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●神社の造形―西宮神社、その2
いことでも神様は聞いてくれる。この場合、何が悪いことでいいことかは人間の間でも決まっていない。あることを望んだ時、それは誰かに被害を与えることかもしれず、よいことと思っていても他者からはそう見えない場合がある。



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去年の暮れに東京の神社で弟が姉を刀で斬り殺す事件があり、自分の望みがかなえられない場合、後々まで祟ってやるという遺書を書いていたことがわかった。つまり、祟りという怖いことでも神様は聞いてくれると信じられているが、願い事であれば何でもで、悪魔と神様という対比で日本の神を考えてはいけない。西洋的な悪魔にも神様にも成り得る存在で、個人からすれば力強い精神的な味方だ。何かを成就したい時、その心のよりどころになるのが神様で、これを神頼みとして嘲笑する人もあるが、人事を尽くして天命を待つというその時に自分を超越したその天の存在に思いを馳せることは誰にもあるだろうし、それは神を意識していることに等しい。人間は何かを始める時に神を意識し、誓いを立てることを好むが、神社はそういう思いを受け止める場所として機能して来た。今後もそうだろう。これは信じ深いというのとは違って、人生の区切りで気分を一新したいためだ。今は韓国で冬季オリンピックが開催されているが、競技が始まる直前、3秒ほどの待ち時間がある。その張り詰めた雰囲気の中で競技者はみな無心だが、神がいるような気がしているのではないか。あちこちの神社を訪れる筆者だが、信じ深くはない。無料であることと、長い歴史が感じられるのがいいからだ。神社を取り囲む民家は古くても100年で、たいていはその半分も経たない間に建て変わる。その味気なさに比べると、樹木が生い茂って森閑とし、掃き清められた地面を踏み歩くのは気持ちがよい。神社のそばに家があれば、玄関前に車の往来の激しい道路があるよりかは断然いい。だが、これも人さまざまで、ガレージから車を出してすぐに大通りに出られる家がいい人もある。これは以前に何度か書いたが、筆者は京都に出て来た頃、仕事場が梅宮大社の近くで、その境内の脇を自転車で走りながら鬱蒼とした林を見ながら、大阪にない京都らしさを感じたものだが、2年後にはその神社から50メートルほどの染色工房で働くことにし、また住まいはやがてその工房の隣りとなった。そしてそこで数年暮らしたが、毎晩神社の森からフクロウの鳴き声がよく聞こえた。家内とそのフクロウのことをよく話したが、それほどに自然が豊かであったのに、嵐山に引っ越す前か、少し後か、フクロウの泣き声は聞こえなくなった。神社が木をたくさん切ったからだが、その後さらに切り倒し、駐車場になった。空が広くなってフクロウが住めなくなった。境内のどこかにフクロウの死骸があったと思うが、それを想像するのはさびしい。だが、梅宮大社のフクロウが死んでもどこかに生きている。もっとも、最近はフクロウ喫茶という新たな商売でフクロウが虐待されているが、フクロウは50メートルは離れたところで夕方以降に鳴き声を聞くものだ。
●神社の造形―西宮神社、その2_d0053294_23343930.jpg
 歴史の長い梅宮大社が境内を縮小し、自然が減って来ているのは、神社を取り囲む民家の変化の影響を受けているからだ。経営が苦しく、境内の一部を切り売りする、あるいは全部売って移転する話は京都で聞く話だが、人口が減少しているのに民家は増える一方で、神社が小さくなって行く。やがて空き家だらけの国になってそれらは空き地になるが、そうなっても神社の境内は大きくはならない。そして、そのうちまた何かがきっかけで人口が増え始め、神社を民家が取り囲み、また境内は縮小に向かいということを繰り返し、いつか神社は日本からほとんど消えるだろう。だが、そうなっても誰も困らない。梅宮大社のフクロウがいつの間にかいなくなったことと同じで、気にする人が筆者のようにいても、それだけのことだ。さて、西宮神社の続きを書くが、えびす宮総本社であるからには、遠い将来ほとんど消える神社の中には含まれない。境内の周囲の変化は著しいと思うが、まさか神社を見下ろすような超高層建築で取り囲まれるような時代にはならないだろう。とはいえ、境内の南は頭上を走る阪神高速が接し、それが出来る以前に生きていた人からすればほとんど言語道断なことだろう。それをほとんどそう思わない人たちがいつの時代もどんどん生まれ続け、神社の周囲は想像を絶するほどに変化して行く。そうであるから神社を訪れると、変わらないものを感じることが出来る。それはたとえば古い絵画を見る気分と似ているが、古くて確かな何かに自分をつなげたいからではない。神社や名画は筆者に全く無関係に今後も長く存在し続ける。そういう存在を思うことの安心を得られるだけでいいのだ。筆者は名所旧跡を自分と一緒に撮影することはしないが、今はスマホでそれをする人が多い。そういう写真は、誰でも知っている何かと、ほとんど誰も知らない個人が収まっている。そしてその写真を見る人は、有名な何かに気づくと同時に、そこに写り込む人物をおめでたいと思う。そういう写真が1億枚撮影されても、そこに写る人は取るに足らない存在で、一方誰でも知る何かは今後も存在し続ける。これは有名人と一緒に撮る写真でも言える。その有名人のファンからすれば、そこに写る見知らぬ人は邪魔者以外にあり得ない。写っている本人は有名人のそばで笑顔を作るが、有名人はいつまでも有名であるのに、自分は誰にも知らない。そういう思いからでもないが、筆者は神社を訪れても自分の姿を写さない。誰にも見せない私的な写真であればいいかもしれないが、私的な写真でも筆者は自分を撮影することは稀で、撮っても顔をほとんど見せない。自分の存在は自分が撮った写真に感じられるだけでよい。
●神社の造形―西宮神社、その2_d0053294_23340621.jpg
 ネットの地図を確認すると、筆者が昔からよく訪れる西宮市大谷記念美術館の最寄り駅である阪神の香櫨園駅から西宮神社の南門までは500メートルほどだ。筆者は同駅から西方の同美術館には足を運ぶのに、同駅から東には一歩も踏み出したことがなく、その500メートルの道は未知だ。すぐ近くにあるのに、長年それに気づかないことは人生においてよくあるだろう。同美術館に次に行く時はその500メートルを歩き、先月11日には利用しなかった南門から境内に入りたいが、日が昇っている間に訪れればどのように雰囲気が違うのかに関心がある。それはともかく、先月11日は東にふたつある門のうち、南の赤門から入るように指定されていて、出口はその北の東門か、阪神高速沿いの南門であった。筆者らは東門から出たので、南門は見ていない。それに、「その1」で紹介した「十日えびす境内地図」の左半分の赤い順路を歩いていない。その思いがあるので再訪したいが、十日えびすの夜に訪れたのはほとんどたまたまであったが、よい経験であった。今日の写真の説明をする。最初は境内のほぼ中央にある本殿に向かう道の半ばで見かけた奉納された漁の旗だ。大漁旗はもっと大きいものが普通と思うが、これらの旗は奉納用で、多数飾るために寸法が小さく決まっているようだ。また、これは猟師が奉納したものとは限らず、伏見稲荷大社の鳥居のように、誰でも一定の金額を納めると飾ってもらえるのだろう。旗を染める原価は数万円としても、神社への寄進がその何倍かは要するだろう。大漁旗を専門に染める業者があって、そこと提携しているのだろうが、自分でどこかに染めさせた旗を持参しても同じ料金を納める必要があるのではないか。神様のことであるのでケチなことを考えてはいけないが、せっかく飾られるのであれば、自分の好きなデザインにこだわる気持ちはわかる。この旗の向こうは神楽所という、筆者らは見なかった池に面する細長い建物だ。神楽を舞うのは普通正方形の建物と思うが、ここではかなり大きく、大人数を収容することが出来る。2枚目の写真は1枚目を撮った後、来た道を振り返って撮った。右手に灯篭に照らされる奉納旗が見える。奥の黒い鳥居は珍しい。それを真正面から撮影したかったが、人の波に圧倒され、無理であった。この鳥居は神楽所のほぼ南端にある。3枚目は2枚目の撮影位置から北西50メートルほどで、本殿前の門だ。この右手に社務所がある。4枚目は本殿で、2枚の写真を上下につないだ。特徴ある3連の屋根が堂々としている。人の波はここでしばし溜まるから、賽銭を投げるのも順番待ちだ。毎年の福男を決める走りは、赤門から入って今日の2枚目の道を通過し、3枚目の写真の門がゴールだと思う。それと同じ道を家内と歩き、えべっさん気分は盛り上がった。
●神社の造形―西宮神社、その2_d0053294_23350669.jpg

by uuuzen | 2018-02-17 23:59 | ●神社の造形
●『SUMMER ‘82 : ... >> << ●神社の造形―西宮神社、その3

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