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●『SUMMER ‘82 : WHEN ZAPPA CAME TO SICILY』その8
曲はないはずだが、千ヴァージョンはあるだろう。なくてもいずれそうなる。ザッパの曲はとにかく多く、同じ曲でも違う題名の場合がある。Rがひとつあるかないで別の曲もある。



昨日取り上げた『ロキシー・パフォーマンス』の6枚目にある「FARTHER O‘BLIVION」と「FATHER O‘BLIVION」がそうで、ザッパの音楽を聴き始める人は戸惑うことが少なくないだろう。昨日筆者は「カン・フー」の曲について少し触れたが、今朝のアメリカの大西さんからのメールに、1973年8月の演奏を収めたアルバム『ロード・テープ#2』に同曲が演奏されているとあった。そう言えばそうで、ザッパはボリック・スタジオでその4か月に録音したことになるが、これはツアー前にスタジオ録音したとは限らないことを示唆するかもしれない。スタジオを借りての録音は金を要するから、メンバーは多少違えども、ツアーで充分こなれてからスタジオで録音するという考えであったのだろう。だが、今回ようやくスタジオ録音が発売になったが、ザッパは「カン・フー」を正式には発表しなかった。ということは、ボリック・スタジオでの録音も気に入らなかったとも考えられる。これは曲をもっと拡張したかったか、別の曲の一部として利用したかったか、また「カン・フー」の題名は仮であったからかもしれない。さて、今日はこのたびの一連のザッパに関する投稿の最後として、また『シチリアのザッパ、82年夏』がらみで書く。その前に昨日書いたことの訂正をしておく。ザッパは右翼を嫌った云々と書いた。これは正確ではない。共和党も民主党も右翼で、ザッパが嫌ったのは共和党だ。一方、ザッパが共産党を嫌ったことはDVD『EAT THAT QUESTION』で語られるが、その理由までは明らかにされない。自由がないと思っていたからだと想像するが、その意味で言えばザッパは自分の才覚で才能を発揮し、有名にも金持ちにもなれるアメリカン・ドリームを歓迎していたと言える。ところで、昨夜の投稿の最後辺りを書いている時、筆者は映画『ブーベの恋人』を思い起こしていた。そう言えば、アルバム・デビュー頃のザッパはアヴェドンによってその映画の主役となった女優クラウディア・カルディナーレと一緒にスタジオで撮影されている。撮影にどういう経緯があってのことか、また何に使われたのか、筆者は長年気になっている。それはともかく、『ブーベの恋人』はブーベという共産党の貧しい青年が殺人を犯したことで10数年の刑を受け、彼が出所するまで待つという女性を描いたもので、1963年だったか、日本ではその映画音楽が大ヒットした。映画ももちろん有名で、戦後のイタリアの貧しい暮らしが描かれ、イタリアにおける共産主義の存在感が大きかった。
●『SUMMER ‘82 : WHEN ZAPPA CAME TO SICILY』その8_d0053294_23595208.jpg
 『シチリアのザッパ』を製作したクッチャ監督の生まれ故郷は、同DVDの解説に書いたようにパレルモ南方のシチリア東部の町ヴィラフラーティだ。同DVDの感想「その3」に、山の斜面に広がるその小さな町の西にあるパレルモ街道から分かれて北へと進む道との分岐点の眺めを、グーグルのストリート・ヴューからの画像を載せた。同DVDでは冒頭にそれと同じ分岐点に笑顔で立つクッチャ少年の8ミリ映像が挿入される。それは撮影を趣味としていた父親が撮ったものだ。クッチャ監督は一度はザッパのようにロック・ミュージシャンに憧れ、ギターを奏でたが、映画監督への道を進む。『シチリアのザッパ』を撮ったのは必然であったが、一方でマフィアを主題とする映画を撮っていて、シチリアに因むことにこだわっているようだ。『シチリアのザッパ』ではマフィアに関することも描かれるが、それはザッパとマフィアの関係を示唆したかったということではないだろう。もちろんザッパとマフィアに直接の関係がないからだが、ザッパの父がシチリアからアメリカへ移民として渡航したからには、多少はザッパとマフィアを対比して考えることは必要ではないか。そのことが念頭にあったので筆者は前述の『ブーベの恋人』を思い起こしていたのだが、それはイタリア中部の物語だ。イタリアには南北問題があって、全体をひとくくりには出来ない。そこでシチリアでは共産主義はどうであったのかという疑問が湧くが、中部ほどには浸透しなかったであろう。貧しいシチリアでは共産主義が台頭して当然に思えるが、アメリカにわたってマフィアとなった連中は日本で言えばやくざであって、政治家や権力者とつながっていることを暗に誇示しておとなしい商人たちから搾取する。シチリア島のマフィアはクッチャ監督の故郷のような北西部ではなく、南西部の農村に多いそうだが、ザッパの父も北西部の生まれで、マフィアとは無縁ではなかったであろう。移民で渡米して何らかの職業を得ようとする時、同じシチリア出の成功者の手引きといったことが必要だ。そこにはアメリカのマフィアが大なり小なり介在するはずだが、黙ってみかじめ料を支払うか、あるいは自らの才覚によってマフィアの影響のない地域に住むかして生きて行くことは可能だ。ザッパの父はそのようにしてシチリアの北西のパレルモから地中海を西に進み、アメリカの東端に住んだ後、西部のカリフォルニアへと移って来たのではないか。数百万ものイタリア移民があれば、マフィアとは無関係に生きた人たちが多くて当然だ。だが、50年代末期や60年代初頭のアメリカでは、イタリア系というだけで白眼視された。そのことでザッパはある刑事に陥れられ、刑務所に1か月ほど入ることになるが、世間のそういった偏見を痛いほど知っていたザッパが、人をあまり信じないような態度であったとしてもそれは理解出来る。
●『SUMMER ‘82 : WHEN ZAPPA CAME TO SICILY』その8_d0053294_00003184.jpg
 ザッパは労働組合を必要のないものと思っていたようで、それを歌った曲もある。これはシチリア人の考えでもあるだろう。労働組合不要の考えは共産主義嫌いと通じていて、親分が手下の面倒を見ればよい、また仲間を大切にするという考えだ。ザッパはマザーズでそういう活動を続けたと言ってよく、それはシチリアにおける大地主対小作農民の対比でもある。貧し過ぎる農民たちが大地主に反旗を翻すといったことがシチリアの歴史にあったのかなかったのか知らないが、貧しさの中から現われたマフィアは大地主を殺してその地位に就くよりも、アメリカ移民となって富を築くことを考えた。そこには大地主とつながる政治家や教会の存在が圧倒している一方、農民たちは無学文盲で共産主義の根づく余地もなかったからだろう。ザッパの曲に大統領やTV伝道師への風刺は目立つが、風刺の対象は彼らに限らず、とても広かった。だが、アメリカのマフィアに対してどう思っていたかまではわからない。『シチリアのザッパ』でザッパはマフィアは今も世界中を走り回っているだろうとつぶやくが、そこにはマフィアへの関心はうかがわれず、また父親がマフィアの話をほとんどしなかったことも想像される。クッチャ監督がザッパのそういう側面をどう思っているかだが、『シチリアのザッパ』でザッパが同島を訪れた82年頃はマフィアの抗争が激しさを増していたことを伝えたことは、シチリアとアメリカを結ぶ、今なお誰もが真っ先に思い浮かべるマフィアの存在を無視出来ないことを考えてのことだろう。同DVDではまたパレルモの守護聖人のお祭りについても言及される。それもシチリア人以外にはかなり珍しいことで、ザッパとカトリックの関係についても思いを巡らす必要を感じさせる。今日の3枚の写真でそれに関係する。前述の「その3」に載せた、パレルモ街道から東に分岐して山手のヴィラフラーティに向かうストリート・ヴューの画像の右端には、高さ数メートルの後ろ姿の白い立像が見える。2010年3月の撮影で、あえてその像を収める形でトリミングしたが、その像はヴィラフラーティ方面を向いている。街道の分岐点のすぐそばであるので、これは街道をパレルモに向かって走る人に対してのヴィラフラーティへの玄関を示す聖人像に思える。いわば敬虔深い。『シチリアのザッパ』ではこの街道はもっと鄙びていて、また像はなく、現在は像の近くにある郊外型のショッピング・モールもない。ザッパが訪れた82年でもそうであったろう。近年ヴィラフラーティ付近のパレルモ街道は拡幅され、分岐点奥にあった背の高い樹木は切り倒された。今日の1、2枚目はそれ以前の3月撮影で、3枚目だけが去年夏の撮影だが、パレルモ街道にもヴィラフラーティへと続く脇道もガードレールが設置されている。そして、聖人像は北へ数十メートル移動し、ショッピング・モールを向く。つまり、この像はもともとショッピング・モールを建てた人が敷地の隅に設置したもので、道路の拡幅に伴って、店の宣伝に最もつごうのよい場所に移動したようだ。町の守護聖人ではなく、店の経営を守ってくれる聖人となれば、日本の戎大黒の像と同じで、とてもわかりやすい。
●『SUMMER ‘82 : WHEN ZAPPA CAME TO SICILY』その8_d0053294_00004997.jpg

by uuuzen | 2018-02-16 23:58 | ●新・嵐山だより(特別編)
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