杉で絵馬を作ると思っていたが、決まりはないらしい。昔は馬の絵を描いて奉納したので絵馬と呼ぶが、今は変り種が多く、形も絵も自由になっているが、だいたい軽い木という印象があり、やはり杉板を最もよく使う気がする。

由緒ある杉の古木を使った杉絵馬と呼ぶものを作っている神社もあるが、そういうものは高価で、またそれだけに願い事がかなうと信じられやすい。絵馬は神社が趣向を凝らす造形であるので、なるべく神社を訪れた時にはそれを撮影するつもりでいるが、願い事が書かれているものは個人情報保護がうるさい今ではなるべく個人の名前がわからないように載せたいが、名前でなくても愛称やまた筆跡で個人が特定出来る場合があって、画像の投稿は悩ましい。さて、先月11日に十日戎の最後の残りえびすに行こうということで、家内と神戸方面に電車で出かけた。最後に訪れたのは西宮神社で、先ほど写真を投稿のために加工したが、3回の投稿分がある。実は西宮神社にはここ数年は行きたいと思っていて、去年の夏に阪神の西宮駅に降り立った。そして駅前に出た途端、空の雲行きが急に怪しくなり、雷雨が始まった。それで駅前のスーパーに避難したが、天気がよくならず、駅に戻って梅田に出た。またかなり昔に家内と一度訪れたことがあるが、ほとんど記憶になく、それで再訪したかったのだ。それはこのブログのためでもあるが、もうひとつの理由はよく神戸方面、特に西宮市大谷記念美術館に展覧会に行くのに、そこから1駅のところにある西宮神社に立ち寄らなかったためだ。最近地図で調べて知ったが、同美術館の最寄りの駅の香櫨園から東300メートルにこの神社があり、同駅から同美術館までの距離と変わらない。そんなに近いにもかかわらず、同駅から歩いたことがないほどに、西宮という土地を全く知らない。家内の親しい友人が住んでいるが、市内を何度か転居し、また年賀状によればいろいろと込み入った家庭の事情を抱えているようで、こちらから連絡して会いに行きにくい。西宮神社は関西では毎年必ず十日戎の福男が誰になるかの映像がTVで流れるが、今年もそれを見た。それで残りえびすには出かけようかと思ったところがある。毎年福男は陸上選手など、足の速さに自信のある若者が早朝から門の前に並び、開門と同時に一斉に本堂まで走るが、あまりの速さで急に停止出来ず、神社に勤める若い人たちが体で受け止める。それがどの門からどのように走るのかが、今日の最初の写真の右に写る「十日えびす境内地図」でわかる。それを11日に出かけた時にどこでもらったのか記憶にないが、境内の東は「えべっさん筋」という大きな通りで、南側の赤門から入ることになっている。そこから本殿前まで200メートルほどだろうか、十日戎の参拝客も同じルートをたどり、帰りは赤門の北川の東門か、南門から出る。多くの人で混雑するので、一方通行になっているが、阪神電車で帰るのであれば東門の方が便利で、筆者らはそこから出た。

境内地図を見ると、南門であればあらえびす(沖恵美須)神社の前を通るので、そっちの方がよかった。その神社を撮影することが出来なかったからだが、それを言えば境内北西角の大国主西神社も見ていない。そのように境内地図をじっくりと見たのは、帰宅してからだ。当日は人の流れに乗ればそのまま本殿前に連れて行かれた。そうそう、書きながら思い出した。昨夜、正確には今朝だが、夢にこの神社を訪れた時のことが形を大きく変えて出て来た。背中がぞくぞくとすると同時に映像が浮かんでは消え、そのかすかな感覚がどういう内容か正確には思い出せないことと相まって、とても変な感じだ。そのことに関係するのかどうか、同じ日に神社を3つも訪れることは神様に失礼ではないかとの思いがある。何年前か、同じ自治会の住民の、絵を描いているOさんと一緒にあべのハルカスに展覧会に行き、その次に住吉大社に足を伸ばした。そこでOさんは、境内にある神木にはあまり近寄らない方がいいと言った。理由を訊かなかったが、その言葉をよく覚えていて、また実際そのとおりだろうなとも思う。そして、面白半分で神社をたくさん訪れるのはよくないのではないかとも思うようになったが、筆者が十日戎に3つの神社を梯子することが面白半分かどうかと言えば、その神社独特の造形を確認する意味ではそういう面はあるが、そればかりでもないと思う。こうして書いていて今朝の夢をまた思い出しかけていて、書いていることが夢ではないかとますます変な気分になるが、一方では今朝の夢ではなく、ブログを書き始めた時、筆者の別の意識が思ったことではないかとも考えている。実際に神社を訪れた時のことよりもその夢想した情景について書いた方が面白い気がしているが、それがよく思い出せない。夢なのでどうでもよく、さっさと忘れた方がいいが、意思に反して断片的に思い浮かんで始末が悪い。奇妙な気持ちに襲われるのは、節分が過ぎて日差しが明るくなって来たことと関係があるような気もしている。西宮神社に行ったことをこうして書く段になって、今朝はそれに関係する夢を見たのだろう。さて、駅に着いてどのように歩けば神社があるかはだいたいわかっていたが、駅の構内にある地図を見なくても大勢の人に混じって歩けばよい。それに、すでに暗くなっていたが、並ぶ屋台の灯りに誘導されもする。昔訪れた時はどの道をどのように行ったか全く記憶にないので、初めて訪れる気分になった。最初に気づいたのは道路が石のタイルを敷き詰めて豪華で、大阪のえべっさんより品がよい感じがする。そうそう、西宮神社を参拝した後、梅田に出ていつものように阪急東商店通りから天神橋筋商店街に向かい、その途中で堀川えびすの提灯の列が見えた。扇町公園を少し下がったところに同戎神社があり、また阪神高速道路の高架下で、好ましい立地ではない。その十日戎に20代の昔、家内と訪れたことがある。そのことを家内も覚えていて、提灯の列を見ながらお互いそのことを口にしたが、11日は神戸方面の3つの神社で充分という気がして足を向けなかった。

今日の2枚目の写真は十日戎の参拝客が最初に入る赤門だ。石の鳥居の奥に赤い板の門が見える。また人の多さもわかるが、立ち止まって待つほどではない。石の鳥居のすぐ手前右に祠があったのですかさず撮影した。それが3枚目の写真で、梅宮神社だ。思い出したので書いておくと、今年は初詣はしなかったが、2日に母の家に行った帰りの夜、梅津の四条通りを歩いた時、梅宮大社に参ろうとし、北に伸びるその参道に踏み込んだ。門が開いているかと思って50メートルほど先に行くと、家内が閉まっていると言った。それで引き返し、初詣はかなわなかった。その梅宮大社の末社が西宮神社の赤門の外にある。内側でないのは、あまり古くはないからだろう。また西宮には白鶴酒造があり、梅宮大社の酒の神様を西宮神社にも祀ろうという氏子がいたのだろう。生田神社には松尾神社があって、前にも書いたように、酒の神様を祀る神社として松尾大社と梅宮大社のふたつがあって、どちらも最古を誇っている。以前は同じ右京区であったのが、桂川を挟んで右岸の西京区に松尾大社、左岸の右京区に梅宮大社があることになって、うまく住み分けた形になった。前者は後者の数十倍もの氏子がいるはずで、財力もそれに応じるだろうが、筆者は後者のすぐ際に長年住んでいたことがあり、また今も従姉が住むので後者により愛着がある。3枚目の写真を撮っている間、家内は先へと進んだが、十日えびす境内地図にはこの神社は記されておらず、気づいてよかった。地図に記さないのは、門のすぐ手前で参拝客に立ち止まってもらっては困るからかもしれない。4枚目の写真は赤門を入って50メートルほどか、左手にあった。誰も立ち止まらない。真新しい白木の扁額に「南宮神社」と書かれ、その上には小さな文字で「廣田神社摂社」とある。調べると、広田神社は同じ西宮市内の北部にある。阪急の夙川駅東北2キロほどで、これは知らなかった。兵庫県唯一の官幣大社であったというから、一度は見ておきたいが、近くに美術館があればまだしも、住宅と学校が中心では訪れる用事がない。何事もついで主義の筆者にとって、神社だけのために初めての土地を訪れることはよほどのことがないと行く気になれない。それでは神様に悪いかもしれず、こうして書くこともよくないことと思うが、正直な思いだ。ともかく、西宮神社を訪れたことによって、西宮に広田神社という大きな神社があることを知った。それも御利益で、何かの機会に訪れる気も湧くかもしれない。今年の初詣は門戸厄神に行こうかと思ったことは先日書いたが、阪急の同駅から南西3キロが広田神社で、これは門戸厄神詣でのついでに歩くには距離があり過ぎるか。初めての土地であればその距離は倍に感じる。筆者ひとりなら歩くが、家内が一緒では難しい。