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●『ビルとテッドの地獄旅行』
演者がアレックス・ウィンターでなければ絶対に見ない映画を先月は2本紹介した。どちらも現在のアレックスのザッパに関するドキュメンタリー映画作りに直接結びつく何かは見出せなかった。



●『ビルとテッドの地獄旅行』_d0053294_17053068.jpg今日紹介する映画はクリスマス頃にたまたま本棚で見かけた。1年ほど前に買ったもので、持っていることを忘れていた。それはともかく、シリーズの第1作目である『ビルとテッドの大冒険』を先に見たことはよかった。また、シリーズの2,3作目というのはだいたい凡作である場合が普通で、本作も確実にそうだと思って見たが、途中で眠ってしまった。それが5,6分だと思うが、筆者のヴィデオ・デッキはリモコンがどういうわけか巻き戻しが出来ず、そのまま最後まで見た。すぐに感想を書こうと思いながら、内容が今ひとつよくわからない。それでもう一度見る必要を感じたが、見始めるとまた以前と同じように途中で少し眠ってしまった。見なかった箇所は以前とは違うので、2回の鑑賞をつなぎ合わせると全部見たことにはなるが、二度目でようやく全体像がわかった。本作は構成がかなり複雑で、見るたびに発見があるような凝った映画だ。つまり、第1作の二番煎じにはなっておらず、むしろこの2作目の方がいいように思う。では3作目が作られたかと言えば、そうはならなかった。ネタ切れのためだろう。それほどに本作ではあらゆることをぶち込んでいる。前作の1989年から2年後の製作で、当時ザッパはアンサンブル・モデルンとの『ザ・イエロー・シャーク』の公演に向けて練習をしていた。アレックスは当時ザッパの音楽に魅せられていたかどうかだが、これは本人のインタヴューがなければわからない。それがネットのどこかに出ているのかもしれないが、筆者は探したことはない。またこのブログでは、アレックスがキックスターターで始めたザッパの音源や映像の安全な保存と、それを経てのドキュメンタリー作品を作るための費用を一般から募る企画に支援金を寄せた者だけに送信されるメールをそのたびに紹介してはいるが、筆者が支援のために画面をクリックしたのはその企画の最終日ギリギリで、筆者にはアレックスが始めたメール送信は2年前の春の「41」からであった。それ以前のものはアメリカの大西さんから転送してもらったが、そこにもアレックスがザッパの音楽とどういう出会いをしたかについては書かれていなかったと思う。先ごろ発売されたDVD『シチリアのザッパ、82年夏』は、同作に出演する監督やマッシモ・バッソリはザッパの音楽との出会いを語る場面があった。それに倣ってアレックスがこれから完成させるドキュメンタリーではぜひともザッパの音楽との出会いを大いに告白してほしい。
 本作も前作もロックをテーマにしている点でアレックスが全くとは言わず、多少ないしかなりロックに関心があると見ていいだろう。無関心でもこういう映画で主役を務めることは可能だが、『ロザリー・ゴーズ・ショッピング』では家族で合唱する際にアレックスが演じた息子は指揮棒を振ったから、音楽への関心は大きいだろう。80年代後半のアメリカでどういうロックが流行っていたかについては筆者は知識は乏しい。また前作や本作でのロックはハード、メタル系で、アメリカのそういう有名バンドについては名前くらいは知っているという程度で、映画のしかるべき場面にしかるべき音楽を用いるという監督のこだわりまでは全くわからない。では、アレックスがそうしたアメリカの有名なメタル・バンドに強い興味があったとして、それがなぜザッパにつながったのかという疑問があるが、本作を見てそれが少しはわかった気がした。前作との大きな違いは、スティーヴ・ヴァイの曲を使っていることだ。ヴァイのCDはほとんど全部持っているし、また彼の特徴的なソロはほかのギタリストでは模倣出来ない。アレックスが本作を特徴づけているヴァイのギターに新鮮さを感じ、ヴァイがザッパのバンドで演奏していたことを知って、ザッパの音楽を聴くようになったと推察出来る。あるいはもっと以前から関心を抱いていたかもしれないが、ともかく本作からはわずかではあるがザッパとの縁が感じられる。本作にはヴァイ以外に有名なバンドの曲が引用されているが、筆者は本作のサントラCDを買ってまで聴くつもりはない。それほどにザッパのハードなギター曲は本作に使われる曲とは様相が違う。現在のアレックスが本作への出演をどう思っているのか知らないが、仮に本作以降にザッパの曲を聴くようになったとすれば、アレックスは大いに成長した。1965年生まれであるので、本作公開時は26歳だが、その頃にザッパの音楽に開眼するのは、遅過ぎることはないだろう。では、本作は前作に続いて高校生が楽しむものかと言えば、本作ではビルとテッドは高校を卒業しているので、もう少し大人が見ても楽しいように作られているかもしれない。先に書いたように、本作は凝った構成で、大きく分けていくつかの場面の雰囲気がみな全く違い、その目まぐるしさのあまり、物語の筋を追うことが難しい。邦題に「地獄」とあるので、現世と地獄のふたつを往来するように思うが、未来や天国の場面もある。それに前作と違ってSFXを使い、グロテスクさは増している。原題には「BOGUS」の言葉が使われるが、これはザッパの曲名にもある「贋の」という意味で、本作はザッパが好むタイプの映画に思える。
 前作の題名には「EXCELLENT」が含まれていて、ビルとテッドはこれを合言葉のように何度も繰り返した。本作でもそうだが、そう言えば80年代半ばのザッパは息子ドゥイージルのギターの腕前をその言葉で形容した。当時アメリカで流行ったのかもしれない。本作ではビルとテッドは「NO WAY!」も連発する。そうした流行り言葉は日本でも若者は毎年生み出すので、やはり本作は若者向きだが、前作のように学校で学ぶ偉人といった教養主義的な面は後退している。ただし、前作のベートーヴェンに対してバッハが最初の方で登場する。ただし、前作ではベートーヴェンが現代のアメリカに蘇って大いにプール遊びを楽しむといった無茶はなく、バッハは登場する必要がなかったと言ってよい。そのようにせっかくの布石が後に生きて来ない点は、作り込みが浅いと評されかねない。そこは「贋」を主題にしているので、深く考えるなということだろう。同じように布石に見えて、後でつながりがないということはザッパの音楽でもよくある。さて、本作は前作と同様、アホらしい筋立てで、笑えればそれでよしというコメディだが、ブラックな笑いは前作よりも多い。たとえば、未来からやって来たビルとテッドのロボットによりアメリカの砂漠の岩山から突き落とされた本物のビルとテッドは地獄へ落ちる。そこでいろんな地獄をさまようが、ある部屋ではビルは少年に戻る。そしてそこでは大きなテーブルの先に高齢の祖母が座っていて、自分の誕生日のケーキを前にしている。祖母は醜い化粧をしているのではなく、80代か90代では誰でもそのようになる皺くちゃの顔だ。少年ビルは祖母の表情に恐怖を抱き、またその祖母が孫のビルにキスをせがむと、ビルはそれから逃れるためにその部屋を駆け足で脱出する。それでも祖母は追いかけて来るのだが、孫がいかに祖母であっても高齢の老婆を厭う行為は、どこかさびしい。それが現実であるだけになおさらで、本作を見る若者はみなその少年ビルの恐怖に同調し、そして大いに笑うだろう。そのように悪趣味な場面はあるが、喜劇においてどこまでブラックな笑いが許容されるかという問題を本作は提起していると思える。グロテスクなSFXの場面は最初の方に登場するビルとテッドのロボットだ。ふたりは顔を下着を脱ぐようにめくり上げるが、精巧に作った仮面を脱ぐような不自然さはない。『ターミネーター』を筆者はまともに見たことがないが、そうした映画で培われた手法を使っているのだろう。このふたりのロボットは本物と服まで同じで、計4人が部屋の中で共演する場面では、どちらがロボットなのか、見分けがつかず、見ていて混乱する。そしてそのことが後の場面にも尾を引き、その点が本作の構成をややこしいものと思わせる一因になっている。もちろん、4人が一緒に映る場面は合成だが、その不自然さが皆無であるのも、映像技術の進化によるもので、本作は安っぽい部分とそうでない部分が同居している。
 本作の制作費は安かったのかそういでなかったのかは知らないが、低予算ではないだろう。それに近いとしても、予算の範囲内で可能な限り凝った映像を心がけている。その点もザッパ的だ。予算の足りない部分は頭を使うと言えばいいか、「贋」と大きく謳いながら、その贋の仕上がり具合をいろんな角度から楽しめるように作られている。そのひとつはパロディで、本作は前作のパロディとも言える。前作の物語との関連を持たせつつ、またロック音楽という最大のテーマを扱いつつ、未来社会から派遣された人間そっくりのロボットを使い、本物のビルとテッドを始末させるという物語は、奇想天外というほどのものではなく、使い古されたものと思うが、そのロボット対本物との対決という物語とは別に、本作のもっと重要な物語がある。それは本物のビルとテッドがさまよう地獄と天国で、これはダンテの『神曲』に倣っているが、ベアトリーチェではなく、死神が登場し、やがてビルとテッドの部下のようになる。それらの場面はアホらしさの極地で、死神は恐怖ではなく友情や笑みの象徴となっている。その死神はビルとテッドにしたがって天国まで行くが、ビルとテッドに数々のゲームで負けた死神はビルとテッドの望みを何でもかなえることになる。ビルとテッドは現世に戻ってロボットの自分たちを打ち負かすために、アインシュタイン以上の全宇宙で最も賢い科学者を紹介してもらう。それが妖精と獣を混ぜたようなキャラクターで、中に小人が入って演じていると思うが、このふたりは合体してひとりの巨人になる。それは先日紹介した『カッコーの巣の上で』に出演したインディアンのような雰囲気だが、彼はビルとテッドの望みどおりに、ホームセンターで購入した資材によって瞬く間にふたりのロボットを作る。ただしそれは未来からやって来た本物そっくりのロボットとは大違いで、ギクシャクと動く古い時代のロボットそのもので、それが確か600年ほど先の未来から来たロボットと対決するかと言えば、そんな場面はない。このように、部分的には論理的な筋立てがなく、場面ごとの作り込みの妙とその変化を刹那的に楽しむところに本作の醍醐味のようなものがある。そして繰り返すとそれはザッパの音楽にかなり似ている。最後はロック・コンテストの場面で、結局未来社会を牛耳っているある男の望みに反して、派遣されたビルとテッドのロボットは過去を作り変えることは出来なかったという落ちだが、ビルとテッドのロック・バンドは、ドラムスとキーボードはそれぞれビルとテッドの彼女で、しかも500年前のイギリスから連れて来たという設定であるので、ややこしくて仕方がない。テッド役はキアヌ・リーブスで、筆者はこの俳優の作品を家内と多少見ているが、記憶に残っていない。本作や前作でもアレックスより目立っていないが、今ではアレックスの方がはるかに知られないだろう。ザッパに関心を持つこと自体、そうなる運命にあったと思える。
by uuuzen | 2018-01-04 23:59 | ●その他の映画など
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