人気ブログランキング | 話題のタグを見る
👽💚🐸🐛🍀📗🤢😱5月11日(土)、京都河原町三条下るLive House『DEWEY』にて👻『ザッパニモヲ 💐母の日LIVE』午後5時開場、6時開演。3500円👽筆者の語りあり。
●今回は初めての別会場での、そしてザッパ/マザーズの結成日である1964年の「母の日」から60年という節目における、ザッパニモヲの演奏です。チラシ画像はここ。恒例の手製のお土産をくじ引きで配布します。

●薔薇の肖像、その15
木に白薔薇のVIRGOを継いだ苗木なのか、今日裏庭で蕾が出来ているVIRGOを見ると、全体に赤い。最初の写真がそれだ。



●薔薇の肖像、その15_d0053294_01134814.jpg
これまで3回は蕾が出来るたびに切り取って来たが、この赤い蕾がどのように大きくなるのか確認するためにそのままにしておこう。VIRGOの苗木を通販で買ったのは去年の春で、その蕾が小さな花となった様子はブログに投稿した。「健気に咲いた白薔薇VIRGO」という題名で、去年の6月27日だ。薔薇の写真を載せるのはその時以来だが、それ以前は「薔薇の肖像」と題して連続番号をつけて投稿していた。今調べると、「その14」を2年前の1月30日で、半年に一度は薔薇について投稿しているようだ。近所の散歩の時や大阪に出かける時に持参するカメラのカードには、確か2年前に大阪の中の島公園東端の薔薇園で撮影した10点ほどの写真が入ったままになっている。撮影した時のことはよく覚えている。カードの残量がなくなったので、咲いていた品種の半分も撮影出来ず、それが不満であった。そして数日後にまた大阪に出かけて残りを撮影しようと思ったが、そのままとなった。そのように、撮ったままでブログ用に500×360ピクセルに加工しない写真や、また加工したのに使っていない写真がたくさんある。投稿する時間がないためだが、自由に使えるまとまった時間が出来ても今度は書く気になれない場合が多い。必ず毎日投稿しなければ死ぬというのでなければ、このブログのためにだけ生きることはとても無理だ。とはいえ、今日は裏庭に出てVIRGOを確認し、久しぶりに薔薇の写真を投稿しようという気分になった。昨日はムーギョまで徒歩で往復し、その時にいくつかの薔薇の開花を見たことにもよる。カメラを持って出かけなかったので、今日は最初の写真を撮った後に梅津に向かった。撮るべき薔薇がある場所はみんなわかっていて、それは3か所しかないので、帰りは従姉の家に新年の挨拶がてらに立ち寄ることとし、その途中で薔薇の花を探すことにした。冬の薔薇は花弁が円錐形となって蘂を覆い、そのまま枯れて行く場合が多いが、筆者はその蘂をすっぽり覆った形が好きで、冬のひとつの見ものとなっている。だが、今日はそのような薔薇を見かけなかった。また、今日の写真は以前にも撮って投稿したのと同じ場所にある同じ品種である可能性が大きいが、撮影の角度や日時が違うとかなり違った印象を与えるであろうから、同じ花の子孫であってもかまわない。去年は梅津よりも嵯峨のスーパーにもよく出かけたが、その近くに薔薇を植えている民家がいくつかあり、梅津よりも花好きな人が多いようだ。今日は梅津から嵯峨に回ってもよかったが、従姉の家で話し込み、気づけば午後6時7分で、もう真っ暗であった。運動を兼ねて歩いて出かけたのに、よほど筆者が強く断らない限り、いつも車で家まで送ってもらうことになる。今日もそうなった。
●薔薇の肖像、その15_d0053294_01141213.jpg 最初の話に戻ると、台木に接いだ白薔薇のVIRGOを買ったのであれば、販売者に文句を言ってやろうか。牡丹では接木はあたりまえのように行なわれるが、薔薇もそういうことがあるのかもしれない。白を楽しみに買ったのに、赤い花が咲くと、それはVIRGOではないから、買った意味がない。あるいはVIRGOは弱い品種で、接木して育てるのが普通かもしれない。そして、手入れを省くと赤い花になるのだろうか。冬場は2日に一度の水やりでよいと説明書にあって、その役割を家内がしてくれている。そのため、予想したとおり、筆者はほとんど成長を気にかけない。クリスマス前に家内が蕾が出来ているが、いつものように切り取らなくてもいいのかと訊いた。説明書には秋までに出来る蕾は全部切るようにとあって、この蕾はそれ以降のものであるから切らなくてもいいと判断した。蕾が出来た尻から切ってばかりでは、いつ花が咲くのか。とはいえ、1月の蕾が3,4月に大きな花になるとは思えないから、やはり切るべきか。水やりは説明書のとおりに守っているし、また葉の裏によく虫がついて歯を食い荒らすので、殺虫剤は買って来た。もうひとつ必要なのは液体の肥料だ。これがホームセンターで売られているのかどうかわからない。説明書にあるものを買うべきで、ネット通販で買えるが、送料を思えばホームセンターがよい。ただし、薔薇の液肥を売っているのは樫原にある店で、そこまで出かける用事がなかなかない。そのホームセンターは、先日投稿した「向日市へ向かう道」に載せた最初の地図の、左の青線の「洛西口」という文字のちょうど「洛」にあるが、同投稿に書いたようにその青線のルートはひどい悪路で、タイヤがパンクする可能性が大きく、最近はめったに走らない。ともかく、買った苗木に栄養剤を全く与えておらず、それで白いはずの薔薇が怒って赤くなったのかもしれない。また、この赤は大きくなるにつれて消える可能性もあるが、写真のような赤さであれば、白い花弁になっても赤みは多少残るだろう。それではVIRGOとは呼べないのではないか。嵯峨のスーパーの近くにある薔薇はどれも枝が太く、かなりの知識のある人が大事に育てていることがわかる。VIRGOを育てるには中級の技術が必要で、筆者のような初心者では枯らしてしまうか、いつまで経っても枝は太くならないだろう。最初の写真のみ、薔薇にピントが合わず、背後の植物の方が鮮明に見える。雨露がたくさんかかって可憐な感じがよく出ていると思うが、とても小さな蕾で放置していても開花しないだろう。今年の冬はとても寒いというからなおさらで、人間と同じように霜焼けするだろう。それにVIRGOを育てるのにどういう日当たりがいいかを調べる必要があるだろう。日差しが当たる南に置いてはいるが、大きな椿や合歓気に遮られて光は充分とは言えない。
●薔薇の肖像、その15_d0053294_01151449.jpg その日当たりで言えば2枚目の写真の薔薇は日照時間がとても多い。そのためかどうか、この薔薇のあるごく狭い土地は年中薔薇が咲いている。赤がほとんどで、また放ったらかしに見えるが、夏はいろんな苗を植えていて、主は植木好きのようだ。一番好きな花が薔薇のようで、それが筆者の目の保養になって、郵便局や梅津に出かける際は必ずこの薔薇のある植え込みを注視する。写真では下に薔薇の実が写っている。これは毎年10個ほどは出来て、いつの間にかなくなっている。この実でジャムを作ることが出来るとTVで知ったが、筆者が知る限り、薔薇の実が最もたくさん出来るのはこの植え込みで、勝手に地面に落下し、育てている人が無関心であれば、それをもらいたいが、地面に落ちているところを見かけたことはない。写真では左端中央にも実が見え、また右中央には枯れた後、実が出来つつあるのが2個見える。このように、次々と咲いては実となり、よほど栄養が充分のようだ。花は高さ2メートルほどに育ち、もう少し背が低い方がいいが、主はほとんど放置したままで、野生的なたたずまいになっている。それが面白い。そう言えば、同じように深紅の薔薇は梅津のトモイチのすぐそばの民家では生垣のようになって乱雑に花をたくさん咲かせる。そこも終日太陽が照り続ける。それに風通しも申し分ないが、バスや車の排ガスがやはり終日絶えず、場違いな雰囲気で咲いている。またそれがいい。いかにも品のよい金持ちの庭に咲いている薔薇は、美しさが倍増するかのようだが、そうとは限らない。むしろ場違いなことが美しさを際立たせ、印象を強くする。そう言いながら3枚目の薔薇を説明すると、これはよく手入れをされた鉢植えで、松尾橋東詰めの喫茶店の前に咲いている。いくつか大きな鉢があって、どれも品種が違うが、今日咲いていたのはピンク色の大輪ひとつだ。花弁が円錐形で蘂を覆う形に近いが、花弁がほころび始めている。だが、おそらく内部の蘂が見えないままで枯れる。深紅とピンクでは筆者は前者が圧倒的に好むが、こうして大輪となるのは色気たっぷりの40代のふくよかな美女を思わせ、見ていて飽きない。この喫茶店は10年ほど前に改装されたが、それ以前も筆者は入ったことがない。常連が集まるようで、入りにくい。それでこの店から東へ200メートルほどにある喫茶店に数年前の大晦日に家内、息子とともに入ったことがある。が、儲からなかったようで、内装はほとんどそのままに小間物を売り始めた。そしてそれも儲からなかったのか、先日家内と通った時には全面的に改装し、確かクリーニング店になっていた。以前の主は店を売却したのだろう。それほどの変わりようだ。もっと東の梅津段町に2,3年前に喫茶店が出来て、そこには家内と早速入った。松尾橋のたもとにある店は、3枚目の写真を撮ったからにはいつか入るのが礼儀か。薔薇を眺めながらコーヒーや紅茶を飲むのは贅沢なことで、どうせ入るなら薔薇を植える喫茶店がいい。ただし、松尾橋東詰めの喫茶店は内部から薔薇の鉢植えはほとんど見えないはずだ。
●薔薇の肖像、その15_d0053294_01154631.jpg 4枚目はムーギョの少し松尾橋寄りで、2、3枚目と同じく歩道際にあるのでよく目立つ。やや紫がかったピンク色で、枯れている。その様子が中年女の性器のようでグロテスクだが、これはこれでなかなか絵になっている。こうした枯れた花をほとんどの画家は描かないが、それは醜いという暗黙の了解があるからだ。枯れたものが醜いとすれば、老人は立つ瀬がない。花でも人間でも皺くちゃになる運命で、その皺くちゃ状態がグロテスクで醜いとするのは本能としても、もう少し見方を変えて皺くちゃもそれなりに味わいがあると思えないか。これは皺が目立つ者の考えで、若い人はせせら笑うかもしれない。それで老人は若い人に負けないぞとばかりに、たとえばTVに出る有名人で金持ちは、せっせと顔のあちこちに注射をして皺を失くそうとする。その結果、不自然な醜い顔となるが、本人たちはそうは思わない。そしてそのことがなおさら醜さに拍車をかけている。つまり、自然に逆らうなということだ。きれいに咲く花が枯れて皺だらけのばば色に変化するのは、自然なことで、そこには精いっぱい咲いたという記憶がある。あるいは蘂を花弁が円錐形で覆ったままで枯れて行く冬の薔薇は、立派に咲くことがなく、不幸であると言うことも出来るが、真冬の寒さに精いっぱい咲こうとした姿は美しい。それはともかく、昨日撮ろうと思った薔薇のうち、この4枚目を筆者は今日紹介したかった。もう切り落とされているかもと思いながら、道を急いだが、今日も日差しを受けていることに筆者は安堵した。このような枯れた薔薇の花の写真を使うことはこれまでの「薔薇の肖像」の投稿ではほとんどなかったはずで、今日の投稿は薔薇の開花が少ないという理由ではなく、あえてこの無残な女陰のような花を撮っておきたかった。この花を撮った後、ムーギョで牛乳と果物を買い、従姉の家に向かった。その途中、昔の筆者が住んでいた文化住宅のある道を通った。半分ほどはこの30年の間に建て代わり、老人のためのデイ・サーヴィスの施設になっている家があった。民家が密集する住宅地内部にまでそういう施設が出来ている。車が比較的よく走る道に出て従姉の家に向かうと、昔は高さ5メートル近くに育っていた白木蓮の木が高さ1.5メートルほどに伐採され、今年はもう花をつけない様子だ。育ち過ぎて鬱陶しかったのだろうが、思い出深い木が無残な形になったことはさびしい。その家のすぐ近くに5枚目の黄色い薔薇を見つけた。小さいが、黄色が太陽のようだ。従姉の家に着くと、すぐ近くの畑にユンボが入り、コンクリートの基礎が出来ていた。従姉に訊くと、地主が高齢のために農業が出来ず、売り払ったとのことで、3月には9軒の家が建つ。不思議なことに、高齢者と家の数の増加は比例している。
●薔薇の肖像、その15_d0053294_01160925.jpg




第2回プラチナブロガーコンテスト



by uuuzen | 2018-01-06 23:59 | ●新・嵐山だより
●『13回の新月のある年に』 >> << ●『WHO THE F*@% ...

 最 新 の 投 稿
 本ブログを検索する
 旧きについ言ったー
 時々ドキドキよき予告

S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30
以前の記事/カテゴリー/リンク
記事ランキング
画像一覧
ブログジャンル
ブログパーツ
最新のコメント
言ったでしょう?母親の面..
by インカの道 at 16:43
最新のトラックバック
ファン
ブログトップ
 
  UUUZEN ― FLOGGING BLOGGING GO-GOING  ? Copyright 2024 Kohjitsu Ohyama. All Rights Reserved.
  👽💬💌?🏼🌞💞🌜ーーーーー💩😍😡🤣🤪😱🤮 💔??🌋🏳🆘😈 👻🕷👴?💉🛌💐 🕵🔪🔫🔥📿🙏?