嵐のような年賀状作りが終わってちょっとした脱力感がある。年末なので、ガラス窓をきれいにするとか、仕事部屋を掃除するとか、すべきことは山ほどあるのに、ほとんど何もせずに物の溢れる片隅でこれを書く。
家内と筆者の似たところは、物を溜め込むばかりで整理が苦手なことだ。筆者ひとりでは、すぐにTVでよく紹介されるゴミ屋敷になるだろう。家内はそこまでずぼらではないが、筆者が書いたメモ1枚でも家内が勝手に捨てると大騒ぎして探すので、家内は筆者が手をつけたものはどんな小さなものでも筆者の了解なしに処分しない。それで物がたまる一方だ。古いメモは捨てればいいのに、10年以上前のものでも残している。二度と見ないものが大半だが、ごくごくたまにそのメモの山を探すことがあり、その心配から捨てられない。目下長年取りかかっている仕事が終われば即座に捨てるが、その仕事がここ数年は特に進展が遅く、いつになれば埒が明くかわからない。野球場のような広さの場所に住んでもいずれ筆者はその内部をゴミ同然の資料で埋めて、自分の居場所を縦横1メートルのわずかな空間にする。場所がなければないでそれに合わせて生活出来るはずで、購入した隣家も本などの資料で埋めるというのは、あるべき姿から逆行している。つまり、筆者は思うこととやることが反対向きだ。ところで、今年は同じ自治会で筆者と同じ年齢のOさんとMIHO MUSEUMに行くなど、何度か親しく話した。Oさんの家も3階建てで、しかも玄関脇にまで材料の木材が置かれ、家の中には一度も入ったことはないが、外から見る限り、仕事中心の生活で足の踏み場がなさそうだ。奥さんは去年亡くなったが、奥さんがいた頃は、お客さんが来る時は慌てて掃除して座れる空間を作ったそうで、それが嫌でなるべく他人は家に入れないとのことだ。これはわが家と全く同じで、家内は昔は筆者の知り合いなどがよくやって来たことを懐かしむ。息子が生まれた頃は本当に連日のようにたくさんの人がやって来た。それから生活の垢のようにガラクタが増え、お客さんを呼べなくなった。息子の部屋も今はすっかり倉庫で、息子が帰って来た今日、息子は1階の片隅で寝なければならない。全くひどい話だが、目下の仕事が終われば隣家のリフォームを再開し、買い過ぎた本なども処分するつもりで、それまでは我慢してくれと家内に言い続けている。話を戻すと、Oさんの奥さんもOさんの仕事の邪魔にならないように、Oさんが手をつけたどのような細かいものでもそのまま放置し、それで家の中は物で溢れた。奥さんはいつ誰が来てもいいように家の中をすっきりときれいに保ちたかったのだろうが、家の大部分はOさんが占領し、奥さんの居場所はごく少なかったと思う。それで筆者は奥さんのことを何となくかわいそうに思うが、それでは筆者は自分の家内の言うことにもっと耳を貸し、なるべく不要なものは買わないようにすべきだが、本は買う一方で、病気なのだろう。また、自分で読もうとして買いながら、家内に先に読ませる場合が多い。それは家内を読書に没頭させ、部屋の片づけから思いをそらすための筆者の作戦だ。家内は従順なので、いつもそれに引っかかり、『カラマーゾフの兄弟』という長編でも読んでしまう。
Oさんの奥さんの領土は、台所は別にして玄関前の車を置くスペースの真横にある畳1枚ほどに足るか足らないわずかな面積に大量の種類の植物を通販で買って植えることであったようだ。その大部分は奥さんが亡くなった後はそのままで、筆者の目には枯れているものが多いが、Oさんはその世話まで手が回らない。また、あまり植木に関心がないようだ。Oさんの奥さんが亡くなってから、筆者はたまにOさん宅に言って無駄話をするようになったが、Oさんはそれが筆者なりのさびしくなったOさんへの慰めであることは理解していて、またMIHO MUSEUMへ一緒に行ってからはOさんの表情が明るくなったように思う。わが家の内部をきれいにすればいつでもOさんを呼んで談笑したいが、今は掃除の時間もない。Oさんの奥さんは植物好きで、筆者とは話が合ったと思うが、まともにお互い顔を見たのは1、2回だ。突然死であったので、入院して苦しむことがなかったが、Oさんにとっては全く予期せぬことで、落胆ぶりにかける言葉がなかった。Oさんとは玄関前で話すので、どうしても奥さんが育てていた数多くの植物に目が行き、話題は植物になることが多い。わが家の裏庭は隣家のそれと合わせれば、Oさんの玄関前の小さな植え込みの10倍以上広いが、家内は伸び放題の植木が気に入らず、毎週のように文句を言うが、脚立に乗って切らねばならない枝については1月か2月と決めている。そして、毎年切っているのに、翌年には切った以上に伸びるのが不思議だが、これは木が枯れてはたまるかとの思いで、逆襲をするのだろう。また、枝の切り方も悪いかもしれない。切った分しか翌年は伸びないという剪定の方法がきっとあるはずだが、それを調べるのが面倒だ。Oさんの家の植え込みは背の高い木は無理なので、実が出来る植物があるのかどうか記憶にないが、あるとしてもたくさん実は収穫出来ない。その点、わが家では今年は梅酒が漬けられるほど多くの梅の実が獲れ、もっと実のなる木をと思わないでもないことはブログで何度か書いて来た。そう言えば、風風の湯でよく話す81歳のMさん宅は、マンションの1階で、また20坪ほどの裏庭がある。土を多少入れ替えて家庭菜園をしたそうで、茄子や大根などを育てると、収穫前に猪に全部食べられたらしい。すぐ目の前に嵐山モンキーパークがあり、群れに入らない雄猿が近隣の家に侵入して悪さをする。東京ではそれが連日ニュースになったが、嵐山では毎日どこかの家に猿が来ている。場所が変わればニュースにならない日常がある。人の死も同じで、有名人はニュースになるが、大部分の人はごく近い人だけに死が知られる。そして、年内に喪中はがきを出すことにもなる。
筆者はまだ喪中はがきを書いたことがないが、年賀状の代わりにそれを書くことは面白くない。それで、喪中はがきを出さず、来た年賀状には松明けに喪中を知らせるはがきを出すのがいいかと考えている。今年は今日までに5枚の喪中はがきが届いたが、毎年同じような枚数で、これはあまり気分はよくない。今年は特に大阪のデザイナーのOさんが亡くなったという喪中はがきが奥さんから届いてびっくりした。Oさんは筆者と同じ年齢で、20年ほど前にお世話になった。そのお返しをほとんど何もしておらず、喪中はがきを手に無常を思うばかりであった。さて、昨日を「その1」とし、今日は「その2」として大平さんから送ってもらったDVDについての感想を書いてもいいかと思いつつ、昨日の投稿で尻切れトンボのように書いてしまった。またそうであるから今日は「その2」としてさらに感想を綴るつもりがあったが、昨日の投稿に「その1」をつけなかった。だが、今日の投稿を昨日の題名の後に「、続き」と書けば、続編の体裁が整うから、それは言い訳に過ぎない。ともかく、今日は撮りためている写真から別の話題にすることにし、ここから本題に入るが、もうこの段落で終えるから、前置きの方が長いのは昨日と同じだ。23日に国立国際美術館に行った際、土佐掘川左岸を田蓑橋まで歩いた。それは初めてのルートで、家内は訝ったが、たまには違う道を筆者はよく考える。そして田蓑橋近くの植え込みに、リンゴや梨の実に被せられるのと同じような紙の包みをいくつも見た。真冬であり、また潅木にそのような大きな実は出来るはずがない。紙には児童が描いたのか、簡単なイラストがあった。また、小さな看板によって、それらが「ひかりの実」という、年末の大阪のライトアップのひとつであることがわかった。「ひかりの実」は「光のみ」と同じ発音で、なかなか感じはいい。それらが夕暮れ以降にどのように点灯するのか見たかったが、その時間まで美術館にはいない。また、ライトは熱を持たないLEDであるはずで、それを生で見た時のぎらつきは紙によってかなり和らぐから、暖かい印象を与えると想像する。だが、いつも思うのは、植物はその光を歓迎しているのかどうかだ。小動物は迷惑であろう。夜も明るければ、いつ寝るのか。睡眠を阻害されると健康を害する。「ひかりの実」は確かにロマンティックでカップルは喜ぶが、動植物はどうなのだろう。あるいは、LED照明に夜の蛾は集まらず、小動物に迷惑をかけない光かもしれない。3枚目の写真の奥にそびえるビルは関電本社で、その膝元でのライトアップはイメージ戦略によるだろう。それはともかく、人間ひとりひとりが「ひかりの実」のように光っていると昔のNHKの特集番組にあった。LED照明は寿命が長く、人間はそれと同じように長寿を求めるが、味気ない長生きでは意味がない。白熱電球のように人生を白熱させて短く生きる方が楽しいのではないか。人生で最も記憶に残るのは、光のような輝かしい時だが、筆者は夜の嵐もそれなりに味わい深い。