●「武田理沙~フランク・ザッパ・メドレー関西初演」 武田さんと筆者が10月26日、大阪の神山町のALWAYSにて対談します。
●松尾大社の節分祭―石見神楽、その2
から雪は降っては来なかったが、風が多少きつかった。そのため、筆者の頭上、拝殿の軒下に貼りつけてあった福男、福女の名前を書き連ねた横3メートルほどの紙が、神楽を演じている最中に大きく剥がれて落下しそうになった。



d0053294_00471592.jpgその紙は今日の最初の写真の上端に少し写っている。同じ紙は筆者が陣取った拝殿北側だけではなく、南側にもあった。全部で100名近い名前が記されていたと思うが、松尾大社の氏子の地域は松尾や梅津からその南部へとかなり広大で、地域名称で言えば10か所にはなると思う。ちょうど北側のその貼紙の中央に、筆者が知る西京極に住む人の名前があった。その人は同地域の氏子代表で、松尾大社を誇り、祇園祭よりも立派な神輿の数が多いことを自慢していたことを聞いたことがある。地元で一番古い家柄ではないそうだが、数代は西京極に住んでいるだろう。氏神の松尾大社に思い入れがあって当然だ。また、その人は古い文化に造詣が深く、氏神への意識が高い。節分祭に際して寄付をしたことがその貼紙からわかるが、石見神楽が毎年上演されるのは、そうした氏子の肝入りによるだろう。その貼紙は数個の押しピンで止めただけで、本来ならベニヤ板に全面糊をつけて貼るべきだ。拝殿東正面にはカメラマンだけではなく、ヴィデオで定点撮影している人がいて、上演中にその貼紙が舞台上に垂れかけた様子が映り込んだはずだ。それに気づいた石見神楽のある人が、脚立を持って来てピンで止め直した。それもまた2、30分ほどすると剥がれてしまうほどの風で、その寒さに筆者は縮み上がった。貼紙は半分ほどのみ垂れたので、不幸中の幸いで、また気になりはしたが、神楽の激しいリズムと舞いが圧倒的で、脚立に乗って貼紙を元通りにする人は文楽の黒子と思うことにした。正午近くなると日差しは南に傾いて観客たちは陽だまりの中で見ることになったのに対し、筆者が立つ北側は日陰になってますます体が冷えたので、来年は南で見ようと思った。観覧無料であるのですべて立ち見で、体力のあまりない人には苦痛だが、筆者の前にいた人は1時間ほどで後方に退いたので、筆者は舞台にかぶりつきで見られるようになった。拝殿は4間四方で、写真からわかるように東北側3間に、「無形文化財指定 種神楽」の金糸による大きな文字のある幕があり、残り東南側1間から神楽を舞う人が出入りするようになっているが、その姿を隠すのは南側へとロープで吊られた1枚の染め布だ。これは拝殿東南角に斜めに張られるので、もう2枚1間幅の垂れ幕が2枚必要で、その2枚とこの斜めに張られる1枚とで三角形の空間が出来る。その内部に次に登場する人が控えるのだが、3枚の垂れ幕は隙間だらけで、筆者が立つ拝殿横からではその内部の半分ほどが見えてしまう。これは興醒めかもしれないが、コンサート会場のような金を徴収して見せる会場ではないだけに却って昔どおりの素朴さがある。とはいえ、筆者はそれらの幕の背後、つまり拝殿東には上演が始まってからは行かなかったことは先日書いた。楽屋裏はなるべく見ないに限る。
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 種神楽は祇園祭の際に八坂神社で上演される石見神楽とは違って益田市の団体だ。石見神楽は多くの団体があるが、大半は益田市から40キロほど北東の浜田市にある。地域差がどのようにあるのかは知らないが、多くの団体があることは、少しずつ特徴が違うのだろう。祇園祭のお囃子も山鉾によってすべて異なるが、その差はよほど詳しくない人にはわからない。それと同じことが石見神楽でも言えるのではないか。地図を見ると浜田市も益田市もとても小さく、そのようなところで多くの神楽の団体があることは想像しにくいが、それは垂れ幕や豪華な衣裳など、多額の費用をかけていると思わせるからで、これは各地で上演してよほど収入を得なければ存続が難しいだろう。太鼓や笛、小型のシンバルの奏楽が交代要員を含めて7,8人、また舞楽者は6,7人と思うが、遠方からやって来ること思えば、それ相応のギャラでなければならない。毎年同じ団体がやって来るのかどうか知らないが、たぶんそうだろう。これは最初の縁があってのことと思うが、京都からはより遠方の益田市からということに何か意味があるのかもしれない。そもそも松尾大社で演じるのは、同大社のホームページによれば、出雲神話の主人公であるスサノオノミコトが同大社の祭神である大山咋神の祖父神に当たる由縁もあってのこととあるが、これはあまり強い関連があるとは思えないようだが、松尾大社は秦氏が開き、一方島根は朝鮮半島と対峙し、古来人の往来が多くあったはずで、大陸や半島とのつながりにおいて深い縁がある。また石見神楽の激しさ、派手さは中国の京劇や朝鮮の仮面劇を連想させるが、全く無関係とは言えないだろう。種神楽は嘉永6年(1853)というから、歴史はまだとても浅い。石見神楽そのものはウィキペディアによれば室町後期から演じられていたとあるが、田楽や能、狂言、歌舞伎が影響を与えたことは誰の眼にも明らかで、地方の伝統芸能として独自の発展を遂げて来た。筆者が初めて注目したのは、奈良国立博物館かみんぱくか忘れたが、石見神楽では最も有名な「八岐大蛇」を撮影した映像を画面で見たことによる。それが7,8年前のことで、小さな画面にもかかわらず、その迫力には度肝を抜かれた。これは誰しもそうだろう。百を超える団体のすべてが「八岐大蛇」を演じると思うが、この演目は外国人にも大いに歓迎されることは間違いがない。筆者は今回は特に海外公演を積極的に実施すべきと思いながら見たが、すでにそのような団体があるようで、能や狂言よりわかりやすく、また楽しめる。それは京都人からすればいささか下品な雑種の芸能かもしれないが、神に奉納する神楽が活力溢れる娯楽性によって、集まった老若男女を大いに沸かせることは芸能の本質にかなっている。歌舞伎も現代の技術を使ってエンタテインメント性を盛り込む時代で、石見神楽は歌舞伎役者のような有名な役者はおらず、また不要だが、古い物語はそのままにいかに人々に強い印象を与えるかという視覚性重視の態度は今後も第一義とされ続けるだろう。今日の3枚目の写真は左右に2枚つないだ。本殿前の石段が特等席で、びっしりと人が立っている。西洋人の姿も見えた。
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by uuuzen | 2018-02-25 23:59 | ●新・嵐山だより


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