●『DWEEZIL ZAPPA & THE OTHERS OF INVENTION―LIVE IN THE MOMENT Ⅱ』その4
実に亡き父の影を追い続けるドゥイージルだが、地道に努力を積み重ねている。真面目な点は父と同じだ。だが、父以上の評価が得られるとは限らない。ロックのギタリストは日々新たな才能が芽生え、熾烈な競争をしている。



そのことをよく自覚しながら、「瞬間に生きる」と題するライヴ・アルバムを今後も作り続けるのだろう。本作の題名は「瞬間を大事に生きる」ということでもあるし、また聴き手はそれに同調し、聴くことに生きる意味を見出す。今回はヴォーカル曲を含まず、ギター・ソロばかりを集めるが、収録される21曲すべてが父のソロの自由な模倣かと言えば、そうではない。題名を見れば父にはない曲があるが、聴けば即座に父のどのアルバムのどの曲をカヴァーしているかがわかる。またその曲を選んだことは、おおよそのザッパ・ファンが認める父のソロの名曲ばかりで、本作によって父のギター・ソロの一種の価値の高低が確定されるところがある。つまり、ファン投票を行なえば父のギター・ソロ曲の人気順位がわかるが、その上位どころをドゥイージルも名演奏と思っていることが本作からわかり、そのことが本作のひとつの面白さとなっている。ダウンロードした21曲を昨日は2回ほど聴いたが、CDのように各曲を順に聴くことが出来ず、1曲終わるたびに次の曲をクリックしていた。これがとても面倒であった。そのため、早くCDが届けばと思ったが、今日はCD発送メールが届いた。それが届く前に本作の感想を書くのはどうかと思うが、CDが届いて新たな思いが芽生えればまた書くことにする。話を戻して、ウィンドウズのメディア・プレイヤーをどう扱えば普通のCDを鳴らすように1曲が終わった直後に次の曲が自動的に始まるのかがわからず、数時間要して今ようやく最初の10曲を順に鳴らすことに成功し、それで気分をよくしてこれを書き始めた。1曲ずつ区切って聴いていた時とは違って、はるかに心地よい。選曲と曲の並びが熟考されているように感じる。あるいは、曲を並べ変えて聴いてもそのように感じるかもしれないが、異なるギター・ソロを切れ目なしに聴くことがとても心地よい。では、昨日書いた「ダイナソー」と矛盾すると言われるかもしれない。昨夜は布団の中に入ってからもその曲について考え続けた。何にたとえればいいかと思いながら、映画の予告編、あるいは全集本の内容見本だ。予告編や内容見本もひとつの創作だ。では「ダイナソー」は何に対する予告編であり内容見本かと言えば、本作と考えるしかない。本作はドゥイージルのライナー・ノーツによれば、かなりの自信作だ。ドゥイージルか寡黙なタイプであまり自分の仕事を自慢しないが、本作については長年父のギター演奏を学び続け、ようやく技術的に同じレベルに達したという自負心がある。それは一聴すればわかる。昨日は「ダイナソー」を酷評したが、本作はドゥイージルの細切れのソロが連なったものではなく、1曲ずつに起承転結があって、聴き手は各曲に安心して対峙出来る。これは、次に何が起こるか予想出来ない点において「ダイナソー」と同じでありながら、予告編や内容見本の物足りなさがないからだ。また、父のギター・アルバムに倣った古典的手法を筆者がよく馴染んでいるからでもあるが、となれば本作は父の影響があまりに大きいことになる。そしてそのことをドゥイージルはどこかで恥じていて、それで次の段階として「ダイナソー」を作ったのかもしれない。だが、それもクセノクロニィという父の手法の解釈による。
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 さて、1曲ずつ区切って聴くしかなかった先ほどまでは、今日の2枚目の画像のように、各曲のデータの大きさは表示されても演奏時間はわからなかったが、それがわかるようになった。最初の10曲で34分だ。これは昔のLP1枚とだいたい同じであるから、おそらくLP2枚組の時間数があるだろう。それを一気に聴くのは疲れることもあって、今日は前半の10曲を取り上げる。最初に「ファイヴ・ファイヴ・ファイヴ」が位置するのは、父の『黙ってギターを弾きな』に倣ってのことだ。ドゥイージルはそのアルバムの題名を座右の銘として練習し続け、ようやくギター・ソロ・アルバムを提示することが出来たとの晴れ晴れしい思いによるだろう。ギター・ソロが終わった直後、「マフィン・マン」の主題を、少し調子を外してバンドが数回合奏する。これは実際のライヴでそのように演奏したのだろうが、『黙ってギターを弾きな』の曲間の会話のような異物挿入による面白さを狙っている。2曲目「それはホ長調」は、『シーク・ヤブーティ』の「ヨー・ママ」のソロだ。父の同作は序破急の様式でギターが演奏され、またそれはひとつのステージでの録音ではなかった。ドゥイージルの本曲はそれを通してステージで演奏したもので、また演奏時間が短いこともあって、父のヴァージョンよりかは物足りないと思われがちだが、後半は特に父以上に迫力が増し、また原曲に囚われない自由自在性がほとばしる演奏になっている。ある箇所の伴奏は、『シーク・ヤブーティ』ヴァージョンで特徴的なメロディを模倣し、なかなか堪能出来る。もうひとつ気づいたことを書いておくと、昨日は1曲ずつ区切って聴くしかなかったこともあって、特にこの曲をリピート演奏して何度も聴いた。あえてリピートしたのではなく、勝手にそのような設定になっていたのだが、3,4回リピート演奏されて初めてその設定になっていることに気づいた。これは本曲が5分40秒ではあるが、倍や3倍の長さに繰り返して聴いても違和感がないことを意味する。つまり、本作はLP2枚分の長さがあるとして、聴き方によってはその何倍にも引き伸ばされるということだ。父のギター・アルバムでも同じかと言えば、そうではない。そこにドゥイージルのソロの特徴なのか、あるいは本作の各曲の切り詰め具合という編集によるのかはわからないが、父とある意味では同じく、エキスだけを盛ろうとしている態度による。これは聴き手を飽きさせないための方策としては当然だが、それでも父の時代とは何かが違う。そう考えると、ドゥイージルが「ダイナソー」に込めた考えもわかるような気がする。そしてそのことを昨夜は布団の中で考えて思い当たったことは、いつの頃からか知らないが、日本の若者の音楽が、全編サビで出来ている曲が目立つことだ。ビートルズの曲はそうではなかった。サビが途中にあるので、全体が引き締まった。だが、最も絶頂気分の箇所は最初から楽しめばいいではないかと若者は考えるようになったのだろう。それで最初からサビの調子で始まり、その高まりのまま曲が続いて終わる。本作のすべての曲がそのようだとは言わないが、父のヴァージョンに比べると最初から突っ走っている雰囲気が強い。そのため、『黙ってギターを弾きな』よりかは、『ギター』や『トランスフュージョン』に似ている。明日は残りの曲について書く。
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by uuuzen | 2018-01-23 23:59 | ●新・嵐山だより(特別編)


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