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●紙風船犬の切り絵
日前はまだ日数があると思ってしまう。昔はクリスマス前に年賀状を投函したが、今では大晦日も珍しくないどころか、元旦に印刷することもある。老いるほどに時間がないように感じる。



定年になればすることがないというのがもっぱらのようだが、定年のない筆者は毎日時間が少なくて困っている。では、することが山積しているかと言えば、肝心のことを先送りしているだけで、このブログのようにどうでもいいことに時間を費やしている。先週風風の湯で久しぶりにYさんとサウナ室で話した。Yさんは71歳で、定年後に愛宕山に登るようになった。最低週2回は必ず登る。体重、血圧など、見事に同じ数値のままだそうで、長身痩せ型でよけいな脂肪は皆無に見える。Yさんは筆者より1時間ほど早く風風の湯を訪れるので、めったに筆者と出会わないが、その日のYさんはいつもより遅く訪れた。そしてMさんも遅れてサウナ室に入って来たので、筆者はYさんとMさんをお互いに紹介した。Mさんは筆者と同じ年齢で、愛宕山には筆者と同じく一度しか登ったことがない。それでも早起きで、朝5時半には渡月橋まで歩き、日の出を拝む。朝6時にはもう老人だらけで、昼間よりも人が多いそうだ。筆者は朝10時過ぎまで寝ているので、とてもMさんを見習えない。Yさんは一緒に山に登ろうと誘ってくれるが、とてもその体力はない。それをYさんに言うと、今の筆者の年齢で登り始めたので、大丈夫だと笑って返す。Mさんとふたりになった時、Mさんは、定年を過ぎた年齢になれば、誰でも多少は身体に故障を抱えていて、それもあって好きなように生きるべきと言った。つまり、MさんはYさんの趣味は理解出来ず、自分は自分の健康を保つ方法があると言いたいのだ。筆者はYさんやMさんに比べてかなり不健康で、いずれ大きな病気をするかもしれないが、今はまだその気配はないと高をくくっている。ここ2,3年で視力はかなり悪くなって入る自覚があるが、先ほど年賀状のための左右対称の切り絵を作った時、全く技術が衰えていないことを思った。1ミリ以下の細い幅を残して、その両脇をカッター・ナイフで切って行くのだが、刃先はよく見えるし、手元は狂わない。切り絵をするのはちょうど2年ぶりだ。去年の年賀状は12年前の切り絵を使い回ししたと思う。去年の暮れをよく覚えていないが、たぶんそうだ。切り絵の保存箱に去年の年賀状の図案に使った切り絵はなかったからだ。切り絵は下絵を描くのに5分、切るのに2時間ほど、そして白い台紙にスプレー糊で貼り付けるのに2時間はかかる。むしろ切るよりも貼る方が手間で、1ミリ以下の細い紙は、色紙をふたつ折りして切った後に広げる際にもあちこち切れる。そんな辛気臭い作業を忙しい年末にやることは馬鹿か狂気だ。
●紙風船犬の切り絵_d0053294_01410317.jpg
 思いつくのは数秒、描くのに5分もかからないのに、それを切り絵として完成させるまでに半日かかる。これは筆者の本職の友禅も同じで、どうしても作品数が少なくなる。それで先生と呼ばれる人は下絵のみ描き、後は弟子や外注に任せる。そのため、ひとりで何もかもやるような筆者に比べ、収入は何十、何百倍になる。弟子の手が入っていても先生個人の作として美術館に展示されるのであるから、いい加減なものだ。筆者の切り絵は金にならず、ひとりで今は年賀状のためだけに年に1点作っているが、本当はまた月5点は作りたい。500点が目標であったのに中途半端なままとなっている。筆者は何でもそうで、人生もそのように終わるかもしれない。だが、完全にやり遂げたという思いで死ぬひとがあるだろうか。明日は作った切り絵を100枚の年賀状に印刷して宛名を書くが、丸1日かかる。毎年暮れになると憂鬱だ。風風の湯でよく話す81歳の方のMさんと昨夜話したが、Mさんは一度も年賀状を出したことがないそうだ。筆者より高齢でそのような人がいることを初めて知った。新聞記者で多忙であったというより、年賀状の虚礼が嫌いなのだろう。そのMさんは、22日の冬至に風風の湯が柚を湯船に浮かべていなかったことが大いに不満であったが、筆者は「去年は露天風呂ともに大量の柚が浮かんでいましたよ」と言った。一昨年もそうであったと思う。では今年はなぜないのかだが、儲かり始めて却ってサーヴィスが悪くなったということか。話を戻して、年賀状のデザインは先日触れた紙風船の犬だ。これを膨らませて1階の片隅に糸で吊るした。それが空気の流れに反応してゆっくりと回る。その紙風船犬を見つけたことで今年は年賀状の図案がすぐに思いついた。犬も歩けば何とやらで、せっせとあちこち歩くに限る。ただし、大阪市内生まれの筆者はどうしても繁華街が好きで、山登りや早朝の散歩は金をもらってもしたくない。切り絵の投稿は元旦にするつもりでいるが、それには切り絵に添える文章も考えねばならない。それをここで披露するのはまだ数日早いし、まだ考えていない。年末の大掃除をしていないので、なおさら残る今年の日数が足りないが、時間があれば去年の年賀状用の切り絵を作ろうか。中途半端な状態がいやでそんなことをふと思う。自分のやることを広げ過ぎて、時間に追われているのは滑稽だが、滑稽ケッコー、コケコッコーと、やはり去年の鶏の図案の切り絵を作ってしまおうと、心は天井から吊るした紙風船犬のように回る。せっかく作った切り絵だが、天井から吊るす糸を表現したので、何となく首を吊るイメージもある。蕪村の「首くくる縄きれもなし歳の暮れ」を思い出す。それに比べて筆者は恵まれている。




第2回プラチナブロガーコンテスト



by uuuzen | 2017-12-27 23:59 | ●新・嵐山だより
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