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●『CUBE(キューブ)/ELEVATED』
んもね。これはムーギョやトモイチなど、スーパーに行った際に筆者がよく家内に発する言葉だ。「値引き商品が何にもない」との意味で、値引き率が3割以上でなければ容易に買わない。



●『CUBE(キューブ)/ELEVATED』_d0053294_00370749.jpgとはいえ、半額割引の商品が並ぶ時間帯に訪れることはほとんどない。それで行くたびに「なんもね」を繰り返す。この言葉は吉幾三の『俺さ東京さ行くだ』の歌詞に出て来るが、そう言えば嵐山地区にはスーパーがなくなり、「なんもね」の田舎になったが、筆者が梅津や嵯峨のスーパーで格安商品がないことに「なんもね」をつぶやくのは理にかなっている。さて、今夜息子が帰り、また元の静かな日々が明日から始まるが、正月休みの間、家族3人で神戸や大阪に出ようとしながら、今日はひどい雨が続き、寒さも手伝って終日炬燵に籠もり切りになった。寝正月と言うにふさわしく、筆者は2キロ太ったが、昨日風風の湯で計ると、増えた2キロの半分は減っていた。この調子では数日後に元の体重に戻る。家にいてTVばかりでは面白くないので、たまっているDVDやビデオなどから適当に選んで映画を見ることにしたが、息子に見せたいと思っていたザッパのDVD2本や映画1本の次に、今日取り上げるビデオを見つけた。買ったまま数か月から数年経ってしまうことは珍しくないが、これは先月のクリスマス近くに買った。NHKのTV番組で外国人識者の討論会があり、誰かがこの映画について言及したのだ。それで早速買った。地味な映画の割りにアマゾンでは感想の書き込みがとても多い。息子はTV番組やゲームに脱出ものがあって、その元祖のような映画だと、見ている途中で言ったが、家内は気味悪がって、ほとんど見なかった。ともかく、なんもすることがねえ正月休みに消化出来てよかった。1997年のカナダ映画で、監督はヴィンチェンゾ・ナタリというアメリカ人で、現在までコンスタントに映画を撮っている。本作『キューブ』の後に『エレヴェイテッド』という20分の短編映画が収録されていて、やはり97年の作品だが、そのアイデアを膨らませたのが本作だ。恐怖映画のジャンルに分類するのがいいが、閉ざされた謎の立方体の空間のみを舞台とする低予算のSF映画とも言える。登場人物は男女7人で、ひとりを残して全員が死ぬ。最後のひとりは立方体が連続する空間から脱出出来るが、彼は他の6人とは違って、『カッコーの巣の上で』に登場する精神病患者と同じようにいわば世間からのはぐれ者だ。そういう人物が最後に残って光が降り注ぐ外界へと出るのは暗示的だ。うがった見方をすれば、最も自由に生きられるのはそういう人たちであって、常識人はみな閉鎖空間でのたうち回り、もがき苦しんで死ぬ。そこに中国の古代の禅思想の影響があると見ることも出来る。そういう読み取りが可能なほどに、見る者の解釈が多様な作品で、本作の続編、続々編の評価が芳しくないことには合点が行く。
 「なんもね」そのものの一辺が5メートルほどの立方体に7人はそれぞれ単独で閉じ込められているところから映画は始まる。6つの壁面には電子回路のような文様が全体にあって、壁面中央に扉がある。ハンドルを回すことで隣りの部屋に移動出来るが、壁面の色が異なるだけで構造は全く同じだ。また、前後左右上下とどこへでも移動可能だが、立方体の部屋がいくつつながっているかはわからない。また、どの部屋も安全であれば、体力に任せて次々に移動すればいつか端の部屋にたどり着き、そこから下界へと出られるはずだが、そのように部屋がつながっているのかどうか、また部屋の数がいくつあるかわからない。本作の恐怖は、部屋によっては特殊な殺人装置があることで、一瞬のうちにサイコロ状、つまりところてんのように体が切り刻まれたり、強い酸で焼かれたりする。隣りの部屋にそういう危険があることを7人から犠牲者が出ることによって残りの人物は学んで行くが、7人は最初からひとつの部屋で目覚めたのではなく、ある程度離れた部屋にいたのがひとつの部屋に集まるところから本格的な物語が始まる。また、職業や年齢がまちまちで、それぞれそれなりに特技を持っているが、眼鏡をかけた女子学生は数学が得意で、彼女は部屋の仕切りに刻印されている3桁の3つの番号に、危険が及ぶか及ばないかのヒントが隠されていることを発見する。そうなれば移動は早くなるが、途中でその考えが間違いであることに気づく。そうした試みの失敗が続くたびに残された人物は発狂しそうになるが、その辺りの物語の運びはなかなか巧みで、恐怖に陥る心理がよく伝わる。また、そうでなくても換気のない、閉じられた狭い空間であるから、閉所恐怖症でない人でもそれを覚えるであろうことが推察される。同じ部屋に留まっていれば安全だが、やがて餓死するから、何が何でも外へ出なければならない。そこでお互いの疑心暗鬼も働いて、サヴァイヴァル・ゲームのような事態になり始める。そうなると女は弱いが、先の学生のように、脱出に役立つ考えを発見出来る者は大事にされる。だが、彼女はもう一歩のところで争いに巻き込まれて命を落とす。彼女は3桁の3つの数字に素数が混じる場合とそうでない場合とで、部屋が安全かどうかを判断したが、やがて別のもっと複雑な仕組みがあることに気づく。そこから映画は後半に差しかかるが、部屋は固定されておらず、絶えず移動していることを知る。つまり、せっかく最下層の端に移動しても、もたもたしている間にその部屋は全く別な場所に移ってしまう。時間との戦いもあるのだ。苦労して移動したというのに、最初と同じ部屋に戻って来たことを知る場面がある。体力を使っただけで、努力は徒労であった。それでもまた知恵を絞り、勇気も出して脱出寸前にまでたどり着くが、先に書いたように、無事に外に出られたようなのは、精神病者ひとりだ。また、下界の様子は一切描かれないので、その光に満ちる場所が、人間が普通に生活する空間とは限らない。
 この映画は何を暗喩しているか。それは自由に思ってよいが、閉じられた空間は、壁は見えないものの、人間の社会と思ってよい。会社や学校、入院患者であれば病院など、人間には属する社会がある。その社会が窮屈でそこから出たい人はいつの時代も大勢いる。あるいは会社という狭い空間に居心地よく居座っていても、定年になれば放り出され、新たな社会の構成員となる。そして、交際の苦手な人は家にひとりで閉じこもるが、その意味で引きこもりは本作の立方体の部屋から出ようとしない人にたとえてよい。そういう人は本作では登場せず、全員が壁面の6つの扉を開けて移動を試みる。それは自由を求めての行為だ。だが、その自由はなかなか得られない。頭を使い、体力を消耗し、根気よく努力しても、移動した先は運がよければ危害を及ぼされない部屋だ。下手をすると部屋で殺されてしまう。それは不注意であるからという理由のみで説明出来ず、運が大きく左右する。ある社会が嫌で、別の社会に移住する人はたくさんいる。日本ではタイへ移住する人が一時多かったが、時代が変わって、移住した当初のような生活を続けることが難しくなって来ている。サラリーマンから自営業に携わる人もあるが、そこには別の苦労が待っていて、明るい出口が見えるとは限らない。そのように、人間はより自由を求めて彷徨するが、どこもそれなりに苦労が待っている。そう考えると、本作は全く夢も希望もない人間の現実を暗示していると言える。だが、人間とはもともとそのような存在かもしれない。じっとしていればそのままそこで死ぬだけで、動けばまた危険が待っている。どこまでも変わり映えしない空間が続くだけであれば、自分の考えを変えるしかない。そのような人間の本質をヨーコ・オノは「BORN IN A PRISON」と歌に込めたのかもしれない。立方体の閉じられた空間が前後左右上下にどこまでも続く施設に放り込まれた場合、監獄以上の恐怖を感じるはずだが、本作はその人間の空想を喚起させる。本作の中で、ある登場人物は軍産複合体がその迷路状の部屋の連続作り、自分たちを閉じ込めたかと言う場面があるが、大きな権力の仕業であるとしてもその正体や意図は一切説明がなされない。閉じ込められた人たちは思い当たる理由がわからないままで、カフカの小説のような理不尽な怖さを根底に置く。本作を映画館で見た人たちは、映画館から外に出た時、本作の最後の生き残りが外界に出た時のような感動を味わったであろう。その意味で監督は映画の効果をとてもよく研究している。莫大な予算を使わずに、立方体の部屋を1個か2個用意し、そこに俳優を7人登場させるだけで、迷路がえんえんと続き、知恵と努力の空しさを伝える。それのどこが面白いかだが、ハラハラドキドキが味わえれば、安全な場所で本作を見る人は一級の娯楽と思う。
 『エレヴェイテッド』はエレヴェーターのみを舞台にした映画で、登場人物は3人だ。『キューブ』以上に「なんもね」の映画で、俳優の得院議とカメラワーク、そして溢れる血糊という小道具で見せる。エレヴェーターの閉じられた空間は、知らない人が入って来れば緊張が生じる。そしてなるべく早く自分の目指す階で降りたいと思う。だが、本作のように44階もあれば、また男女が乗り合わせたり、胸が血だらけの慌てた男が入って来たりすれば、内部に恐怖やパニックが生じる。上下移動のエレヴェーターを前後左右上下と6方向に移動出来る立方体の部屋の連続した構造体に発展させたのが『キューブ』で、また内部のIC回路状の謎めいた壁面デザインもあって、『キューブ』は時代を特定しないSFホラーになっている。『エレヴェイテッド』はどの高層ビルの内部でも起こり得るような恐怖を描き、もともとあまり利用したくない筆者はなおさらこの短編によってエレヴェーター嫌いになりそうだが、大阪のたとえばグランフロントの大きなエレヴェーターは、壁面の一部がガラスで、外が見える。『エレヴェイテッド』では完全な密室で、またひとつしかない扉が利用出来ず、天井を破って外に出ようとするが、この天井が大きな意味を持つことは、『キューブ』では活かされない。そこでは6つの同じ壁と同じ扉があって、内部にいる者は方向感覚が奪われている。話を戻すと、この方向感覚のなさは、社会に生きる人間にとっては誰しもで、認知症にでもならない限り、彷徨感覚も失くす。人間はいろいろと夢想する動物だが、現実はひとつで、ある場所、ある地位に固定されている。たまに散歩や旅をするとしても、本質的にはある社会の成員で、そこが嫌で他に移動すればいいようなものだが、移動すれば一から人間関係を築く必要がある。それがまた難儀で、高齢になるほどに馴染んだ場所で長く留まりたいと思うようになるだろう。『シチリアのザッパ、82年夏』では、ザッパの息子や娘が、祖父が暮らしていた家を訪れる。そして、そこから祖父がアメリカにわたり、やがてザッパが生まれ、自分たちが生まれたことを実感する。今持っている自分の立場を全部捨てて、言葉も知らない異国で生活出来るかと、ドゥイージルは自問するが、祖父は貧しさから逃れるために人生を大きく賭けた。アメリカでそれなりに落ち着いた祖父だが、アメリカが『キューブ』の最後で描かれる光に満ちた場所であったかどうかは、祖父に訊かねばわからない。別の閉塞した空間に移動しただけであったとも限らず、人間は「なんもね」と現状に不満を抱えながらも、それが人生かと思えば、想像を逞しくして精神を自由に羽ばたかせることは出来るのではないか。精神病者やあるいは認知症の人は、もっと自由を感じているかもしれない。最後に書いておくと、『ビルとテッドの地獄旅行』に出て来る地獄の通路は、本作の立方体の部屋の連続にかなり似ている。また、最後に外界にひとりだけ脱出するのは、『カッコーの巣の上で』を思わせる。




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by uuuzen | 2018-01-08 23:59 | ●その他の映画など
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