貧富の差がますます拡大する日本で、このままでは人口減少が続いて小国になってしまいそうな気配だが、戦後からこれまでが運がよかっただけと考えればよい。

京都の丹波では、高速インターから3分ほどのところに、引っ越したその日から暮らせる、大きな庭、蔵、それに家財一式や畑のついた、部屋が10以上もある大きな和風の家が1500万円で買えるが、その数分の一にもならない居住面積の東京の新築マンションが6000万円台とのことだ。日本の田舎が崩壊し、一方大地震でひとたまりもない事態が現実味を帯びているのに、大都会はますます膨れ上がる。漱石はいずれ日本は滅びると小説に書いたが、百年二百年で考えれば、漱石の予想どおりになって来ていると言えるのではないか。筆者の周囲には中国を侮蔑する人がたくさんいるが、彼らが日本に観光でやって来なくなると、各地に雨後の筍のように出来た、また出来つつあるホテルや民泊の何割かはつぶれる。風風の湯で会う81さんのMさんは中国や他国から観光客がやって来ることには大歓迎で、彼らのお蔭で風風の湯も経営が成り立っているという事実を何度も口にする。そのうち日本人が中国に出稼ぎに行くようになる予感もあるので、侮蔑はほどほどにしておいた方がよい。それどころか、今のうちに義務教育で中国語を学ばせ、中国から利益を引っ張って来る人材を量産するのがいい。日本は資源の乏しい島国であるから、どう転んでも地球上のその時々の超大国とうまい関係を築く必要があり、アメリカ一辺倒から中国へもという八方美人的交渉を心がけるべきだ。富士正晴が生きていると、現在の日本や、また日本と中国の関係をどう思ったかを筆者はよく想像する。古来中国から多大の文化を持ち込んだ日本で、それに比べるとアメリカとの関係はつい最近のことであって、日本はいつでもふたたび中国大歓迎になれるはずだ。現在の中国の共産党との関係をどうするかという問題については、お互い内政干渉せず、利になることだけ求めればよい。そのうちそのような日本になると思うが、そうなった時、日本がますます小国の道をたどっているのか、あるいは存在感を増しているのか、それは現在の政治や国民の意識に関係している。ところで、戦時中の日本は中国や東南アジアに神社を造ったが、日本が仮にどこかの国の支配下となると、神社は取り壊されるだろうか。その国が仏教国であれば、日本の寺は残るだろうが、キリスト教であれば神社と寺は全部教会に変わるかもしれない。国がなくなるとはそういうことだが、国がなくなっても民族が生き延びればいいと思う人もあるし、現在の日本を捨てて海外移住する人もあって、他国に制服される前に日本は外国人が思うような日本でなくなる可能性が大きい。いや、もうそうなっているところは多いかもしれない。

西宮神社の十日えびすは外国人観光客にとってどのように映っているだろう。彼らのお参りが年々増えているのかどうか知らないが、伏見稲荷大社の千本鳥居のような印象的な何かがなければ、なかなか無理だろう。それほどに日本には神社が多く、境内の大小の差はあってもだいたいどこも似た雰囲気で、どういう神様を祀り、どういう御利益があるかを訪れる人はあまり知らない。それで神社もあらゆることに御利益があるとばかりに宣伝する。そのいい加減さがいいのであって、来る者拒まずの間口の広さは日本の特長として再確認する必要がある。ところで、西宮神社の十日えびすは3日間で100万人が訪れるそうだが、これは朝から晩まで人でごった返すほどであろう。それで事故や事件が起こらないようにと警察や警備員が見張ることになるが、今日の最初の写真を撮った時、筆者は大きなマグロのそばに立つ警備員と目が遭った。これは高価な商品に何かされては困るという神社側の思いとしても、あまりいい気分ではなかった。だが、来る者拒まずから神社仏閣の建物への被害がままあり、有名であることは痛し痒しだ。大マグロは先日書いた柳原蛭子神社でも奉納されるようで、昔なら大鯛であったと思うが、寿司ブームとともにマグロ人気が高まり、寿司ネタの代表となっている。ちなみに筆者はさほどマグロ好きではなく、安物のイカが好きだが、去年はイカの不漁で、回転寿司店ではイカが品切れの日が続いた。写真では見えないが、参拝者はマグロに硬貨を貼りつけるのが慣わしらしく、その際に変なことをされないかとそばで警備員が見張っているのだろう。汚れた硬貨を冷凍マグロに直接貼りつけるのは悪趣味でも、そのように始まった風習はなかなか変えられない。また、貼りつける場所はすぐになくなるから、1時間に一度とか、定期的に硬貨を除去するに違いない。写真には左端に蟹がたくさん写っている。その背後の酒の山とともに、これらの奉納品はどのように後でさばくのか、多少は気になる。前にも書いたが、酒の神を祀る松尾大社では造酒会社から大量の酒が毎年届くが、それらが地元のたとえば自治会にお裾分けされた話は聞いたことがない。酒なら多少保管が利くからいいが、マグロや蟹はなるべく早く食べる必要があり、十日えびすが終わると、氏子代表などを招いて宴会をするのかもしれない。この大マグロは本殿に向かって左手後方で、最も人で混雑する場所にある。それは赤門から入って最後の到達点と言ってよく、この大マグロを見れば後は帰るだけだ。本殿に向かって左右に出口があり、筆者らは右手つまり東から出た。すぐに近く大きな社務所があって、巫女たちがおみくじや福笹を販売している。境内地図によると、社務所は本殿より大きいが、実際そうで、この社務所がほぼ正方形の境内の北端中央にある。

同じように不思議なことは、赤門から本殿に至る道は、境内で最長になるように、つまり対角線上に設けられている。3つの門のどこから入っても、本殿に至るまでの距離がなるべく長くなるようになっていて、これは限られた境内をより広く感じさせるためではないか。参道から門を入ってその正面に本殿があるという左右対称性の厳しさとは違って、回遊式の楽しさがあるのだが、それは福の神を祀るのにふさわしい。今日の2枚目の写真はどこで撮ったのか記憶にないが、社務所のそばだろう。丸型は鯛、通常の絵馬の五角形は鯛えびすが描かれている。昔から鯛は絵になるが、マグロが描かれた絵馬は見たことがない。それに「マグロのような女」というように、マグロはあまりいい意味では使われない。鯛は色、形、味がよいが、マグロは大き過ぎてグロテスクでもある。味も鯛ほどではない。つまり、マグロは鯛よりもうんと格が落ちると思うが、食材として目の色を変える人が多い。3枚目は神楽所の近くで撮った庭津火神社で、東門に向かう途中で見かけた。立て札の最後に「荒神さまとして信仰されています」と書かれるが、土地の神の性格が強く、塚状の土盛りが祭神となっている。本殿に向かって左手から出れば他の神社をいくつか見ることが出来たが、それを知ったのは家に戻って境内地図を確認してのことで、本殿で混雑にもまれながら賽銭を投げた後は今日の最初の写真を撮り、社務所に向かった。それは阪急阪神1日乗車券を購入した時にもらえた初詣祈念品授与券を祈念品と交換するためで、どこで持参すればいいのかと思っていると、「授与券を持っている方は○○へ」といった案内看板がすぐに目に入った。巫女は手馴れたもので、券の右端の一部をもぎ取り、そしてはがき大の白い紙袋をふたつ手わたしてくれた。筆者ら以外にそれを受け取っている人は見かけなかった。ほとんどの参拝客は兵庫県在住か地元住民だろう。また大阪の人は夕方以前に来るのではないか。ともかく、最初の目的は果たし、また阪神の西宮駅に向かった。往路とは違う道で、屋台が並び、また駅からこっちに向かって来る人が多く、まだまだ賑わいが絶えないようであった。道は石で舗装されるなど、豊かな経済力が垣間見えた。酒造の本場でもあるからだが、十えびす以外の残りの日は賑わいがどのような具合なのか。今日の4枚目は祈念品としてもらえた小さな小判型のお守りだ。これを裸にして財布に入れておくと、金運が上昇するとある。真ちゅうなのですぐに艶はなくなるが、毎年訪れて新品と交換しろということだ。これとほとんど同じものを、嵯峨に昔あったホームセンターでは、正月の売り出し期間中に買い物をすればくれた。それを10個ほど持っていたが、黒っぽくなったので、たぶん捨てた。貧富の差が激しい今、貧乏人はせめてこういう金ピカの贋小判を財布に入れて心が豊かになる幻想を抱くのがよい。「笑顔に福は訪れる」と言うではないか。