹木は植えられないが、白壁の木造の建物がなかなかさっぱりとしてよい。これが鉄筋コンクリートであれば幻滅で、いかにも剣道に似合う実直な建築だ。京都市では岡崎に大きな剣道場があるが、こじんまりした向日市がそれを抱えることに民度の高さを感じる。