過去に何度も思いながら、なかなか果たせないままでいることを最近はひとつずつ消化して行く気になっている。今までもそうであったが、今年に入ってから特にそうで、心残りを可能な限り減らしたいと思っている。
とはいえ、人間は生きている限り欲が湧き続け、気になることが全部なくなることはないだろう。それは人さまざま、また年齢にもよるから、今後筆者の心残りがどれほど減るのかは見当がつかない。さて、心残りというほどでもないが、筆者は10年ほど前から西国街道が気になっている。家内の実家が高槻にあり、家内の兄は娘とともに二度も高槻から嵐山まで西国街道を中心に自転車で往復したことがあることを聞いて、いつか筆者と家内も実行したいと思いながら、その機会がない。まず、その日帰りの旅に耐える自転車がない。わが家にはとても古い2台の自転車があり、去年の夏、筆者はそのうちのまだ新しい方に乗って妹の家まで走った。その時の筆者の形相がよほど異様に思った妹だが、特に自転車がみすぼらしいと感じ、新しいものを1台用意すると言ってくれた。だが、それは言葉だけだ。今までそれを10回ほど聞いているが、妹は言った尻から忘れている。あるいは単なるリップ・サービスに過ぎない。そのことを筆者は知っているので、『ああ、また言ってる』と内心苦笑いするが、人の好意的な言葉には期待はしない方がいい。手元に届いて初めて喜ぶべきで、言葉だけの段階では信用してはならない。その一例として、家内は以前に勤務していた大学の先生のことを話してくれた。ある先生が次年度は絶対に教授に推されると前評判があり、本人も緊張しながら期待してにこにこしていたらしい。ところが発表の日、全く誰からも期待されていなかった先生が教授になった。当てが外れた先生は、教授から『次は君だよ』といったことを聞かされていたのに、それが実現しなかったのだ。筆者は何事もあまり期待しない性格なので、裏切られた記憶がほとんどないが、妹の口のあまりの軽さを見ながら、自分は他者に期待を抱かせてはいけないと自戒する。話を戻して、自転車くらい買えばいいと思われるだろうが、筆者はほかに多大の出費が毎月ある。そのため、どうにか間に合う物は新品を買うつもりがない。完全に壊れるまでは使いたい。2台の自転車は1台が10数年前に中古で5000円ほどで買ったもの、もう1台が5,6年前に梅津の従姉の近くの自転車修理のおじさんから3000円で買ったものだ。どちらも通常の寿命をとっくに超えている。2台ともよくタイヤがパンクし、それは自分で直せるが、タイヤの回転とともに変な音が大きく鳴り続けるなど、家内はとても恥ずかしいと言いながら、仕方なしに乗り続けている。前に何度か書いたように、筆者は自転車をよく盗まれた。それで、誰も盗まないような古いものにすると、盗まれなくなった。それほどにオンボロなのだが、それで嵐山高槻を往復するのは怖い。
去年の暮れの天気がよかったある日、筆者は長岡京市まで初めて自転車で往復した。電車で行ってもよかったが、用事のあった場所は長岡京市駅から徒歩で20分ほどかかる。それで冒険心も働いて、つまり西国街道を高槻までは無理としてもその中間の長岡京市まで走るのにちょうどいい機会と考えた。ただし、家内と一緒ではなく、筆者ひとりだ。結果を言えばなかなかハードで、高槻までを往復するのはよほどの覚悟が必要だと感じた。とにかく坂が多く、また歩道の幅が狭いので、すぐに脇を走る車がとても気になる。つまり、危険なのだ。帰って地図を調べると、筆者が走ったのは江戸時代の西国街道ではなく、それに沿って新たに出来た道路が大部分で、ほんの少し距離は短いが、情緒の点ではかなり劣る。のんびりと古い街道を走りたいのであれば、そういう道路の歩道ではなく、脇に逸れる本当の西国街道でなければならない。今日の最初の画像は阪急の東向日駅とその南西の向日神社を収めたが、赤線が去年の暮れに筆者が自転車で走った道だ。もちろん地図の上下にはみ出ている道路も走ったが、この範囲の限っては赤線を踏破した。往路つまり嵐山から南下する際、向日市役所を少し過ぎたところで右手に向日神社があることは知っていた。その門前の道路際でしばし停まり、よほど参道を西へと上がって行こうかと思いながら、用事を先に済ませたく、また参道がかなり長いので、神社を訪れることは断念して長岡京市へと進んだ。復路では東向日駅に行くつもりであった。向日神社前を少し北上して右折する道路を探すと、それがどこかわからない。福祉会館前の信号で立ち止まっていると、ちょうどその駐車場の警備員が3メートルほど先にいた。阪急の東向日駅はどこかと訊くと、すぐ目の前の道を斜めに下がって行けばその突き当たりだと親切に教えてくれた。実はこの地図の南北を貫く赤線は、家内の姉などに、これまで10回以上は車に乗せてもらって走ったことがある。だが、自転車で走るととても新鮮で初めての道に思えた。車で走ったのはほとんど夜ばかりであったせいもある。長岡京市には昔勤務していた会社の上司が住んでいて、何度も駅を利用したことがあるが、向日市は知り合いがおらず、筆者には未知の土地であった。それが2年前から月に二度ほどは訪れる必要が生じたが、自転車で走る道は向日市のごく一部で、向日神社や市役所付近は全く知らない。それが去年の暮れに自転車で走り、向日神社にいずれ訪れたいと強く思うようになった。その日は意外に早く訪れた。先月23日、いつものように向日市に用事が出来て、いつものように自転車を使わず、電車で行くことにし、また東向日駅からまず反対方向の向日神社へ行くことにした。それが今日の地図の青線だ。筆者はてっきり去年暮れに走った赤線の道を南西に向けて上り坂を歩いていると思ったが、どうも様子が違う。向こうからは下校時の女子高生が大勢やって来る。道も車がほとんど走らず、砂交じりのきれいな色の舗装道路だ。それが本当の西国街道で、筆者は予期せぬ形で、自転車でいつか走ろうと思っていた道を歩くことが出来た。だが、この青線の西国街道は、嵐山方面にはつながっておらず、嵐山高槻を往復する時は利用してはならない。それはともかく、情緒のある向日市の西国街道を歩いて楽しかった。今日の2枚目の写真は東向日駅近くの道標で、3枚目は向日神社前の小さな商店街だ。「アストロ通り」という珍しい名前がついている。