●「ATTENDS OU VA‐T‘EN」
みは老化のひとつの特徴だ。花がまずそうだ。人間も背が縮む。時間の感覚もそうだ。1951年生まれの筆者の10歳頃は、わが家にTVがなく、夕方になると近所の親しい家に見せてもらいに通った。



その代わり、画面を見ながら内職のちょっとした手伝いをやらされたが、それでも見たさが圧倒した。64年の東京オリンピックの直前に母は父の甥から中古のTVをもらい、それでようやく近所の家で見せてもらう必要がなくなったが、とても退屈だったTVの思い出がある。大相撲の中継で力士が何度も繰り返す仕切り直しだ。それが10分ほどの長さに感じられた。なぜそんなに退屈なことを繰り返すのか。勝負はたいてい数秒でつくのに、その前の儀式としての仕切りはその何十、何百倍もの時間をかける。だが、おぼろげにそれが日本文化の特質で、大人にはそれがいいのだろうと思った。その昔話を家内に言うたびに、仕切りの回数は昔も今も同じだと返すが、家内の言うとおりだろう。10歳そこらと60半ばの今とでは時間の感覚が大いに違い、今では「あれ、もう仕切りが終わって勝負が始まるのか?」と思うほどに次から次へと力士が土俵に上がり、5時頃から見る中継がすぐに6時になって終わる。そのように感じる筆者の脇に10歳の子どもを座らせると、昔の筆者のように「なんであんな退屈な同じ動作を長々と繰り返しているのだろう」と思うはずだ。今の筆者は子どもの頃に比べると時間の経過を数倍早く感じている。「1年があっと言う間」とよく言われるが、まったくそのとおりで、「人生はあっと言う間」だ。とはいえ、ジョン・レノンは「恋を抱きしめよう」で歌ったことを聴いた頃から半世紀以上経った今、相変わらず生きているので、「あっと言う間」は永遠に続くような気もしている。さて、今日は今月上旬に訃報が発表されたフランス・ギャルの曲を取り上げる。手元にあるドーナツ盤の紙袋に、筆者は購入日の「1970.4.16.」を記している。18歳で買ったことになるが、「夢みるシャンソン人形」とどちらを買おうかと迷ったのではなく、文句なしのこの「夢みるシャンソン日記」を選んだ。ネットで調べると、筆者の盤は初版ではなく、初版のジャケット写真のフランス・ギャルを左右反転して使っている。右目下のほくろが髪型で隠れているので、どちらの写真が正しいかわからないが、筆者の盤は以前のヒット曲「ジャズ・ア・ゴーゴー」とのカップリングで、初版の「夢みるシャンソン日記」とは違う盤であることを提示するためにも肖像写真を裏表反転したのだろう。今ではそんな勝手は許されないが、昔は売れればよく、日本のグラフィック・デザイナーの才能が発揮されやすかった。ビートルズのシングル盤がそのいい例で、今では日本盤のオリジナルは高値で取引される。
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 今日の最初の写真からわかるが、ジャケット右下隅に¥400円のシールが貼ってある。その下には¥370円が印刷されるが、¥500のシールを貼った版もある。ドーナツ盤が500円になったのは何年からか知らないが、同じジャケットのまま数年ほどは販売されたことがわかる。これは在庫がなかなかさばけなかったためで、またフランス・ギャルの人気が日本で下火になったことを意味する。1965年の「夢みるシャンソン人形」の大ヒットによって日本でもとても有名になったが、「涙のシャンソン日記」はその題名からして柳の下の二匹目のどじょう狙いで、またそういうことをすると、その後は人気が落ちる。そしてそのことを象徴するような哀愁をこの「シャンソン日記」は帯びているが、発売された65年当時から筆者は文句なしにこっちの方が気に入った。ビートルズの「涙の乗車券」のシングル盤とどちらの発売が早かったのか知らないが、邦題に「涙」をつけることが流行った。もちろん恋に悩む涙だ。それは若者だけとは限らないが、青春にはつきものだ。そして若者は流行に敏感で、若者を代表するようなアイドルが歌う流行歌を欲する。ビートルズもフランス・ギャルもその文脈の中で登場し、世界的に有名になった。欧米風の生活をしてはいたが、欧米からはローカルな日本では、欧米でヒットする流行歌を輸入し、時に日本のアイドル歌手が日本語で歌った。そうして有名になった60年代の歌手は今も健在で、オールディーズを歌うコンサートをすると、筆者や少し上の世代が馳せ参じる。中1から洋楽のオリジナルのファンであった筆者は、そうした日本の歌手によるカヴァーにはほとんど関心がなく、そしてビートルズやそれと同世代のミュージシャンの音楽を聴くようになったが、60年代半ばのヨーロッパから生まれるヴォーカルのヒット曲がラジオからはビートルズやベンチャーズに混じって頻繁に流れたので、「涙のシャンソン日記」のシングル盤を、金が多少あった時に買っておこうという気になった。当時無理して買わずとも、今では中古レコード屋などで100円ほどで売られていると思うが、半世紀も経って買うのと、当時無理して買うのとではやはり違う。自分のお金で無理してモノを買うことは重要だ。無料で手に入るとありがたみがなく、内容を吟味せずに軽んじてしまう。つまり、何も身につかず、その後の人生で意識の上ることがほとんどない。では、筆者が「シャンソン日記」を買ったことは、それから半世紀の間、どういう役に立ったかと自問せねばならない。単に思い出を大切にするのであれば、モノは不要とも言える。それでこじつけになるかもしれないが、こうしてフランス・ギャルのヒット曲について書く機会が訪れたことは、半世紀前にシングル盤を買ったためと言える。そして、当時はわからなかったことが今ではわかるし、今なおこの曲を筆者は当時と同じ新鮮な気持ちで聴くことが出来る。
 フランス・ギャルという名前を初めて耳にした時、たとえば先に知っていたシルヴィ・ヴァルタンとは違う、フランスを代表するアイドル歌手と思った。ギャルはGALLと綴り、GIRLの意味のGALとは関係がなく、彼女の本名であることがネットでわかったが、フランス・ギャルという芸名をつけたのは誰だろう。そこには彼女を売り出そうとする裏方を含めた芸能界の存在が浮かぶが、これもネットから知ったが、デビューは1963年で、「夢みるシャンソン人形」までに3枚のシングル盤を出している。それらの曲は全部ではないが、父親が歌詞を書いていて、少年合唱団と一緒に歌う曲もあって、日本で言えば文部省検定のような教育的で健全な感じが強い。フランスの童謡の延長上にあると言ってもよい。そのままでは彼女は有名にならなかったかと言えば、2枚目のB面は「ジャズ・ア・ゴーゴー」で大人っぽい雰囲気を漂わせ、3枚目の「シャルマーニュ大王」は歌声に張りがあってすでに特徴が大きく出ている。その2か月に「シャンソン人形」が出るが、これがセルジュ・ゲーンズブールの作詞作曲で、ギャルの印象をがらりと変えた。どういう経緯でゲーンズブールの目に留まったのか知らなかったが、彼はギャルの父親の知人であったという。ゲーンズブールはギャルを見てどう思ったかだが、世間知らずの純真な娘と思ったのではないか。筆者も当時はそう思った。彼女の顔はシルヴィ・ヴァルタンとは大いに違って、知的ではあるが、性的な魅力には欠ける。ロリコンにはたまらないかもしれないが、ゲーンズブールが好む女はもっと色気のある動物的なタイプだ。それでゲーンズブールはギャルを売り出すために、そのイメージに合う楽曲を提供しようと考えたであろう。その思惑は見事に当たった。それはギャルに対する皮肉の眼差しがあってのこととも言えるが、結果的に彼女は世界的な名声を得た。だが、その後どうするかだ。ギャルは年々大人びるし、それに似合う曲をゲーンズブールが提供出来ればいいが、一度ついたイメージを払拭することは難しい。「シャンソン日記」は65年の発表だが、筆者はそれ以降の彼女の曲を当時聴かなかった。66年に来日したが、それはいわば「シャンソン人形」を生で聴きたいとの思いに応じたもので、それさえ聴けばもうよいとの考えが当時の日本では一般的であったように思う。そしてすぐに彼女は20歳を超え、ロリータ・アイドルのイメージはもうふさわしくなくなる。そうなれば大人の色気たっぷりな曲をゲーンズブールや他の作曲家が提供すればいいようなものだが、女性歌手は彼女だけではない。それに、一度ついたイメージを振り払ってさらに成長することは難しい。60年代半ばにそれが出来たのはビートルズなど、ごくわずかなミュージシャンだけであった。それは自分たちで作詞作曲演奏が出来たことにもよる。
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 セルジュ・ゲーンズブールの名前と曲を自覚したのは80年代半ばだ。このカテゴリーで何度か書いている筆者の下の妹の高校時代の同級生のE君がゲーンズブールの何枚組かのCDを買い、それを筆者に貸してくれた。その時にゲーンズブールが「シャンソン人形」や「シャンソン日記」の作曲家であることを知って驚いた。ネットのある今では簡単にゲーンズブールについても詳しく知ることが出来るが、「シャンソン日記」のレコード盤に作曲家として「S.Gainsbourg」と印刷されていても、それがどういう人物でどんな顔をしているかは、よほど関心があって調べる気にならなければわからない。ただし、レコードの解説にはこう書いてある。「セルジュ・ゲンスブールの作詞作曲です。彼は1928年4月2日パリで生まれた詩人で作曲家です。今までにもブリジッド・バルドー、ペトゥラ・クラーク、グレコ等の曲を創って知られています」。当時の筆者はペトゥラ・クラークの名前と曲は知っていてもその作曲家までに関心はなく、またフランスの音楽を聴く者は周囲におらず、洋楽は圧倒的にアメリカとイギリスと思っていた。だが、前述のようにたとえばイタリアの曲がヒットしていたし、フランス・ギャルが世界的に有名になったのもユーロヴィジョン・コンテストで「シャンソン人形」が優勝したからだ。パリ生まれの彼女がベルギーの代表として同コンテストに出演したのは何か事情があったのだろうが、ともかく歌が好きで有名になりたいという思いにゲーンズブールの才能が合わさっての名声で、60年代を代表する元祖女性アイドル歌手の地位を確立した。その後の日本では彼女が有名になった方法に学んで、雨後のたけのこのように声量がさしてない女性アイドル歌手が登場する。そして今もその流れは途絶えず、それどころか数十人単位の集合体となって世界に進出しようとしているが、そうした動きを見るにつけ、筆者が思うのはフランス・ギャルの個性だ。彼女は単なるアイドルで、彼女でなくても当時同世代の女性歌手が「シャンソン人形」を歌った場合、同じようにコンテストで優勝し、世界的に有名になったかと言えば、そうとは思えない。ゲーンズブールにすればアイドルは偶像で、そのことを「シャンソン人形」の歌詞に反映させたに過ぎなかったかもしれないが、彼女の声はほかに似た歌手が思いつかないほど独特で、曲のよさと声質のそれが相まったところに名声を得る理由があった。また声質だけではなく、「ジャズ・ア・ゴーゴー」が示すように、声域が広くて歌も巧みだ。「シャンソン日記」以後にどういう活躍をしたのか、筆者は訃報を知った後にYOUTUBEを見てわかった。彼女は70年代に作曲家と出会って結婚し、それから歌手として再出発した。YOUTUBEではふっくらとした体型になってからのステージがいくつか見られるが、そこでは黒人を中心としたファンキーな伴奏をしたがえて、再スタートを切ってからの曲に時に新しいアレンジによる60年代の曲を交えて歌っている。アイドル歌手だけに終わらなかった姿がそこにある。
 またレコードの解説を引用すると、「この曲の原題は「Attends ou va t‘en」“待つか、でなければ行ってちょうだい”という意味です。…」とあって、邦題とはまるで違うが、このフランス語はこの曲のサビに歌われ、またそれが曲の中では最も印象深い箇所になっている。そのサビを聴きたいために筆者はこのレコードを買った。またこのサビは2分半という短い曲の終わりにもあって、最後はぷつりと潔く終わる。曲名の意味を知ると、その終わり方がとても洒落ていることがなおのことよくわかる。ロ短調でまたほとんど5つの音で旋律が書かれているが、その音域の狭さが印象深さの大きな理由になっている。これは一度聴けばすぐに覚えられるという流行歌の持ち味で、そういう単純さが訴える力をゲーンズブールはよく知っていた。ビートルズやまた彼らが模倣したアメリカの音楽を学んだためで、その一方で詩人としての面目が感じられるのは、押韻を含めて歌詞の一種語呂合わせ的な耳への心地よさだ。これはフランス語がわからない人にも感じられるもので、彼女の歌声がかわいい小鳥のさえずりに思える。その言葉の滑らかな響きを日本語に訳して歌うとどう変化するかだが、「シャンソン人形」の日本語盤が当時発売され、それは彼女のかわいさをどことなく減じる現実感があった。訳詩の響きが悪かったのかもしれないが、フランス語ヴァージョンと同じような響きにすることは不可能で、彼女の歌はやはり名のとおりフランス語で聴くべきだ。もっとそう思わせる曲は、ゲーンズブール作詞作曲による「Laisse tomber les filles(娘たちにかまわないで)」を挙げたい。冒頭にブギのベースが鳴り響き、いかにもゴーゴー・ダンス時代の曲で、またギャルの歌は飛び出しナイフをさっと懐から出すかのようなメロディで、そのギャルにはどこかちぐはぐな印象が却ってギャルの魅力を引き立てている。サビは「シャンソン人形」のそれにどこか似るが、ギャルのイメージを求めるファンにはそういう部分が必要と考えられたのだろう。「娘たちにかまわないで」も1964年の曲だが、日本では当時発売されず、ラジオで聴いた記憶がない。R&Bのロリータ・アイドル版は当時は珍しく、時代の最先端であった。この手の曲をもっと当時のギャルが歌っていればアメリカでも人気が出たのではないかと想像するが、時代はビートルズ以降、ソロ歌手のブームは廃れて行った。またシュプリームスなど本場アメリカのR&Bは大いに受け入れられても、フランスのポップスはシャンソンの変形と捉える認知度しかなかった。今なおそうであると言ってよいが、日本のカワイイ文化に大きな影響を与えた存在として、日本ではしっかりと彼女の魅力を評価する人たちがいたと思う。国や時代の差がますます縮み、今ではYOUTUBEで当時は見られなかった60年代の彼女の歌う姿が見られる。機会があれば70年代以降の彼女のアルバムもじっくりと聴いてみたい。




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by uuuzen | 2018-01-30 23:59 | ●思い出の曲、重いでっ♪


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