かつて見たことのない展覧会なので、どうしても書いておきたいというほどでもないが取り上げておく。去年の年末のいつかは忘れたが、家内と見た。

その時はカメラを持参しなかった。多少は撮影したい内容と思い、今月11日にふたたび家内と出かけた。昔はINAXギャラリーは大阪四ツ橋にあって、前にも書いたことがあるが、筆者は同ギャラリーが開催する展覧会をほとんど第1回目から見始めた。その頃は椅子もあって喫茶店のようにくつろげた。その後ギャラリーは本町辺りのビルの1階に移転し、その頃からほとんど見なくなったが、毎回はがきは送られ続け、現在もそれが続いている。また10年ほどになるか、INAXがLIXILという会社に変わり、グランドフロント内部に移転したギャラリー名もそれに応じるようになった。そして相変わらず展覧会のはがきは毎回届く。メールでの案内でもいいが、筆者はアドレスを伝えていないと思う。ともかく、案内はがきが届くたびに見に行かねばという気が起こるのは、メールよりか手間がかかっているとの思いからだろう。無料かつ簡単なメールは、はがきよりもありがたみが少ない。ともかく、LIXILギャラリーが大阪梅田に移転したのは、最初の四ツ橋からすれば順に北上して筆者にはより便利になった。それで梅田に出るたびに見ようという気になる。会場の面積は最初からほとんど変わらず、ミニ展覧会と呼ぶにふさわしいが、このギャラリーでの展覧会の魅力は無料であり、また必ず正方形の小さなブックレットが製作販売されることだ。1800円ほどするので、厚さの割りに高い気がするが、ほかに類書のない場合が多く、筆者は本当は全部揃えたいほどだ。だが、持っているのは20冊程度だ。これまで何冊が製作されたのか知らないが、年に4回として、もう35年から40年ほど続いているので150冊は出ているだろう。企画される展覧会は昔はINAXの業務に関係するタイルや瓦といった陶磁関係が多かった。それが住に関するあらゆるものというように変化して来た。大きく言えば建築関係で、そうなると壁画を含むので、美術全般を含むことにもなる。一方では建築素材の面からは木材は鉄、ガラスも含むし、またその建築を動物に広げると鳥の巣もというように範囲が広がる。それで、今回は日本における貝コレクターと研究家の紹介だ。これはLIXILの業務内容とあまり関係がないが、これまでの企画展とはだぶらない内容で、また珍しいものをなるべく紹介しようとの考えから毛並みの変わったものも歓迎される。筆者に限ればそうであった。

どんなものでも収集家はいる。貝に関心がない人でも、珍しくて意外な形のものを見ると感心する。筆者もその程度で、ほとんど貝について調べようとしたことがない。図鑑を見ても、そういうものかと思う程度で、貝を集めようと思ったことはない。本展の会場に入った時、筆者は大阪の蒹葭堂のコレクションを真っ先に想起し、それも展示されているかと期待したが、明治以降の世界に通用する科学的な収集家の紹介だ。これは分類を科学的に行なうとの意味で、新発見の貝は発見者が命名出来る。また、世界中の貝が発見し尽くされたかと言えばそうではない。確か現在10万種ほどが発見され、8割が巻貝だ。年々新発見は少なくなって行くが、10万種もあればその全部を即座に言い当てられる人はいないだろう。島国の日本は貝に恵まれていて、新発見や研究には便利だ。そのため、10万種のうち2割程度は日本で発見されているのではないだろうか。10万種もあれば似た貝がたくさんあるはずだ。区別が大変で、またどの貝も美しいかとなるとそうではないが、貝に魅せられた人はどれほど小さくて浅黒いだけの色でも、そこに自然の妙を見て感動するのだろう。それに、貝を集める方法は、業者から珍しいものを買うこととは別に、基本は海辺を歩いて自分で探すことだ。これは健康にはよい。あるいは健康でなければ集められならないし、また探し歩く時間と費用がまず必要だ。そのため、贅沢な趣味だ。これは定年後に山登りを始める人のように、ある程度時間を持てあまし、しかも新発見の貝を探すという意欲に溢れていて、熱意の点では登山趣味に匹敵するかそれ以上だ。各地で写生する画家とも違って、地味で根気がいる。それでも集めようと駆り立たせる魅力が貝にあるのは、蝶と同じで、人間には自然の美しさを人間が作る美術以上と思う心があるからだ。似た趣味では石集めがある。自分の才能を誇示する画家とは違って、貝の美しさを広く知ろうとする人は、星の観察者のようにどこかに人間嫌いのところがあるかもしれない。あるいはコレクター特有の、きわめて珍しいものを自慢する卑しさも持ち合わせているかもしれず、筆者にはほとんど縁のない人たちだ。それでもそういう収集家や研究家がいて、貝の世界の全容が少しずつ明らかになり、分類が精緻になって来ている。そして、その終わりがまだ見えない。これはロマンを掻き立てる。本展で紹介される10人は、みな貝を追い求め、その収集展示に寄与して来た。

貝の標本のまとまった展示を筆者はどこで見たか記憶にないが、小学生の頃の遠足で行った水族館で多少は見た。大人になってからもそうだが、貝の展覧会は見たことがないし、あったという記憶もない。展覧会が開かれるほどには貝の魅力は一般的とは言えないが、本展を見て西宮に貝の博物館があることを知った。それは海辺に近く、行くのに不便であるので、これからも行かないと思うが、その博物館の創設に関係した人物が本展で紹介された。菊池典男という人で、病院の院長であった。ある程度の資力がなければ日本を代表するような収集は無理だが、貝は自分で探すことが出来るし、またそういう中に珍しいものがあれば収集家に売ることも出来る。そのため、経済力も必要だが、まずは熱心さが物を言う。本展で最初に紹介されるのは安政年間、淡路島生まれの平瀬與一郎という実業家だ。貝を海外に販売し、また私財を投じて京都岡崎に収集品の展示館を建てるほどであった。日本の珍しい貝を海外の収集家がほしがったことがわかるが、逆に海外の珍しいものを日本では憧れの的になったはずで、貝を投機品のように扱う人物もいたのではないか。あるいは今もいるかもしれない。そういう商人も貝に魅せられていることには変わりがなく、書画骨董の世界と似たようなことが貝を扱う世界にもあるだろう。平瀬の弟子の黒田徳米は、平瀬と同郷の生まれで、丁稚奉公をしながら貝を研究し、後に日本貝類学会を創設してその会長になるというから、平瀬の仕込み具合と黒田の熱意のほどがわかる。またこのふたりが淡路の出身であることは、貝類の研究が京阪神主導で始まったことを意味するが、前述した菊池が西宮ということとも関係する。また長くは維持出来なかったが、平瀬の博物館が内陸の京都にあったことは、京都住まいであったこととは別に、図版を含む書籍の出版にはコロタイプ印刷所が多くあって便利であったからではないか。貝の美を紹介するとなれば、美に関する歴史が最も長い京都がふさわしい。貝は実物を見るのが一番だが、原色印刷の書籍によって世界中に情報が詳しく伝わるため、図鑑の歴史と大いに関係し、植物や動物の研究と並んで進んだであろう。平瀬、黒田の次に黒田の息子が位置する。本展では扱いが小さく、代わってクローズアップされているのが菊池だ。また続いて河村良介、鳥羽源蔵、吉良哲明、山村八重子、渡辺忠重、そしてもうひとり、うなぎ家であったか、店を経営しながら貝を集めた男性の紹介パネルがあった。彼は同じ貝をたくさん集め、他者に売った。

本展で感じたことは、貝の美しさよりも収集熱だ。美しいものを数多く集める本能は人間だけにある。また女よりも男に強いのではないか。靴やバッグ、宝石など身を飾る物を多くほしがる女は珍しくないが、男はあまり他人に誇示する思いもないままに何かを多く収集したがる。筆者も多少はその例に洩れない部類だが、収集品とはいつか別れなければならない。収集品に囲まれたまま死ぬと、縁者はその始末に困り、価値がほとんどわからず、二束三文で業者に買い叩かれる。そのため、たとえば菊池典男の収集品が博物館の中でまとまっていることは収集家冥利に尽きる稀な例だ。そういう存在になるには時代と運にかかっている。現在も貝の収集家や研究者はいるはずだが、彼らが本展で紹介された10人の後に続くほどの業績を残すかとなれば、収集の数を誇る点ではもう不可能だろう。そのことを筆者は郷土玩具の世界に照らして思う。郷土玩具は日本のものだけでも数万種はあると思うが、それらを収集している人は、私設の展示館を建てても、同様の施設は各地にあるので目新しくない。公的博物館に寄贈しようとしても引き取り手がないか、あっても死蔵される。そのため、ほとんどの収集家は70代半ばの年齢になると、どう手放すかを考え、実際そうしている。「せっかく集めたものをもったいない」と思う人は稀で、ほとんどの人はそもそも関心がない。貝も同じだ。10万種のうち誰が見てもきれいな色や形をしたものは数分の1以下だろう。ではそのほかのものは価値がないかと言えば、研究者からすればきわめて珍しいものは世界一美しいとされる貝以上に価値がある。郷土玩具は個人的な美に対する思いで収集品の種類が決まるが、一方では貝と同じように、ただ珍しいという理由だけで珍重される場合もある。珍しいものは投機の対象にもなるからだ。郷土玩具には貝のような詳細な図鑑はないが、仮に持っている数万点の収集品を写真に撮り、ネットに載せたいと思っても、ほとんどの収集家はその手間をかけることを断念せざるを得ない。ましてや私家版の図鑑を作るなど、とても無理だ。貝とは違って学術的な対象にならず、また美術作品のようには美的な面においてすべての郷土玩具をすくい上げることにはならない。そのような類の収集の対象になるものはほかにもあり、どういうものにも収集家がいるのは、人はどのような形あるものにも魅力を感じる能力があるからだ。貝に話を戻すと、今日の3枚目の写真の右下の大きな貝は見覚えがあったので撮った。これは1960年代の4円の通常切手に描かれるベオキナエビスだ。切手で感じていた大きさとはかなり違うので驚いた。これほど立派であれば手元に置きたい。同じ円形の透明ケース内にある艶のある貝はニスを塗ったような光沢で艶かしい。5枚目は下の2個がハート型で面白い。葵の葉のような形なのでアオイ貝と呼ばれる。撮影しなかったが、35年ほど前に伊勢に行った時に買った縦長の長さ数センチの巻貝が展示されていた。白地に青、赤、黄の幅1ミリほどの線が入っている。これは南米産でしかも樹木上で生息するとあった。また、キモノ姿の女性が片袖を広げたような形の貝はそのような名前がついていたが、貝の形や色は花ほどではないが、変化に富んで見飽きない。
