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●大平さんの『東日本大震災復興祈念ウォーキング』DVD
の鋭さは人間と人間以外の動物とではどちらに多くあるのだろう。これは研究してもわからないだろう。そもそも勘をどう計測していいかわからず、また自分は勘がよく働くと思っていても、他者と比較が出来ない。



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それをいいことに、宗教家は自分が誰よりも勘つまり霊感がよく働き、神の意思を伝えることが出来ると吹聴する。そしてそのことに騙される人がいつの時代でも多い。そういう人は心優しいが、愚かということだ。騙す方は、相手が信じていい気分になっているのであれば、自分がいいことをしていると嘘ぶくことが出来る。騙す方も騙される方も愚かで、これは人間は愚かということで、いつまでも自然を完全に制御することは出来ない。1年ほど前か、TVによく出演するチョビ髭を生やした京大の土木工学の教授が、大震災から命と財産を守るために特に大都会は数千年に一度の大洪水に耐える巨大堤防を築くべきと発言した。その堤防を造るのに国家予算以上の費用は必要だろう。その工事をするゼネコンが大いに儲かり、その教授にもおこぼれが行く。TVで小遣い稼ぎをする教授は、学校からの給料のみで物足りず、顔を売ってどこかの提灯持ちをしてでも儲けようとする。ネットに記事を投稿する教授や評論家にもひどいのがいるが、頭の悪い人は世の中の半分はいるから、自分は世論の大きな支持を得ていると、ますます傲慢になって、出鱈目なことを書き散らす。話を戻して、数千年に一度の巨大地震による津波に耐える堤防を、出来れば日本中に巡らせよと言う。漫画でもそこまでひどいことは考えない。数千年では1万年に一度の大地震に耐えられず、そうなった時の堤防の内側の被害はどうなるか。1万年かけて築いたものがゼロになるほどの被害が出るだろう。地震が予測出来る時代になっても、地震を止めることは出来ない。ならば地震の被害を最小にすればよい。それは東京や大阪の多くの人を地方に分散することだが、それがわかっていながら全くその反対になっている。勘が働かない、あるいは働いてもそれを無視する愚か者が多いからだ。自然災害があまりに多い国土であるので、嫌なことはすぐに忘れようという気質が染みつき、大地震があっても100年も経てば誰も覚えていない。知ってはいてもまさか今日や明日ではないと、危険を先延ばしする。そして大地震の被害に遭うと役所のせいにする人があるが、津波が来れば危ないと昔からわかっている地域に住むのは自己責任の度合いが大きい。どこかで勘を働かせていながら、酒を飲んで運転することに似て、「まあいいか」とそれを無視する。鯰の勘が人間より優れているのではないかと考えた昔は、現代よりも勘を信じた。今は何でも計算出来る、つまり科学を神と思う人が増え、地震を予知出来ると信じている。地震学者がたくさん生まれて来た割に、日本の地震被害は減っていないだろう。地震学者は学問にならないことに税金をぶん撮り、大地震が起こっても自分は関係がないと平気な連中で、新興宗教みたいなものだ。そして、新興に限らない。
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 東京の江東区の歴史ある神社で弟が姉を殺害する事件があって、その原因がとてもわかりやすい財産の分け前の不満であった。地獄の沙汰も金次第とはよくぞ言ったものだ。京都の御金神社はここ数年で参拝客が激増し、お守りひとつで宝くじの大当たりに恵まれると信じる人たちが訪れる。それはそれで庶民のささやかな願いだが、年末ジャンボ宝くじの最高が前後賞あわせて10億円というから、庶民の願いも度外れたものになっている。筆者はここ数年は出かけた際に神社を見つければその写真を撮ることにしているが、その静かな雰囲気を味わいたいからで、人の気配のないのがいい。それでも地面には箒で掃いた跡がある。京都国立博物館の常設展で2,3か月前に見たが、日本が戦時中に日本以外の土地で建立した神社の鳥居が現在どうなっているかを畳1枚ほどの横長の大きなカラー写真で撮ったシリーズ写真のコーナーがあった。当然今は神社は跡形もないが、鳥居だけ立ったままのところや、倒された鳥居が住民のベンチ代わりになっているところなど、さまざまだ。それらの写真から何を感じるかは自由だが、本居宣長ならどう言うかと思う。神社は日本だけのもので、それを領土とした国に押しつけても根づかない。それを逆手に取るわけではないが、日本の心は外国人には絶対にわからず、よって大相撲は下品な外国人力士が勢力を張るのは間違いという意見がTVでは繰り返し流れる。日本にしかわからないものは、世界的に見て価値がないものと思っていい加減だ。そうでなければ、日本人はモナ・リザやゴッホの絵のよさがわかるはずがないことになる。それはさておき、何事も忘れやすい認知症的なあり方は、嫌なことをすぐに水に流すというように思えば、楽しく生きて行くための大いになる知恵で、平和ボケの日本と言う人もあるが、平和であることは何よりもいいことだ。もう3か月ほどすると7年目となる東北を中心とした3.11の大震災は、年々それに関するニュースは減少し、筆者も福島原発の放射能汚染水を溜めておく場所が今はどうなっているのかとたまに思い出す程度で、何となく年月が経てばどうにかなると錯覚している。それが錯覚でなければいいが、とりあえず平和であるから、京都からは遠い東北もたぶんそうであろうと思ってしまう。あるいは自分の無力を感じているので、無理にでも思い込もうとする。東北では巨大堤防が今なお建設中で、また利権に群がる連中も各方面にいるのだろうが、復興という名前の前ではそれらは地元住民の問題で他府県の者は立ち入ってはならない雰囲気があるし、またニュースにもほとんどならない。先日風風の湯で81歳のMさんは、ふと福島の子どもたちの甲状腺癌の増加を話題にし、今のところは原発事故との因果関係がないとの理由で住民は黙るしかない状態をとてもひどい話だと立腹していたが、そのニュースもTVや新聞でどれほど熱心に報道されているのかと思えば、筆者はごくたまにしか見かけない。
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 大阪は南海大地震の危険が迫っていて、TVではそれに関して割合よく放送するが、おそらく東北ではそうではないだろう。筆者は東北は福島以北には足を運んだことがなく、また知り合いもいないので、大地震や原発の被害やまた地震後の現状については漠然としかわからない。もうすぐ5年になるが、福島のいわきに出かけた時、バスの中から透視遠近法でずらりと奥に続く仮設住宅を見かけたが、それらも今は大半は撤去されたであろう。だが、転居する家のない人もいるはずで、仮設住宅の一部は残って、地震の爪跡は今後も残り続ける。そのうち入居者は高齢で亡くなり、仮説住宅も消えるだろうが、一方でゆっくりとではあっても自然は元の姿を取り戻す。福島沖で獲れる魚は放射能の汚染がないというニュースを今日ネットで見たが、どこまで本当かわからないにしても、おおよそはそれが事実で、年月が経てば何事も癒されて行くものだと内心安堵する。放射能による病気の多発に関してはこれからが問題と思うが、それも政府の保証金などによって、覆い隠されるだろう。ま、以上が京都に住み、東北をほとんど知らない者の率直な思いだが、あまりに呑気で平和ボケしていると思われても返す言葉がない。前置きが長くなったが、千葉在住のザッパ・ファンでもある大平さんは、徒歩で千葉の海岸を家族で踏破したことがひとつのきっかけで、震災後は青森南端から福島南端までひとりで歩こうと考えた。仕事があるので休みを見つけての断続的な旅で、歩けない区間はレンタ・カーを使い、足かけ5年を費やして約160万歩を数えた。10月にその報告会が母校の國學院大學で行なわれたが、その時に上映されたものか、2枚組のDVDと解説書を送ってもらった。それを見るのは年末と決めていて、今日2枚とも見終えた。写真が数秒単位で移り代わって行くスライド方式で、途中で動画も若干挿入される。全編にアコースティックのギターやウクレレをバックに外国の男性や女性のゆったりとしたBGMとして入るが、ミュージシャンの名前はわからない。写真はわずかにズームインして次の写真に移るので、途中の動画の挿入は違和感がない。何かを特に目的としない個人のぶっつけ本番の旅でもあって、風景を中心として食堂や旅館で出会った人物、また食べた料理などが見られるが、誰しもカメラのシャッターを押した瞬間を長い間覚えているもので、1枚ずつが大平さんの貴重な思い出であることはよく伝わる。DVD2枚で1時間20分ほどだが、1枚5秒として、写真枚数はどれほどになるだろう。気になった写真はたくさんあるが、TV画面を写し、その中から5枚を選んで今日は使う。海岸沿いを歩き続けたので、きれいな海の写真が多いことは心が洗われる。また巨大堤防の建設状況や、津波の被害を受けた時のまま放置された学校や民家などの写真は、TVで見慣れているつもりだが、改めて見ると心に刺さるものがある。
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 車に乗って立ち入りがまだ出来ないぎりぎりの、つまり道路の果てを見せる場面がいくつかあり、原発事故の深刻さが露になっている。その帰還困難区域も今後は少しずつ狭まるはずだが、一見被害を受けたように見えない民家はどれもその道路際に蛇腹型の白っぽいシャッターが設置されていて、立ち入りを拒んでいるのだが、家の持ち主はその様子をどれほど無念な思いで見ることだろう。原発事故がなければそのままそこに住んでいたはずが、一夜にして家を離れなければならなかった。また、放射能の影響が軽くなっても、一旦汚染された場所には不安が皆無で住むことは出来ないだろう。さて、最初の写真は背後に北山崎の文字が見え、岩手県だ。手前に「再開! サッパ船」とあって、これはザッパを連想させるとの思いもあっての撮影であろう。「サッパ船」の意味がわからなくても、「再開」が眩しい。少しずつ元の状態に戻りつつある。三陸は美しいリアス式海岸で国立公園になっているが、入り組んだ海岸は地震があれば被害は深刻であると小学校の授業で学んだ。3・11はそれを実証した。三陸の海岸は関西では見られない自然であるので、このDVDはちょっとした観光案内になっている。2枚目の写真は同じ三陸でのものだが、平成10年建立の明治の大津波を伝承する石碑だ。何とも皮肉で、これが据えられて13年目にまた大津波が押し寄せた。では3.11を伝承する石碑はどうするか。それは各地でさまざまな形で設置されているが、六甲山の頂上ではその柱が文字が見えないように真っ黒なペンキで塗られていることがわかった。悲惨なことを100年で忘れてしまうことは仕方がないとしても、まだ10年経たずして嘲笑する人間がいる。優しい人は早く死に、無慈悲な連中が長生きする。3枚目はたくさんある同じようなきれいな浜辺の写真の1枚で、どれも海の色がきれいだ。これは撮影した月と時刻のせいもあるだろう。筆者がいわきを訪れた時にも似た写真をバスの中から撮ったが、3月下旬の曇り空で、もっと海は荒れていた。4枚目が映った時ははっとした。見覚えがあるからだ。これはいわき市の江名にある諏訪神社で、筆者はここを訪れた。道路から長くて急な石段があり、そのてっぺんに社殿がある。それを真正面から撮ったのが5枚目で、全く同じ角度と同じ位置から筆者も撮った。それを「すわ! 神社」と題して4年前に投稿した。大平さんはひょっとすれば筆者が投稿した写真を見たのかしれない。この神社の写真の直前に、近くの絵本美術館の名称を記す横長の石碑を撮った写真が映ったが、館内部の写真がないところ、まだ休館中なのだろう。それはともかく、この神社はかなり高台にあって、どのような巨大津波が来ても水害に遭わない。また、この神社を正面から撮った写真がもととなって、後に筆者はこのブログに「神社の造形」というカテゴリーを設けた。2枚のDVDにはほかにもいくつかの神社が写っている。それは筆者と大平さんをつないでいる。
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by uuuzen | 2017-12-29 23:59 | ●新・嵐山だより
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