景色のいいところにある神社もいいが、街中のそれも味わいがある。最近新開地で新たに出来る娯楽施設の「喜楽館」の命名にまつわる醜聞が流れているが、筆者はそのことよりもそういう施設が出来ることに感心した。

先日書いたように筆者には神戸の新開地は未知の土地だ。いずれ出かけようと思っているが、一昨日は「喜楽館」の場所を確認した後、付近の神社もついでに調べた。南方1キロの範囲に数か所あって、新開地の商店街を歩くついでにそれらにも訪れようと決めた。家内には言っていないので、筆者があちこち歩くと文句を言うが、初めての場所は家内も好きだ。ちょっとした旅行気分になれるからだ。遠方に行くこともいいが、特に何か目当てのものがない旅行はしたくない。遠いか近いは問題ではない。何を見たいかだ。昔から地名はよく知っているのに訪れたことのない場所がたくさんあって、神戸の三宮から西は特にそうだが、阪急阪神の1日乗車券が利用出来る地域でもあり、まずは新開地を散策したい。さて今日は柳原蛭子神社の最終回だが、境内に入っての写真を4枚使う。写真に写る狭い範囲しか歩いておらず、正門の大きな朱の鳥居から入った場合の雰囲気がわからないが、境内は大勢の人でごった返していて、その混雑ぶりが魅力であることが同神社のホームページに載る、神戸の名所をたくさん作品化した川西英による多色木版画からわかる。それは戦前の作だが、そこに描かれる雰囲気は今と全く同じで、古くからこの神社が地元の人たちによって賑わって来たことがよく伝わる。先日も書いたが、訪れた11日に初めてこの神社の存在を知り、知ってすぐに訪れたことは幸運であった。十日戎を外すと、人はとても少なく、周囲の殺風景さが身に染みたであろう。そのため、11日は京都からの近場ではあるが、筆者と家内にとってはいつも以上に日帰りの小旅行気分が味わえた。長田神社から賽銭を投げ続けたので、次に訪れた西宮神社ではそれが枯渇したが、家内はバッグのあちこちを探ってどうにか硬貨を見つけた。金持ちなら札つまり少なくても1000円を賽銭とするが、当日は海福寺も訪れたので、計4回賽銭を投げた。それでは硬貨は仕方がない。またいつもは引くくじも買わなかった。そのような具合では、ますますよそ者を自覚することになるが、十日戎に集まる人々は他人がどこから来ているかは気にしない。みんな自分だけで精いっぱいで、また多くの人が集まる中に混じることが心地よい。そしてそういう場所を提供する神社は大きな役割を果たしているし、普段はひっそりとしていても、正月くらいは景気のよい雰囲気に満ちるべきだ。その点、柳原蛭子神社はJR兵庫駅前から続く屋台の列とともに大きな活気があり、何も買わなくても蛭子顔のように笑顔になれた。それは同神社を訪れた甲斐があったというべきで、人間はまず笑顔からだ。

今日の最初の写真は一昨日の4枚目の納札所から右手にある神楽殿だ。1間半四方だろうか、あまり派手な舞いは出来ない。ちょうど巫女が鞘から刀を抜いたところで、その様子にびっくりした。本物の刀だと思うが、それを持って舞う神楽は初めて見た。右手にカメラマンが写っている。やはり珍しいからだろう。刀を振り回す舞いは何となく物騒だが、その分印象深い。おそらくどの巫女でも出来る舞いではなく、この神社を代表する巫女のはずだ。最後まで見ればよかったが、人の混雑の中、家内が賽銭を投げるために人の列の後尾につくと言い、筆者から離れた。筆者があまりうろうろとしていると、お互い姿を見失うので、なるべく神楽殿近くにいたが、自然と目は本殿に吸い寄せられる。そうして撮ったのが2枚目の写真で、神楽殿のさらに右手にある。重厚な海老茶色に柱を塗る建物で、唐風の破風が堂々としている。これも阪神大震災以降の新しいものではないか。この地域も地震の揺れはひどかったはずで、新長田の商店街のような火災はなかったものの、倒壊した建物は多かったであろう。ホームページによれば震災の被害は免れたが、その後に本殿を建て替えたとある。この神社のホームページは写真が多く、見やすいデザインで、歴史などもよくわかる。地元にとって重要な神社で、多くの人に支えられている様子が伝わって好ましい。旧本殿はとても小さく、慎ましい印象の木造で、現在とはまるで違うが、川西英が生きていれば現在の本殿をモチーフに版画を作ったと思う。それほどにこの神社の顔としてふさわしいデザインだ。神社の海老茶色はたまに見かけるが、京阪神では珍しいと思う。明るい朱色であれば華やかになるが、神社によって使える色合いの決まりのようなものがあるのかないのか、昔から気になりながら調べていない。赤味があればどのような色合いでもいいのかどうか、また自分はどの色が好みかとなると、明るい朱では色褪せが早い気がするし、濃いと自己主張が過ぎるので、ひとつの色には決めにくいが、柳原蛭子神社は「えびす」の「えび」が「海老」を連想させるので、この海老茶色はいいと思う。今日の3、4枚目は本殿手前の西本稲荷神社で、これは伏見稲荷大社と同じように朱色で鳥居も祠も統一されている。そして、そのことが本殿との区別に役立ってもいる。この稲荷神社は本殿とは別にお参りする人が途切れず、撮影するのに苦労した。並ぶ鳥居は貫禄があり、またその突き当たりの祠前の狐の像を見ると、何となくほっとさせられる。「西本」の意味は知らないが、珍しい名前の稲荷神社だろう。商売繁盛の御利益の点で蛭子神社とは共通し、商人はこの稲荷も拝んで帰る。

帰路は往路と同じ道をたどってJR兵庫駅から大開駅に向かった。兵庫駅から北への道は、相変わらず十日戎に向かう人が多かったが、筆者らのように帰る客も目立った。途中で碁会所や小さなホテルなどがあって、筆者は「この付近に住むのもいいな」と家内に言った。駅に近いうえ、生活に必要なものは何でも揃っていそうだ。それに柳原神社から南を見た時の殺風景さがない。それは道幅がさほど広くないことよりも、車道の中央に背の高い並木があるからで、つまりは自然がまだ多少は豊かに感じたからだ。となると、付近に広域避難場所としての大きな公園があるのかどうかだが、「大開」という名前が示すように、新開地の中でも大きく開発して街路と住宅を作った地域で、人口は多いが公園までは手が回らなかったようであることが地図からはわかる。そういう土地は嫌いではないが、嵐山に住み慣れた生活では豊かな緑が間近に見えない暮らしはもう選びたくない。風風の湯で毎週出会う81歳のMさんは、嵐山に引っ越して来たのが4年前で、それまでは大阪を中心に転々として来たが、空気のよさ、つまり自然がまだ残っているところに住みたいというのが理由であった。ただし、今は風風の湯で筆者らと談笑することが楽しみで、また風風の湯がなければまた転居していたと語る。人間は贅沢で、何かが手に入ると別のものをほしがる。嵐山の大きな難点はスーパーが1軒もないことだが、買い物の便では大開は大型スーパーがあって住みやすい。人々は何を優先して生活を考えるか。誰しも何から何まで満たされていると納得しながら生活したいが、現実は何らかの不便を囲っている。誰もが何かを我慢して生きているのが実情で、それがまた生きる欲ともなり、健康を保つ糧となる。自分の生活圏とは違う場所を歩いた時、「ここなら住めるか」と思いつつも、それを行動に移すことはまずしない。その点新聞記者として日々あちこち移動していたMさんはとても身軽だが、逆に言えば数年置きに転居しなければ落ち着かないのかもしれない。そしてすぐに誰とでも話し合って顔見知りになれる才能があるが、多少の余裕のある経済力と何よりも体力があってのことだ。そして脳の退化を遅らせるための何らかの運動、習慣が欠かせないが、筆者にとってどこかへ出かけたついでにあちこちの神社を訪れることは、適当な運動とブログのネタになる。それは御利益というものだ。さて、次は大開駅から阪神の西宮駅に降りて西宮神社に行った。明日からそのことについて書くが、先ほどアマゾンからメールが届き、予約していたザッパの『ROXY』が予定より早く、明日か明後日に届くとあった。いつものように届き次第その日から感想を書く。