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👽💚🐸🐛🍀📗🤢😱5月11日(土)、京都河原町三条下るLive House『DEWEY』にて👻『ザッパニモヲ 💐母の日LIVE』午後5時開場、6時開演。3500円👽筆者の語りあり。
●今回は初めての別会場での、そしてザッパ/マザーズの結成日である1964年の「母の日」から60年という節目における、ザッパニモヲの演奏です。チラシ画像はここ。恒例の手製のお土産をくじ引きで配布します。

●フランクフルトの思い出、「マイン川右岸の線路」
舌に尽くし難いほどのことではないが、先日取り上げたファスビンダーの『13回の新月のある年に』で書き足りなかったことがある。



●フランクフルトの思い出、「マイン川右岸の線路」_d0053294_01174572.jpg
映画の冒頭は早朝のフランクフルトのマイン川のほとりであることがわかったが、背景に荘重なクラシック音楽が流れる。マーラーの交響曲第5番で、解説書によればこれは『ヴェニスに死す』で使われたものらしい。その映画を筆者は映画館で見たが、記憶にあるのは主人公の初老のダンディがヴェニスの街中を細身の美少年を追いかける場面で、とうとう追いつけず、顔に施した化粧が汗で無残に流れて来ることだ。その一連の場面の背後でこの交響曲が鳴っていたのであろう。ファスビンダーはそれを知りながら、パロディとして使ったのであろうが、映画の冒頭で主人公がフランクフルトで死ぬことが暗示される。フランクフルトとヴェニスでは大違いで、ファスビンダーは美しい街で撮影するつもりはなかった。それはともかく、『13回の新月のある年に』の冒頭でいかにもフランクフルトらしいマイン川が映ることに、大げさに言えば筆者は感動した。ファスビンダーが同地を舞台に映画を撮ったことは知らなかったし、また筆者はヴェニスに訪れたことはないが、フランクフルトには丸3日滞在したからだ。とはいえ、この冒頭のわずかな場面は、フランクフルトが舞台であることを知らせるためのもので、他の大半は室内での撮影で、その場所はフランクフルトのどこかはわからない。ただし、アントン・ザイツが所有し、事務所をかまえる高層ビルは、つぶさに調べるとどこにあるかわかるかもしれない。1978年ではその作業はフランクフルトに住んでいなければ無理であったが、今はグーグルのストリート・ヴューがある。40年経っているので、街中は多少変化しているが、ストリート・ヴューの撮影は筆者は調べた限りでは2007年の一度切りで、これは毎年のように撮影されて画像が蓄積されている筆者が住む嵐山とは大違いだ。ドイツ人の合理性なのか、さして変化がないのであれば、10年に一度くらいの撮影で充分と考えられているのだろう。それはともかく、筆者が訪れたのは1992年9月で、その時確かヴィデオ・カメラを持参し、撮影したと思うが、長年そのテープを確認していない。写真は確実に撮ったが、それに映る街並と現在のストリート・ヴューを比較すると変化がわかるはずだが、アルバムを探すのが面倒で、このまま書く。また、もう2,3日はフランクフルトの思い出について書くつもりだが、筆者が撮った写真ではなく、ストリート・ヴューからダウンロードして加工したものを使う。というのは、先日フランクフルトをストリート・ヴューで初めて調べ、思いのほか、懐かしい街角を見つけたからだ。25年前の旅行の思い出を反芻することは、老人の趣味のようだが、便利なネット時代の実感があるので、きわめて現在的なことでもある。
●フランクフルトの思い出、「マイン川右岸の線路」_d0053294_01181857.jpg
 『13回の新月のある年に』の冒頭場面に映る夜明けのマイン川のほとりは、右岸か左岸かだが、これは右岸だ。川は東から西に流れ、左岸つまり南側の川に面する大きな通りに美術館が並び、筆者はそこを歩きはしたものの、右岸の河川敷には足を踏み入れず、冒頭場面は左岸であればかなり下流だろうと思った。今日の1,2,3枚目は映画の冒頭場面から選んだが、1枚目は右手に大きな橋が奥に見える。2枚目は車道から通じる石段が中央に見える。3枚目は右に線路がある。この線路がかつて使われていたものなのか、今も現役か、また何に使うものなのか、調べてもわからない。4,5枚目はストリート・ヴューから取った右岸の写真で、4枚目は2枚目の石段、5枚目は3枚目の線路が見えている。1枚目の橋はウンターマインブリュッケだが、UNTERは英語のUNDER、MAINはマイン川で、上流にUNTERに対するAUFがつく橋があるのだろうか。それはともかく、フランクフルトはマイン川の右岸側に歴史的地区や高層ビル群、中央駅(ハウプトバーンホフ)など、街の中心があり、『13回の新月のある年に』の冒頭で若者たちが右岸の河川敷に集まって来るのは当然と言える。大阪の中之島公園のようなところだが、そこはかなり改修されて昔のように緑が多くない。それもあって、蝉の鳴き声はかなり少なくなったと思うが、一方で夜にやって来るカップルや、そのいちゃつきぶりを覗き見する輩も出没しなくなったであろう。マイン川右岸はどうかと言えば、ストリート・ヴューで見る限り、ファスビンダーが撮影した時のまま保たれているようだ。ストリート・ヴューは車道を走る車から撮影するから、今日の1,2,3枚目のような河川敷公園の様子を見ることは出来ないが、4,5枚目からは40年前と変わらないように見える。ファスビンダーのファンがフランクフルトへ行けば、この河川敷を歩くのもよいが、深夜や夜明け前なら、『13回の新月のある年に』の冒頭のように男色家に言い寄られるかもしれない。ついで書いておくと、性転換手術をしたエルヴィラは、おとこが恋しいさびしさのあまり、その河川敷に行く。てっきり男と思われて見知らぬ男に抱きつかれたはいいが、「お前、チンポがないぞ!」と言われる。その際エルヴィラは「割れ目はあるわ」と返事するが、下着をまさぐった男はエルヴィラがブラジャーを身につけていることに気づき、暴力を振るう。エルヴィラは男を求める時に男の服装では自尊心が許さず、性転換手術をしてあくまでも自分は女だと思っている。そのことを友人の売春婦に言うと、「わかるわ」と理解を示されるが、その女がアントンとすぐに寝ることを先日書いた。エルヴィラは男からは愛されず、女からは騙され、またよりを戻そうと元妻に会いに行くが、そこでも拒否される。そういう疎外感のみ味わうエルヴィラの住む街として、ファスビンダーはフランクフルトがふさわしいと考えた。
●フランクフルトの思い出、「マイン川右岸の線路」_d0053294_01184998.jpg
 1,2,3枚目の画像が撮影された場所はハウプトバーンホフ駅から300メートルほどの距離で、その意味でも大阪の中之島公園に相当するが、実際にそこはホモたちの集まる場所かもしれない。男色家でもあったファスビンダーはそういう点はよく調べながら、またいかにもフランクフルトらしい場所ということで冒頭場面の撮影のために選んだのであろう。この冒頭場面は、その後の物語の展開とはほとんど無関係で、最初か最後に撮影されたと思う。だが、そのいわばおまけのようなつけ足しによって、エルヴィラのような人物が今も徘徊していることを暗示する。日本の芸能界でもカルーセル麻紀がよくTVに出ていた60年代からこっち、同様の、あるいは性転換手術をしないが女装して女の言葉を使う男が雨後の筍のように増え、それもあってか、今では若い女性が平気で男言葉を使う世の中になった。そのため、エルヴィラが抱えたような不幸は昔のものとなったかもしれず、そうなれば『13回の新月のある年に』も顧みられなくなる可能性が大きいが、そうなったとしても、愛に飢えた人物の自滅する物語としての側面は生き続けるだろう。エルヴィラが「割れ目はわるわ」と男に応えたのは、両刀使いのファスビンダーの思いであろうが、普通に女をほしがる男に身を任せればいいものを、同棲する男は逃げ出して行き、エルヴィラは女よりは醜いことを自覚せねばならない。これは中途半端は生きる場所がないということになりそうで、『13回の新月のある年に』を単なるグロテスクな性倒錯者の悲劇と見る必要はない。さて、3枚目に見える線路は5枚目では枕木が新しく、線路が現役であることは確かだ。フランクフルトにはいわゆる市電が走っていて、筆者も毎日利用したが、その市電がマイン川右岸の河川敷を走ることは考えにくい。河川敷は市電が走っている路面からかなり低いからだ。また、河川敷に停留所を作ることはないだろう。この線路がどこから始まってどこで終わっているかは、ストリート・ヴューからはわかりにくいが、ウンターマイン橋の下までは通っていて、上流の大きなアルテ橋上からは見えないので、せいぜい1キロほどの長さであろう。また左岸にはないので、河川敷内の樹木の枯葉などを運搬するトロッコのためのものでもなさそうで、筆者は首をかしげ続けている。筆者がフランクフルトを訪れた時はこの河川敷までは降りていないし、またほとんど見下ろすこともなかった。中之島のように観光船が運航していて、その波止場があるので、船を利用した人々をウンターマイン橋まで運ぶ小さな列車が走っているのかもしれない。『13回の新月のある年に』の冒頭ではエルヴィラが暴漢たちからほうほうのていで逃れる場面があり、その際にこの線路を這って横切る。深夜や夜明けは列車は走らないとしても、人間が簡単に線路に出入り出来るので、運行本数は多くて1時間に2,3本であろう。
●フランクフルトの思い出、「マイン川右岸の線路」_d0053294_01191210.jpg
 ストリート・ヴューにこの線路を走る列車が映っていればいいが、それはない。また、線路がほとんど芝生に埋もれている箇所もあって、ますます謎めく。そこで思い切って「フランクフルト マイン川 線路」とネット検索すると、即座にわかった。この線路はかつて貨物列車が走っていた。マイン川を運行する船と連絡していたのかもしれない。第2次世界大戦でマイン川の橋は全部爆撃されたというが、終戦後にこの線路は利用されることがなくなった。それを惜しむ声があり、年に数回ディーゼル列車や機関車を走らせるそうだ。日本なら線路を剥ぎ取ってそこに石を敷き詰める。京都の市電の線路はすべて撤去された。せめて西大路通りと北大路通りだけでも残せばよかったが、今からその大通りにフランクフルトのような2両編成のトラムを走らせる案が出ても、とてもその敷設費用がないとして退けられる。フランクフルトは道幅はどこも御堂筋のように広くはないが、バスもトラムも走り、また中心部はどこも歩いて行けるほどだ。地下鉄も走っているが、バスやトラムが及ばない郊外と結んでいるのではないか。京都はバスと一部の地下鉄のみで、路面電車を走らせると交通渋滞がさらに悪化すると予想されるが、市内に観光の車を走らせないのであれば充分可能だ。フランクフルトは車がさほど多くなかった印象がある。『13回の新月のある年に』にもそれは出て来ない。フランクフルトで古い家が建ち並んでいた地域に高層ビルが建つのは日本の大都会と同じだが、フランクフルトでは市庁舎からして中世のままで、少し郊外にはまだ古くて貫禄のある建物がある。京都は西陣もほとんど昔の面影がなく、京都らしさは寺社や御所、二条城程度にしか残っていない。それを目当てに外国から観光客が来るが、フランクフルトは観光に力をどれほど入れているのか知らないが、昔の線路をいつでも列車が走れるほどに手入れをしているところは見上げたものだ。ファスビンダーの映画とストリート・ヴューを併せ見て、マイン川右岸の河川敷内に線路があることを知り、行った気分になれる。それほどに25年前の記憶は鮮明だ。今はヨーロッパに行くのも格安の航空券があるが、筆者は10数時間も同じ席に座っていることに耐えられない。思った瞬間に現地にいるという時代が来るのかどうか。そういう時代になれば人間は何を楽しみに生きるか。エルヴィラは愛を求めて得られずに自殺するが、他者の愛を得ること以上の楽しみはないということか。それでみんなスマホで誰かとつながっていることを感じるのだろうが、結婚しない若者が増えていることは、他者の愛を得ること以上の筆舌に尽くし難い楽しみがあると思っているからか。だが、金持ちや有名になったところでそれは得られるとは限らない。
●フランクフルトの思い出、「マイン川右岸の線路」_d0053294_01193421.jpg




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