工事がまた始まった渡月橋付近だ。その様子の写真をどのようにブログに投稿しようかと思いながら、写真を加工してため込んでいる。
「駅前の変化」のカテゴリーは投稿日を決めているのに投稿していない回が38もある。そして去年8月上旬以降は写真を撮っていない。
「2017年の投稿」の画面ではそれらを目立たない肌色で題名を記していて、暇が出来ればそれらの投稿を終えたいと思い続けているのに、あまり月日が経つと写真を見ても記憶が鮮明に戻らない。ついでに書いておくと、「2017年の投稿」で他の空白行は、主に「神社の造形」を投稿するつもりでいる。いつどの神社に出かけたか、またどういう写真を撮ったかは記録してあるが、それら全部の写真を使っても空白行は埋まらないかもしれない。その場合は「○は○か」などの半ばシリーズとしているものを投稿するつもりでいる。そう思いながら、毎日がすぐに過ぎ去り、過去の未投稿分まで書く暇がない。それがブログに関してのかなり困ったことで、頭から去らない。そんなことに取り越し苦労をしていることを筆者しか知らず、また過去の空白日を投稿で埋めたとしても、誰もそれに気づかず、読まないから、放置したままでいいようなものだが、「毎日投稿」を謳っているからにはそれを守らないと何となく落ち着かない。普段気にしていることが増える一方であるのは、精神上よくない。そう思うので、昨日嵯峨のスーパーに出かける際にカメラを持参して渡月橋付近の河底工事の様子を撮影しようと思いながら、現場でカメラをままえると、記録カードが入っていないことに気づいたので、今日は散歩がてら出かけ直して数枚撮影した。ただし、前述のようにそれらの写真をどのようにブログに載せるかはまだ決めていない。それはともかく、渡月橋から100メートルほど上流の左岸で建物が建とうとしている。今日はその写真も橋の上から撮った。まだ外観は姿を現わしていないが、遠目には学校のような直方体のビルだ。嵐山には似合わない感じだが、少し上流にある時雨殿と同じような和風らしいものになるかもしれない。またそうしてほしいものだ。この建物は、2,3年前に自治会のFさんからアイフルが建てる美術館だと聞いた。それが本当かどうか、川底工事の写真を撮った後、その工事現場まで足を伸ばした。5分ほどの距離だが、春めいて来たので観光客がいっぱいだ。これから桜、新緑の季節はさらに増えるが、家内に言わせると、以前のように2月、8月という京都を訪れる観光客激減の季節はなくなり、年柄年中、嵐山は混雑するようになった。それはともかく、現場の塀に貼られている書類によると、やはり「美術館」とあった。竣工費日を確認しなかったが、今年中にオープンするだろう。嵐山にどういう美術館が出来るのか、筆者の関心は大きいが、あまり期待はしていない。京都を拠点にした、あるいはしている画家の作品専門となるのが望ましいが、それではあまり人は入らないかもしれない。私設であるから、その企業が所蔵する作品を飾ることになるはずだが、アイフルのイメージを高める美術作品となれば何であろうか。アメリカの現代美術などを展示しても、ほとんど誰も喜ばないだろう。それに、そもそも嵐山を訪れる人のどの程度の割合が金を払って美術作品を見たがるかだ。1パーセントもいれば充分と思うが、0.0000001パーセント程度ではないか。時雨殿の企画展を見ればそう思う。
この建築中の美術館の東側に同じほどの大きな空き地があって、塀で囲まれている。以前に嵐山ホテルが建っていた場所に美術館が建ち、この空き地には料亭があったと思う。塀の工事告知の貼紙には「ホテル」とあったので、古い料理旅館を外国人観光客向けの収容人数が多いモダンな建物にするのだろう。川を挟んで目の前に嵐山が見えるので、嵐山では最高の立地だ。にもかかわらず、以前にあった嵐山ホテルは、当初は知らないが、21世紀になってからはほとんど客が入っていなかったのではないか。建物が古くなっていたことと、また近年ほど外国人観光客が爆発的にやって来なかった。時代の変化にうまく乗って金儲けする人があれば、反対に損する人もある。さて、ひとりで散歩に出かけたこともあって、美術館とホテルの建築現場を確認すると、もう用事がなくなった。帰りは渡月橋の下流側の歩道を歩き、半ばに差しかかった時、向こうから自転車の男性がやって来て筆者の真横で停まった。同じ自治会のWさんだ。会うのは半年ぶりだろうか。筆者と同じ年齢で10年近く前に出来た大きなマンションにひとりで住んでいる。Wさんが言うには、今年4月から自治会の副会長になったとのことだ。会長は誰かと訊くと、以前から筆者がなればよいと周囲に漏らしていたFさんだ。このFさんは前述のFさんとは違い、筆者とはあまり親しくはないが、その気になればいつでも気安く話せる。そのFさん以下、副会長3人はすべて自治会の重責を経験したことがないが、筆者は全員の人柄を知っていて、うまくこなすと確信している。副会長が3人も必要かと言えば、ひとりは会計で、Fさんはそれに当たったので困ると言う。というのは、サラリーマン時代に金を扱うことでトラウマになる嫌な出来事があったからで、残りふたりの副会長のどちらかに代わってもらえないかと筆者に言う。筆者はこの丸3年は自治会に関係して来なかったので、その相談については何とも言えないが、ひとまずもうひとりのFさん宅で月曜日にでも話をしようかと提案した。筆者はまだ今年、来年中はかなり多忙で、とても自治会の事柄に首を突っ込むことは出来ない。ただし、困り事の相談や、行司の手伝い程度は出来ればしたいと思っている。10分ほど立ち話をしたが、橋の歩道を往来する観光客は邪魔と思ったであろう。Fさんと別れた後、往路とは違う道を歩くことにした。そして、渡月小橋に差しかかった時、急に筆者は自治会が毎年8月下旬に法輪寺の境内で催す地蔵盆の際に、地蔵の祠前に古老が車で運んで来る石仏を思い出した。それが普段はどこにあるのかと、その古老に昔訊ねると、渡月小橋の下と言われた。その設置場所をこれまで調べなかったが、渡月橋のど真ん中で副会長になったFさんと出会い、地蔵盆を思い出したのだ。まず小橋の左岸上流側に降り立った。石仏はない。それで橋を南にわたり、また石段を降りようとしたところ、石段を下り切るまでに橋桁に埋め込まれる形で据えられていた。2体あって、右の大きな方は中央で斜めに真っ二つに割れている。いつ頃の時代のものか知らないが、数年前の台風に伴う洪水の際にはすっかり水没するなど、この小橋は昔から何度も被害を受けている。その過程で川底に落ちたこともあったであろう。嵐山地区では最北端にある石仏で、わが自治会の住民が世話をしている。観光客のほとんどはこの存在を知らない。筆者もようやく今日、本来の場所で見た。