他人と血縁とではどちらが気楽かと言えば、一概に言えない。どちらにもそれなりに気を遣うことがあるし、またどちらにもそれなりの楽しさがある。

身内で関係をこじらせると、他人より始末が悪いとよく聞く。そのことからも必ずしも身内が他人よりどういう場合でも信頼出来るとは限らない。小さな子どもの頃でも、同じ世代の親類全員と仲よく打ち解けることはないから、年齢を重ねるほどに反りの合わない親類が増えるのは道理ではないだろうか。そうは言っても会えば笑顔で話す。だが、ただそれだけのことで、普段は意識に上らない。人間にはほどよい距離という関係があるようで、それは夫婦でも言えるだろう。今の日本では夫婦3組に1組が離婚するそうだが、もともと他人が一緒になった夫婦であるからそのことに驚かないという意見がある。もともと他人というのは何だか冷たい表現で、他人は身内より低い存在と認識されている。では身内がとても少ない人の人生はとてもさびしいということになるが、煩わしくなくてよいと思う人もあるだろう。筆者はごくたまにだが、これまで優しく接してくれた人のことを思い出すことがある。もう会わない、会えない人が多いが、その人のことを思い浮かべるだけで、これまでの人生はよかったと感じられる。筆者は自分のことだけで精いっぱいで、ほとんど他人には何の助けもして来られなかったが、それは身内に対しても言える。筆者は息子を厳しく育てたつもりで、それがよくなかったのか、すっかり世間に怖気づくような性格になってしまい、夢を持っているようには見えない。そのひとり息子のことを家内は憐れむが、もう30代前半のいい大人で、ひとりでも生きて行けるし、またそうしなければならない。その点がかなっているだけでも筆者は喜ぶべきで、最近は息子の立場で物事、世間を見つめなければとよく思う。9日の夕方に息子が帰って来て、13日の早朝にひとりで起きてわが家から仕事場に向かったが、2か月に一度くらいの割合でいいので、また帰ってくればいいとLINEで伝えておいた。帰っていた間の4日間、息子はほとんどTVの前という同じ場所に座ったままで、少しくらいは散歩でもしろと言ったが、寒い中を嫌がった。それで無理やり11日と12日は息子とふたりでスーパーに買い物に出かけた。息子が帰宅すると、洗濯や食事の量が増えるので、家内はどっと疲れる。それを少しでも減らすには、せめて買い物は家内に代わってやらねばならない。そのように息子に言い聞かせると、納得した。11日は梅津のムーギョとトモイチ、12日は嵯峨のふたつのスーパーと、普段筆者と家内が買い物に行く場所を、初めて息子と歩いた。さして話すことはないが、息子にとっては育った街であり、息子に街の変化を示すと、それなりに感想を漏らす。何でもないただの買い物がてらの散歩だが、一緒に歩くことで息子はひとりになった時に思い出すだろう。記憶は意識して宿るものばかりではなく、また何気ない拍子に蘇る場合が多いが、終日TVの前で座っているよりも動き回った方が記憶は豊かになり、思い出して楽しい。

筆者は優しくしてくれた人を思い出すと、その人と一緒にいた時のことも思い浮かべる。必ずしも歩いたことばかりではないが、肩を並べて歩いたことは特に印象深い。一緒に同じ方向に歩くことは、その間の時間はふたりは同じ人生を生きたことになる。筆者はまたそのように一緒に歩くことを誘いたい人があるが、遠慮が先に立って行動に移せない。そしてまた一緒に歩くことを夢想する。そしてそれだけでも楽しい。息子にもそういう人がたくさん現われることを願っているが、それには親の導きが多少は必要だろうか。60代半ばとなると、もうほとんど夢らしきことはないが、息子が今の筆者の年齢になった時、楽しい人生であったと思えるようにはなってほしい。それが目下の一番大きな夢と言ってよい。何が楽しい人生であるかは人さまざまで、息子は筆者とは考えが違うはずだが、優しく接してくれた人の顔を次々と思い浮かべられるような人生が最も楽しいのではないか。それには自分が優しくあるべきで、その点で息子は合格していると思うが、優し過ぎると侮られ、ひどい目に遭うこともある。最近知ったが、息子は知り合った誰かに10万や20万という金を貸し、結局戻って来なかったという。昔の筆者なら激怒したが、それを聞いた時、筆者は息子を叱らなかった。いい勉強をしたと思えばよい。そうそう、息子が小学校の卒業式から帰って来た時、つい先ほど学校から記念にもらったばかりのテレフォン・カードをどこかで落として来たことがわかった。筆者は叱ったが、息子は誰かが得をしたのだから、それでいいと言った。そのように欲のない子どものまま大人になった息子で、金には執着がない。その点は筆者と同じだが、金儲けが下手過ぎては、結婚は無理だ。世間ではそういう男をアホと呼ぶ。だが、人を騙すより騙される方がよい。話題を変える。ムーギョを往復する時、筆者は必ず松尾橋の北側の歩道から四条通りの北側沿いを歩く。ムーギョが北側にあるからだが、日差しのつごうもある。だが、20回に一度くらいは南側の歩道を歩く。1月の下旬、筆者と家内は松尾橋に向かってその南側の歩道を歩いたが、今日の最初の写真のように、畳1枚ほどの石仏群を据える区画に気づいた。2枚目の写真は去年7月撮影のグーグルのストリート・ヴューで、同じ場所にそれがない。この石仏はどこから持って来たものか。筆者の想像では奥に見える駐車場の片隅にあったものだ。四条通りの西端は、昔は何もない、あるいは死体を放置するような場所と聞いたことがある。この石仏のある付近はわずかに田んぼが残っているが、明治以降は工場地帯となった。車の出入りに支障を来たさない程度の片隅に石仏を移動したのは、元の場所では邪魔になったからと思うが、ゴミとして処分することは憚られる。ともかく、突如出現したこの石仏は建物が密集する梅津の四条通りでは異様さを放っている。ムーギョとトモイチを回った後、この場所に来て筆者は息子のスマホで撮影させた。息子には関心のない光景だろうが、親父が撮影しろと言ったことをいつか思い出すこともある。記憶は何気ない拍子に蘇る場合が多く、動き回って記憶は豊かになり、思い出して楽しい。