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●「LA RAGAZZA DI BUBE」
は気からと言われるが、病気で倒れると何もする気が起こらない。それでさらに病が進行するかと言えば、治癒力が強ければそのうち元気が出て来る。



還暦を越えると、知り合いとの談笑では病についての話題が多くなるが、風風の湯でよく会う81歳のMさんは医者嫌いで、また病気の話をしたことがない。一方、Mさんより20歳若いTさんは最近手術をしたこともあって、体力が落ちた云々の話がほとんどだ。還暦を過ぎなくても人間はいつ死んでもおかしくないが、3、40代で死を恐れる人は稀だろう。今日は1963年のイタリア映画『ブーベの恋人』の主題曲を紹介するが、当時筆者は12歳でこの曲を夜にラジオでよく聴いた。京都の従兄がシングル盤を持っていて、それを夏休みに訪れて聴いたものだが、そのジャケットは今日紹介するものとは違って、女優のクラウディア・カルディナーレの顔をオレンジ色で印刷したものであったと思う。だが、当時日本で大ヒットしたので、いくつかの種類のジャケットがある。どれが最初に発売されたものか知らないが、ビートルズのシングル盤のように、定価違いで全部集めるほどの熱心なファンはいないだろう。2分ほどの短い曲で、最後は目立って音が大きくなるが、これは日本のレコード会社が映画のサウンドトラックをそのままシングル盤にしたためと、昔何かで読んだことがある。また、途中でクラウディア・カルディナーレとジョージ・チャキリスの語りがわずかに入ったヴァージョンを聴いた記憶がある。それこそ映画のフィルムに記録される音をそのまま使ったものだろう。それはさておき、音楽は大ヒットしたが、筆者は映画を当時見なかった。12歳では無理もない。どのような映画かは、主題曲の物悲しさから想像がついたが、筆者が40歳くらいの頃か、TVで見た。その後もう一度見た気がするが、途中からであったと思う。それで、映画はイタリアの戦時中の歴史を多少知っておかなければ理解しにくく、またそのためにかなり年齢を重ねても、音楽ほどには映画をよいとは思わない人が多いのではないか。映画で驚いたことは、殺人罪で14年服役するジョージ・チャキリス演じるブーベに、クラウディア演じるマーラが月に一度か二度、面会に行くことを決めたといいう結末だ。その映画を12歳の筆者が見たとして、結婚を誓い合ったふたりが14年間も一緒に暮らせないことを我慢することをどう思ったことか。その思いは60半ばの年齢になっても同じようにあって、自分がそうなった時にどうするかは、想像を絶することだと思う。つまり、この映画はそのあまりに憐れな若いふたりの運命を主題にしているのだが、それは戦争によってイタリア国内が混乱や腐敗していたことが原因であり、また平和な時代ではまずあり得ない話で映画が作られることはないだろう。だが、戦争が終わる直前の混乱期であっても人間の損得勘定は同じであるから、一途に恋人を待つ女性は稀であったろう。
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 先日気になってこの映画の原作の小説についてネットで調べると、ほとんど実話であることがわかった。また14年の刑期は確か10年ほどに短縮され、待ち続けた女性と出獄した男性は結婚し、子どもをもうけたが、男性はこの映画が不満であったという。それは、自分が殺人を犯したことは事実としても、その理由が正しく描かれておらず、子どもは不名誉な父を持っていると白い目で見られることを心配したからだ。また彼は共産党の指示によって殺人後はフランスに逃亡し、そこから帰って来て逮捕されたので、本来なら党を恨んでいいはずだが、服役後も党に好意的であったという。そして50少しで亡くなったが、その長いネットの文章は『ブーベの恋人』の真実の物語を含む続編のような感じがして、戦争中のイタリアの歴史に多少関心を抱く契機になる。また、「ブーベ」は変わった名前で、これは本当は英語の「BABY」であるようで、それを小説家が変えたようだ。そのような愛称がつくほどかわいらしい青年であったのだろうが、実際の女性も美人で、映画はあまり誇張していないと言ってよい。14年が10年になったとはいえ、若者にとってはあまりに長い。刑務所はサンジミニアーノにあって、筆者は同地を訪れたことがあるので、映画の最後でマーラが電車に乗ってブーベに会いに行く様子は、今こうして書いていて記憶を結びつけてより感情移入出来る。ともかく、映画が製作された時点ではふたりは一緒に暮らしていたので、その幸福感が映画の最後の場面に反映したと思う。つまり、14年も待つマーラの表情はきっぱりとしていて、確実にいつかは一緒に暮らせるという期待に溢れている。またそのように描かなければこの映画は感動を呼ばなかった。待つと決めたからにはもう揺らがない。そしてその待つ間の14年は描く必要がない。これは傍目にはマーラは不幸に見えても、14年経てば必ず一緒になれるという幸福が先に決まっているから、マーラは幸福であり、映画はハッピーエンドと言ってよい。ただし、最も輝かしい頃の若さを引き換えにする幸福で、それが本当に幸福かどうかという問題を鑑賞者に突きつける。殺人を犯した恋人を14年も待つなど、今の若者には考えられないはずだが、先に書いたようにそこにはイタリアの戦時中の事情がある。では平和な日本ではこの映画は見る必要がないのかと言えば、全くそうではない。人を殺すことになる原因は国の時代や事情によって多様で、この映画が描く1944年は貧富の大きな差が大きく、一方では占領軍のナチに抵抗する勢力があった。ブーベやマーラはそのどちらにも属する階級だが、一方で大地主やそれとつながる教会があって、この映画の舞台となったイタリア中部では共産主義が盛んであった。
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 筆者が所有するシングル盤は3つ折りのジャケットで、裏側に映画のあらすじが書かれている。映画の内容をほとんど覚えていないが、それを読むと胸が押しつぶされるような箇所がある。画像ではわかりにくいと思うが、今日の2枚目の写真でオレンジ色で囲った部分だ。引用する。「ふとしたことから彼の仲間が憲兵を射ち殺し、ブーベもその憲兵の息子を射ち殺して警察のお尋ね者になってしまったのであった。ブーベはマーラを故郷へ連れて帰る決心をした。町で念願のハイヒールを買ってもらったマーラは喜んだが、ブーベの家へ来て彼女は予期に反して汚い家具や彼の家族にがっかりした。意外に早く捜査の手がのびているので、二人はやむをえず廃墟と化した工場に身を隠した」。クラウディア・カルディナーレは1938年生まれで、この映画を撮った時は25歳だが、花盛りのその年齢では、また戦争で荒れた土地では、洒落たハイヒールをプレゼントされてどれほど嬉しかったであろう。その後にブーベの家の実情を知ることはとても残酷だが、彼女はそれでもブーベを選んだ。それは心がとても美しいことで、どのような男性でもそのマーラの決心を崇拝する。翻って現在の日本の若い女は、男のスペックがどうのこうと、自分と釣り合わないほどの好条件を望むことを常識と考える。そして、子どもを産めないほどの高齢に達してしまう者も多いが、そういう人はマーラを馬鹿と思うだろうが、そう思う者は精神が老化している。映画はフィクションで、現実にはあり得ないと言う人があろうが、前述のようにこれはほとんど実話だ。いやいや、1944年当時でもマーラのような女性がほとんどいなかったので小説になり、また映画化されたのだろう。ドナルド・リチーの小説『この焦土』を読みたいと思いながら果たせないでいるが、リチーは戦後直後の日本の有閑マダムがアメリカの将校にメロメロになって体を捧げたことを風刺的に描いた。筆者はそのことに、先日27歳の日本女性がSNSで知り合ったアメリカの男に殺されてバラバラにされた事件を重ねてしまうが、1944年のイタリア中部でも若い女は出来る限り条件のよい男を漁っていたはずで、そのことはこの映画にもそれとはなく描かれる。つまり、マーラの前に別の男が現われるのだ。ブーベを待たずにさっさとその男と暮らしてしまう方が現実的で、またマーラは幸福になったかもしれないが、マーラは結局ブーベを待つことにした。美人ならばほかにもいくらでも言い寄る男がいてもおかしくないし、また女はそのことに自惚れて平気で多くの男と寝るというのが、今の日本の常識的な女だろうが、それでは映画にはならない。あまりにあたりまえ過ぎる現実を誰も金を出して見たいとは思わない。若さはそれだけで何よりも美しいと筆者は思わないが、この映画ではブーベもマーラも溌剌とした動物のような美しさを湛え、動物的本能でお互い惹かれ合う様子がよく伝わる。そこには経済的なことを心配したりするような汚さはないし、また本来それは入り込んではならない。今なら3、40代になってもまだまだ死を意識するには早過ぎる。
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 1960年代は映画音楽がよくヒットしてラジオでかかった。それらは古典となっていると言ってよいが、古典はいつの時代でも若者の大半は無視する。古臭いものは若者には必要がないからだ。古典のすべてがなくなっても生きて行くのに困らない。それは事実だ。だが、その考えでは自分が生きたことも他者には伝わらない。また、そんなことを元から考えない者が古典を必要としない。筆者はこの曲をラジオで聴いてよく覚えているが、2歳下の家内は知らない。2歳の差が大きいのか、生活や性格の差によるのか、ともかくそれと同じことを筆者は筆者より2歳年長の人と比べることがある。すると、筆者の微妙な年齢ないし世代を思うことになる。風風の湯で最近少し話すようになった人は、本物のジュークボックスで音楽を聴くことが趣味で、たくさんのSPレコードも持っているという。筆者より10歳ほど年長で、その差ではもう音楽の趣味もかなり違うはずだが、それはそれで興味がある。それほどに筆者は筆者が生まれる以前の音楽も好きであるからだ。先に、この曲のレコードを京都の従兄の家で中2の頃に見たと書いた。その従兄は今はすっかり音楽の趣味はなく、この曲についての思い出話に花が咲くこともない。それでもどこかに筆者と同世代あるいは少し年上の音楽好きがこの曲に対して抱いている思い出が存在していて、その中にこの文章も混じることを思う。筆者には、リアルタイムで琴線に触れたことを古典となった曲に何らかの形で捧げるにはこの方法しかない。そこには、リアルタイムでなくてもかまわないという思いもある。古典であるからにはそうでなければおかしい。今の12歳がこの曲を聴いて感動し、いつか映画を見て筆者と同じようなことを思うことはあるはずで、作品にはそのような普遍的な力がある。さて、クラウディア・カルディナーレはこの映画以前に『刑事』に出演しているが、その主題曲も筆者はよく覚えている。ただし、その作曲家が「ブーベの恋人」でも音楽を担当したとは知らなかった。カルロ・ルスティケリで、彼の才能がなければこの映画が大ヒットしたかどうかは疑わしい。それほどに1960年代の映画音楽にはいい曲が多かった。この曲はイタリアの民謡を元にしたもののはずで、物悲しいメロディはマーラの健気さによく似合っている。先ほどメロディを拾うと、嬰ト短調で、曲の終わりはG#から三度下になっている。余韻を残すその終わり方は、映画の随所で使われて次の場面へとつないで行くためであろう。ジョージ・チャキリスは『ウェストサイド物語』であまりに有名だが、イタリア映画に出演してイタリア語を話すのか、俄か勉強の結果なのか、普段からイタリア語も話せたのか、多少気になる。アメリカの映画界でイタリア系が頑張っていた時期、音楽の世界でもそうで、そういう土壌にザッパも登場して来る。
by uuuzen | 2018-02-28 22:59 | ●思い出の曲、重いでっ♪
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