●『DWEEZIL ZAPPA & THE OTHERS OF INVENTION―LIVE IN THE MOMENT Ⅱ』その5
り金具で天井に波動スピーカーを取りつけることが出来る。地震で本棚などが倒れないようにするにはそのようにする方がいいが、筆者が所有する大小数種のスピーカーはどれも据え置きだ。



d0053294_14420068.jpg毎日よく聴いているのは、最も安価なパソコン用のUSB接続で、音の鮮明さはかえって大型のステレオよりもいいかもしれない。低音が少ないからだ。そのためパソコンで聴き馴れた後にたまに大きなスピーカーで聴くと、音楽全体の迫力に愕然とするが、一方で違和感を覚えることも確かだ。それはより小さな細かい音が聞こえにくいからだ。パソコンでは録音されている音が当然大小はあるものの、ある程度の平均まで聞こえる。もちろん筆者が聴いているUSB接続のスピーカーや大きなステレオのスピーカーの特性はあるだろうが、パソコンでは低音の響きが少なく、その他の音はみなよく聞こえる。つまり、どういう楽器で演奏されているかが端的によくわかるが、音楽の迫力には欠ける。ま、そういう状態でギター・ソロを集めた本作の感想を書くことはまずいので、CDが届けばまた多少書くかもしれないが、今日は昨日の続きで残りの曲を紹介する。前半3曲目「逆さのコンマ」、4「全然問題なし」は父のソロのコピーではないが、最初から突っ走っている3は、本来は冒頭に主題が演奏され、それが父のものであるかもしれない。またギターの図太い音色は父にはなかった新しいもので、地面を引きずるような迫力がある。4は3よりも軽快で、5「短いツアー」は速度が落ちるがこれは「インカ・ロード」のソロだろう。6「フワックステンション・アコースティック・デモ」はドゥイージルの2000年のアルバム『オートマティック』に収録されていた「フワックステンション」のデモ・ヴァージョンで、本作では最も短く、気分を変えるための、一転して静かなアコースティック・ギターのみの演奏だ。オリジナルの激しさと比べると同じ曲とは思えない。7「フィルシー・ハビッツ」は父の曲で本作前半では最長。主題を忠実に模倣し、また父のアルバム・ヴァージョンよりも日本公演時の演奏を彷彿とさせる。当然即興部分は原曲の音階にしたがってドゥイージルの気分の赴くままで、そこにどれほどドゥイージルらしさがあるかをファンは楽しむべきで、またドゥイージルにすれば父の手本をどう超えるかという課題へのひとつの答えとなっている。この話は長くなるので、CDが届いてからにしたい。8「トムのバナナ経験」は冒頭からすぐに父の『ジョーのガレージ、1』の「ウェット・Tシャツ・ナイト」であることがわかる。9「ドイツで休暇」は『バーント・ウィーニィ・サンドウィッチ』の「ベルリンの休日、満開」で、いきなり古い曲に戻るが、ドゥイージルのギターの音色と演奏は60年代の色合いはない。10「ペルーで左旋回」は題名からわかるように「インカ・ロード」のソロでこれは多くの種類があるが本曲は父の『ワン・サイズ・フィッツ・オール』のヴァージョンに近い。4分足らずの演奏だが、本作はなるべく多くの曲を詰め込むため、また饒舌な箇所を出来る限り含まないとの考えによっている。その点がまた新曲の「ダイナソー」とどこか通じている。ひょっとすればドゥイージルはギター・ソロにある種の限界を感じているのかもしれない。それは技術的にもはや有数のギタリストには肩を並べなれないという諦めではなく、時代が違って来ていて、別の何かで個性を発揮しようという新たな創作への希望だ。
d0053294_14422961.jpg 後半は約33分だ。11曲目「何のための管?」は伴奏から即座に「イリノイの浣腸強盗」のソロだとわかる。12「油ぎったフクロウのベーコン」は題名にある言葉「GREASEY」と伴奏の特徴的なリズムからして、「キープ・イット・グリーシー」のソロだろう。最後におどけた鳥の鳴き声のようなリード楽器が鳴り、それが虐待されたようなフクロウを思わせるところから題名を思いついたのだろう。13曲目はどう訳していいかわからない。「MESSETSCHINKO LIO GRE-IVKO」とあって、クレジットには「L-DWEEZIL ZAPPA」とあるので共作だ。ジョー・サトリアーニ風の広がりのある音で、東欧辺りの聖堂内部を思わせる荘重な雰囲気だ。14「SVATBA」は3と対になったような東欧的なメロディで、ギターの音色も音階も民族音楽的だ。どちらも1分少々で、激しいギター・ソロが続くことの一休止になっているが、こうした曲を本作に含めるところにドゥイージルの音楽の幅広い関心がうかがえる。15「格好いいポニー」は後半では2番目に長い4分半で、自信作だろう。冒頭に「油ぎったフクロウのベーコン」の最後と同じリード楽器の響きが入り、またスペイシーな雰囲気は「ダイナソー」とも通じる。ベースのメロディから「モンタナ」のソロと想像する。16「それを聞いたとは残念だ」は15の最後の沸騰したリズムとテンポも同じままで切れ目がわからないようにつながれる。ギターの音色は多少変わるが、何の曲のソロかはわからない。17「トウモロコシ畑でそれをやろう」は前曲の激しさを受け継いでまたギターの音色が変わる。主題がカットされているが、ドゥイージルにとってはそれは重要ではなく、自分の即興部分のみの創造性を聴いてほしいとの意味だ。18「それは含まれるはずがない」も同じく猛烈にギターを弾きまくる。15からここまでの4曲は本作で最も聴かせたい部分だろう。この曲ではまたリード楽器のおどけたソロが最後に12や15以上にあって観客の笑い声が含まれる。「それは含まれるはずがない」はそのパートを本来は含まないとの意味だろう。19「オレンジ州の息子の帰還」は父の『ロキシー・アンド・エルスウェア』の「オレンジ州の息子」のソロを模倣する。父の同アルバムではそのギター・ソロが最も味わい深く、ドゥイージルとしてはぜひともそれを再演してアルバムに含みたかったようだ。なお、来月発売予定の父の7枚組『ロキシー』ではこの曲がどのように編集されて74年に発表されたかがようやく公になるが、そのことを筆者は同新譜の最大の楽しみにしている。20「ホ長調の逆行前奏曲」はソロを録音したテープを逆回転させている。「ダイナソー」のように、また父親がやったように、録音で可能なお遊だ。21「復活祭の西瓜」はドゥイージルが昔から挙げる父のギター・ソロ曲の三大名曲のひとつだ。もうふたつは「ブラック・ナプキンズ」と「ズート・アリュアズ」だが、これは本ギター・アルバムの第2弾にでも含まれることを期待したい。本曲は9分近く、本作中最も発表したかった自信のある演奏だろう。情感溢れるしみじみとした味わいは父への思いだ。そのことが鮮やかにわかることが本作を贔屓目に見ることにつながることをドゥイージルは嫌がるはずだが、偉大な父を持つ息子は生き辛いという葛藤も本作から汲み取れる。
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by uuuzen | 2018-01-24 23:59 | ●新・嵐山だより(特別編)


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