碧空と呼ぶにふさわしい晴れた日の午後、阪急電車で東向日駅に行った。前々回は去年夏で家内と一緒であったが、駅の東側にある昔の市場のようなスーパーに入った。
何も買わなかったが、駅の真横にそのようなスーパーがあることを知らなかったので、とても意外で、また向日市は住みやすいと思った。向日市はここ数年TVでよく取り上げられている。東向日駅近くには、商店街の形にはなってはいないが、独自に考えた激辛味の商品を販売する店がたくさんあり、それらがまとまって激辛商店街として名前が有名になっている。筆者は辛いものが大好きだが、体調不良のために最近は控えている。家内は辛いものは全く駄目だが、ポテトチップスが大好物で、カラムーチョを喜んで食べる。脱線ついでに書くと、大阪駅ビルの高い階のある旅行会社では、3年ほど前まで海外の菓子を詰めた大きな袋が売られていて、何度か買ったことがある。その中にあった辛いキャンデーが印象的で、また食べたいと思いながら、その旅行会社は模様変えをして菓子袋を売らなくなった。それは海外旅行の予約客増加を見込んだ宣伝であったはずで、儲けにならないとの意見が出てやめたのだろう。確かに輸入食品店は京都でもあちこちにあるが、その辛いキャンデーを見かけたことがない。ヨーロッパのどの国の商品か忘れたが、辛さの中に甘いがほんのりとあって、その味をよく覚えている。激辛の食べ物を常食すると血圧が上がる気がするが、実際はどうなのか。血圧が180を超えている筆者はその点をよく調べた方がよい。それはともかく、激辛商店街が有名になって来ているのは、辛い食べ物を好む人が増えて来たと考えてよく、またその傾向は現在の日本の経済状態その他と関係があるのかどうか、激辛商店街でアンケートを取って調べると面白いかもしれない。辛いというのは味ではなく、痛みに属する感覚で、自分の舌や体を痛めつけることを好む人が増えて来ていると考えていいのではないか。話を戻すと、筆者ひとりで東向日駅に降り立ったのは一昨日のことだ。前回、前々回と同じ用事があったからだが、家内から駅横のスーパーで何か食べ物を買って来てほしいと言われて中に入ったが、訪れたのは二度目で、何が安いのかわからず、たくさんの店をひととおりざっと眺め歩いただけで外に出た。1000円以上買うと卵10個パックが90円で買えるという男性のアナウンスを聞きながら、卵を持って帰ると途中で割ってしまう姿を想像し、また梅津のスーパーで買える商品ばかりで珍しいものはなかった。出口近くで、家内が大好物のおかきが200グラム入り280円で売られていたが、それに目が留まったのはほとんど同じ中身の商品を正月にネットで4キロも買い、また1キロ600円ほどと格安であったためだ。年末から正月にかけて筆者は合計8キロもおかきを買ったのに、1か月要さずに全部なくなった。それではあまりに塩分の摂り過ぎで、それ以降はおかきのまとめ買いはしていない。
「その1」の最初に地図を示したが、東向日駅から東に伸びる道が西国街道で、駅から東へ歩いて7,8分でJR向日町駅に着く。そのすぐ近くに用事があるのだが、東向日駅から向日町駅までの間にある細い川の橋の欄干柱に「西国街道」の文字が刻んである。今日の最初の写真がそれで、写真の奥に東向日駅がある。橋は真新しいので、近年市役所が造ったものと思うが、激辛商店街で町の知名度が上がって来たので、観光客誘致の手段として西国街道の広報に努めているようだ。向日市に属する西国街道はごく短く、「その1」で筆者が歩いた部分と、今日紹介する東向日駅からJR向日町駅までで大半を占める。残念なのは向日町駅で街道が断絶されていることだ。鉄道を田畑の中に通したために仕方のないことだが、JR兵庫駅のように、駅舎の中を通り抜けて線路の向こう側に行けるようにすべきと思う。向日町駅界隈がもっと活性化すればそうなるはずだが、現在は駅の東は工場地帯で、また西側の東向日駅までの道も賑わっているとは言い難い。東向日駅から西側が向日市の中心地と言ってよく、また店の数も多い。JR向日町駅の東側の西国街道を筆者は歩いたことがないが、工場地帯を抜けると桂川があり、そこに架かる久世橋のある辺りは大型車の往来の多い殺風景な場所で、そこから西国街道の終点の東寺までは、東寺付近はいいとして、あまり歩きたいとは思わない。今日の2,3枚目の写真は最初の写真の撮影位置から道路を挟んで南側で、少し空き地があって、そこに向日市内の西国街道の説明板がある。それを一読したが、語るにふさわしい歴史の古さがあり、歴史好きは一度は訪れるべきだろう。写真からは文字が小さくて読めないが、向日町駅が京都府下では最初に出来た鉄道の駅ともあって、これは初めて知った。また秀吉が向日市内の西国街道を拡幅したとのことで、朝鮮出兵の兵士がこの道を歩いて西へと向かった。秀吉で思い出したのは、筆者が自転車で向日市に行く時に必ず脇を通る五社神社だ。そのすぐ近くに秀吉に因む石造物があり、また同神社の境内には秀吉がほしがった石燈籠がそのままある。囲いに覆われておらず、触ることが出来るが、そのような歴史を刻んだ燈籠がほとんど誰にも注目されずに今も同じ場所にあることに京都の凄さを知る。それはともかく、最初の写真からわずかに伝わると思うが、東向日駅からJR向日町駅までの間は、初めて歩いた時、何か特別な空気を感じた。そして橋の欄干柱に西国街道の文字を見てなるほどと思ったが、司馬遼太郎の『街道を行く』ではこの付近はどのように書かれているのかと興味がありながらまだ調べていない。また、向日市の西国街道はほとんど起点であり、それがずっと下関まで続くのであるから、司馬がこの街道について書いた文章のうち、ごくわずかな部分が向日市に関することだろう。筆者の関心のある西国街道は高槻までで、それですら断片的にしか知らない。
4枚目の写真はJR向日町駅前の激辛商店街のシンボル「からっきー」だ。これは最初に書いた東向日駅東横のスーパーの中にも看板があって、おそらく「ゆるキャラ」も存在するだろう。トンガラシで思い出したが、阪神岩屋駅から兵庫県立美術館へ向かう間、阪神高速の少し南側にこの激辛商店街のキャラクターと同じ色合い、つまり赤と緑の高さ2・5メートル近い、長さはその倍ほどのトンガラシのお化けのような椿昇が製作したオブジェがある。歩道のど真ん中にあるので通行の邪魔だが、現代美術作品を設置することで美術館が近いことを知らせている。それに比べると、からっきーはからっきし目立たないが、向日市の規模には応じている。このからっきー前の道すなわち西国街道を5分ほど北上すると、JRの線路をくぐるトンネルがあるが、その付近は去年から工事中で、新しい道路や信号が出来ている。それだけ車の往来が増える見込みがあるが、そうなれば東向日駅からJR向日町駅までの間もそうなるはずで、そのことが町の活性化にはいいかとなれば、通り過ぎて行くだけで街道沿いに新しい店が出来たり、股今ある店が儲かったりはしないのではないか。この西国街道のわずかな部分は昭和の古い家が立ち並び、さびれている雰囲気が漂うが、筆者のような世代にはチャラチャラした薄っぺらい現代的なデザインの建物よりかはいい。さて、用事を済ましてまた今日の最初の写真の橋に差しかかた時、10メートルほど先に、買い物帰りの眼鏡をかけた意地悪そうなおばあさんが自転車の下敷きになって倒れているのを見かけた。運転を誤ったのだ。にぎり寿司のパックが逆さまになって蓋が開き、大きなサツマイモが二個転がり、またみかんの袋も投げ出されていた。前述の筆者が一巡したスーパーからの帰りだろう。おばあさんは倒れたままでもがいていて、とにかくまずは自転車を起こさねばならない。筆者は「大丈夫ですか」と声をかけながら、すぐに駆け寄って自転車のハンドルを触ろうとした。するとおばあさんは猛獣が吼えるような意味不明の言葉を筆者に投げつけた。「触るな」という意味だろう。雲ひとつない青空で、いつまでも倒れたままでも気持ちいいのかもしれない。筆者はそのまま立ち去ったが、何しろ歩道の真ん中で倒れているので通行人の邪魔になる。案の定、筆者の前から40歳くらいのきれいな女性が自転車でこちらにやって来た。擦れ違いざまに筆者はよほど声をかけようかと思った。「あの、あのおばあさんは助けなくてもいいですから。怒鳴られるだけですよ」。だが、そうしなかった。女性なら助けに応じるかもしれないと思ったからだ。筆者は立ち止まって振り返った。筆者の後方20メートルほどにおばあさんは倒れていて、そこすぐそばに女性は自転車を停めた。そして筆者が試みたように自転車を起こそうとしたが、やはり同じ大きな声が聞こえた。女性はびっくりしてまた自転車に乗った。おばあさんは地元の人で、たぶん80歳くらいだろう。人の助けを搾取されるとでも思っているのか、筆者は気分を害しながら、優しさが裏切られる時代を思った。実際、筆者の好意が裏目に出ることはよくある。ははは、激辛の思いを言えば、あのおばあさんは激しい雨の日に自転車の下敷きになればよかった。からっきーもからっきし助けてくれない。