厳密に何事も計画したり、実行する方ではないが、これは後で何度も見返すことがあると感じる本のページには付箋をよく貼りつける。このブログにそれはつけられず、書いたことを後で調べる時に困ることがよくある。WORDファイルのようにマウスの操作でその箇所の色が変わり、後で探しやすくなるような仕組みがあればいいが、画面そのものを「お気に入り」に含めておくしか方法はない。
自分の記憶の場合はもっと厄介で、いつの間にか他の記憶と混じり合っていることもある。記憶に付箋をつけていつでも同じ状態で思い出す方法はない。25年前に訪れたフランクフルトの思い出を、グーグルのストリート・ヴューから画像をダウンロードしながら適当に書いているが、これからフランクフルトを観光したい人のために書いているのでは全くなく、個人的に気になっていたことがストリート・ヴューのお陰でようやく確認出来たが嬉しいからだ。そして、現地を再訪していないのに、行った気分になっているが、時間と金があれば、25年前は家内を連れて行かなかったので、その罪滅ぼしに家内とふたりで出かけたいと多少は思うものの、長時間の飛行機のフライトは地獄にいる気分で、ヨーロッパに憧れはあってもよほどのことがない限り行きたいとは思わなくなっている。それに25年前はザッパのコンサートを見て、運がよければザッパに会えるという目的があった。それがメインで、観光は付録であった。だが、フランクフルトのあちこちを歩いたことはなかなか楽しく、こうして思い出して書く気になったのも、いい思い出であるからだ。となると、やはり家内にも見せたいが、都会を歩きなれているので、感動はあまりないだろう。フランクフルトでもロンドンでも、大都会はみな同じようなもので、フランクフルトの街を90度左に傾けると、マイン川の右岸が、鴨川以西に古い寺社や市役所、繁華街が密集する京都市と同じようになる。特に鴨川に架かる荒神橋をわたった左岸側は、マイン川左岸のシュテーデル美術館のある通りととてもよく似た雰囲気だ。筆者が歩いた範囲は中心部ばかりで、左岸のバス通りから南には踏み込んでいないが、ストリート・ヴューを見ると、京大辺りの雰囲気に似ていて、やはりフランクフルトは京都に似ている気がするが、最大の違いは高層ビルが京都にはないことだ。また、人口は京都が倍だが、フランクフルトは面積が京都市の7分の1だ。となると大半の人が一戸建てには住んでいないだろう。京都のたとえば御所や二条城のすぐ近くに100メートルを超える高さのビルが建つことはないと思うが、そうなった時、京都はますますフランクフルトに似るから、観光都市ではなく銀行の多い金融の中心地になっているだろう。フランクフルトに高層ビルが出来始めたのは戦後だが、ファスビンダーが生きていた80年代前半には、古い民家を壊してそういう建物が見え始めたことがわかるが、その勢いはどこまで続くか、京都が今後とともに誰にもわからない。それについては明日書くとして、今日はマイン川の左岸すなわち南の大通りについて書く。
筆者は初めて訪れる街に美術館があれば必ず行く。フランクフルトでも同じで、代表的なものはみな見たかった。最初に訪れたのはシュテーデル美術館で、ゲーテが草原に横たわる有名な絵がある。そのほか、美術雑誌などで馴染みの絵もあるが、最先端の現代作品は展示しない。歴史的評価が下された作品ばかりで、また写真撮影は自由、しかも油彩画はガラスで覆ったり、ガラス・ケースの中に展示したりせず、そのあまりの無防備ぶりに驚嘆した。小さな作品ならそのままバッグに入れて持ち出してもわからないほどで、たまにヨーロッパの美術館で作品が盗まれたというニュースがあると、それはそうだと妙に納得してしまう。今日の最初の写真が同美術館で、写真に見える西端の出入り口から筆者は入った。この写真を見ていると、奥に向かって息子と歩いて行く筆者の姿が見えるような気がする。それほどにこの写真のとおりの眺めであった。中に入ると、手荷物預かり係りの初老男性が2,3人いて、筆者はカバンを預けたが、撮影自由とわかってそのカバンをまた持ち出してもらった。英語で通じたが、なるべくドイツ語を使った方がいいだろう。サイモンさんは英独辞典の薄い冊子を持参し、フランクフルトに着いてすぐに一緒に食べたランチ店でそれをひもとき、「とてもおいしいです」は「Das ist sehr gut!」かと小声で筆者に言いながら、早速それを使った。言われた中年の美人店主は笑顔を返していたので通じたようだが、この表現はドイツ語の初歩の初歩で、イギリス人のサイモンさんでもその程度かと面白かった。とはいえ、筆者は学校で4年もドイツ語を習ったのにほとんど全部忘れている。今から学び直しても使う機会がないので、学ぶなら中国語かと近年はしきりに思っている。話を戻して、シュテーデル美術館を見れば、後は付録のようなもので、時間つぶしに川沿いの道を遡上し、次に入った博物館は、中にセスナ機を飾ってあった。博物館の名称を忘れたが、たぶん郵便博物博物館か交通博物館か。25年経つので、同じ施設が同じ場所にあるとは限らない。その次に訪れたのは今日の2枚目の写真で、「APPLIED ARTS」とあるので、「応用美術」となるが、日本風に言えば「工芸美術」の施設だ。ガラスを多用し、白で統一した洒落た美術館で、豊かな緑に囲まれている。日本の団体である現代工芸展の巡回展が開催されていて、何となく不思議な気がした。同展は東京や京都で毎年開催されるが、1992年はドイツから要請があったのか、同団体が掛け合って展示してもらったのだろう。観客はとても少なく、また作品は会場にあまり似合っていなかった。同展以外の展示もあって、工芸美術ファンには有名な施設だろう。この美術館の開館記念展の図録を数年後に京都百万遍の古書店で見つけ、しばし立ち読みしながら同館を訪れた思い出に耽ったことがある。ドイツ語でもあり、結局その本を買わなかった。
東へと歩いて鉄の歩道橋を超え、さらに上流のアルテ橋に着いたところで、踵を返してハウプトバーンホーフ駅に戻ることにした。どのように戻ったか記憶にないが、バスの乗ったのだろう。また、アルテ橋まで行ったのは、鴨川左岸をたとえば丸太町から今出川まで歩くことに慣れていたからだ。橋から橋へという区切りを歩かないことには気が済まないからと言ってよい。また、有名な鉄の歩道橋、あるいはアルテ橋を北へ越えればレーマー広場に短時間で着くことを地図で知っていたが、サイモンさんとの待ち合わせ場所は駅前であるから、橋を使えば遠回りとなった。それでフランフルトに滞在中、徒歩でどの橋もわたらなかったことが心残りになっている。それはそうと、ストリート・ヴューで先ほど興味深いことを見つけた。3枚目の写真だ。シュテーデル美術館の東にはコミュニケーション美術館、建築博物館があるが、その東隣りに映画博物館がある。建物は古いが、2006年に映画博物館となり、それ以前は映画協会であった。大量のフィルムを保存し、デジタル化を進めている。ファスビンダーも一度は訪れたであろう。ストリート・ヴューを見ていて目が留まったのは、『ドラゴンボール』の主人公か、建物のファサード上部に飾られたイラストと「ANIME」と記す大きな幕だ。日本のアニメのフィルムも保存しているのかどうか、ドイツでのアニメ人気の反映だろう。この建物の前を歩いて上流へと向かったことは前述したが、アルテ川に近づくと、10人くらいの男女が川沿いの歩道を水を撒きながら忙しく掃除をしていて、ゴミの臭いが鼻をついた。フリー・マーケットが開かれていたことが、まだ片付けを終えていない2,3の業者の姿からわかった。もっと早くその場所に着いていれば、土産になるガラクタを買ったのに、惜しいことをしたと思った。そのような市が開催されるのも、近くに美術館や博物館がずらりと並ぶからだろう。アルテ橋から南に入ると、百万遍か修学院辺りのような雰囲気で、歩いてみたい気にさせる。今日の4枚目の写真は、アルテ橋を北に超えて少し行ったところ、またドーム通りにある現代美術館だ。92年に完成したばかりであったと思う。写真に見える出入り口は東側で、また建物の北面、写真で言えば右側の歩道を数回往復したが、アルテ橋を南から超えて行ったのではなく、いつもレーマー広場辺り付近からであった。サイモンさんと一緒に夜11時頃に歩いた時は、この美術館の壁面の文字が青く光っていた。またこの美術館のどちらの側面か忘れたが、出っ張った窓が1か所あって、その内側に据えられたソファに座って下の通りや建物を見下ろしながら、サイモンさんと休憩した。フランクフルトの街に実によく似合う外観で、京都にはふさわしくない。今調べると、設計者でウィーンのハンス・ホラインは2014年に亡くなった。日本に彼が設計した建物はないが、展覧会は開かれ、筆者はその図録を持っている。