語るはカタルシスに語源がある。つまり、古代ギリシアは日本であった。こんなことを言うトンデモ評論家がTVに出て来る番組は最近見ないような気がするが、何でも流行はあるということだ。
筆者は家にいる時は外出時とは違うズボンを履いていて、そのひとつにいつ買ったのか記憶にない黒のコールテンのベルボトムがある。70年代初頭に流行した形で、家内も筆者もそれがあまりにも時代遅れなので、外に出る時には着用しないことに限ると思っているが、今時分の午後6時はもう真っ暗で、風風の湯に行く時には履き替えが面倒くさく、そのまま履いて行く。風風の湯を利用する客の身なりを見ていると、みんなそれなりに洒落ている。たぶん筆者は最も貧しそうな格好をしている。だが、歩いてすぐの温泉に、梅田に行く時のような服装をする必要はない。本当ならパジャマ姿で出かけたいほどだが、それは温泉側に失礼に当たる。それでみすぼらしいが、まだどうにか黙認出来るかという服装をしている。ズボンくらい買えばいいことはよくわかっている。またたくさん持っている方だが、ここ2,3年でどれも腹の寸法が合わなくなった。それらを着るには数キロ痩せる必要がある。それがなかなかだ。それで、家内はどこからかラッパ・ズボンを引っ張り出して来た。裾のラッパ部分を狭くすれば多少は見苦しくなくなるが、筆者のズボン裾に気を留める人はまずいない。誰も見ていないと思えば、ラッパ・ズボンも気にならない。またそのようなあまりにレトロなズボンも、却って個性があっていいではないかと思い込むことも出来る。どちらにしても、老人の図々しさと鈍感を示すが、かように老人の服装を観察すると面白い。それはともかく、服装の流行は繰り返すと言う人があるが、そうとは限らない。裾が広がったラッパ・ズボンは70年代初頭以降に再流行したのかどうか知らないが、ここ10年ほどか、男の上着の丈はかなり短くなり、また腕や胴周りが細く、前のボタンを締めるとそれがちぎれんばかりの窮屈さだ。それは痩せている若者でも筆者から見ればかなりみっともないシルエットだが、世界的にそれが標準となり、今では誰もその上着ないしスーツの形をおかしいとは思わない。本当はもう少しゆったりしていた方が動きやすいが、それでは新しさがない。また誰もがそうした古い服を箪笥の奥から引っ張り出すと、衣服業界が儲からない。それで常に新しいシルエットが生み出される。あまりにタイトな若者のようした上着やスーツを、50代以上が真似をすると、それはもう漫画で、出っ張った腹に元々ちぎれそうなボタンがたちまち弾き飛ばされる。そうではなくても、若い女性はそのような光景を想像して、内心爆笑する。一方、バブル期に流行ったような肩パットが入った異様にダボダボの上着やスーツを、これまた箪笥の奥から引っ張り出すと、いったいどこの時代遅れの星からやって来たのかと、やはり爆笑ものだ。ま、そんなことを考えながら、筆者はラッパ・ズボンを履きながらこれを書いているが、その内容が時代遅れのものになるのも当然ではないかと、思いをラッパのように広げる。
話を戻して、人間は語ることが大切だ。顔も名前も知っている年配に出会えば挨拶をするのが礼儀で、そこから語りも生まれ、そのことでカタルシスを覚える。貴乃花親方は、何が不満なのか、挨拶の出来ない人間で、またカレンダーに自分の女装写真を載せて自賛する。女装は赤塚不二夫のように笑いの漫画道をきわめる覚悟があれば別だが、神様の化身の横綱経験者が自分の「おかま」の顔に惚れれば、毘沙門天にビシャリと頬を叩かれるではないか。相撲道のどこに自分が女のように化粧した写真を公衆に晒し、美しいと悦に入ってよいという覚え書きがあるのか。先日書いたように、女々しい男であることを証明していることはその女装写真から明らかで、相撲界から引退して、贔屓筋の多い芸能界入りすれば、マツコ・デラックスの下っ端の弟子にはなれるかもしれない。本人もその方が窮屈な相撲界で「語らず」を決め込むより、カタルシスを感じるだろう。ラッパ話を狭めよう。今日は
先日触れたように、郷土玩具がらみで書いておく。大阪の郷土玩具研究会は偶数月に行なわれ、誰でも500円で参加出来る。そして、2時間ほどの会合の後、毎回持ち寄られた郷土玩具の即売があり、くじを引きの番号順に好きなものを値札価格で購入出来る。筆者はめったにほしいものがないが、先日の会では今日説明する「おもちゃかるた」を1000円で買った。かるたは今でも子どもに人気があるのかどうか知らないが、TVゲームなどの電気を使った遊びが主流となったことからは、たぶん退屈なものと思われていると想像する。一方では外での遊びが難しくなったので、家で遊ぶかるたは一定の需要があるようにも思える。それに、かるたのいいところは、読み札と絵札があり、話す、聞く、見るということが同時に行なわれ、反射神経を育み、読み札の内容は教育の面からも役立つ。百人一首の歌の内容を子どもに理解させることは難しいが、そういうかるたがあることを子どもの頃に知ることは、大人になった時の楽しみにつながる。その楽しみとは、ようやく和歌のたおやかな世界がわかる年齢になったというカタルシスで、またこの言葉は「カルタ」に由来するのではないかと、スシを頬張りながら気づく。話をラッパをすぼめるが、「おもちゃかるた」を買ったのは、実際に遊ぶことが第一の目的ではない。一緒に遊ぶ子どもは周囲にいない。家内とふたりではかるた遊びは出来ない。自分で読んで自分で取ることはハンディがあり過ぎる。そのためマージャンのようにせめて4人はほしいが、息子が正月に帰って来ても3人で、また息子はスマホ・ゲームに没頭する。つまり、かるたはもうすっかりノスタルジーとなった遊びで、おもちゃ屋にも売られていないのではないか。筆者は20数年前に片山健のかるたを買ったが、その時でもそれで実際には遊ばなかった。持っているだけで満足するのがかるただ。
「おもちゃかるた」はその名のとおり、郷土玩具を題材にしている。以前の所有者が新聞から切り取った記事を箱の中に入れていて、赤のフェルト・ペンの書き込みによって、産経新聞の昭和54年2月21日であることがわかる。1979年は筆者からすれば遠い昔には感じない。当日参加した人々もそう思っているはずで、それほどに参加者の平均年齢が高い。記事によると、製作したのは茨木神社の神職夫婦で、記事に年齢は書かれていないが、たぶん70代であろう。中学校の先生をしている時から郷土玩具に興味を抱き、50年かけて1000点を集めたという。そういう人は当時は日本中にたくさんいたはずで、また誰もが郷土玩具の会に入っていたのではない。むしろ、そういう人の方が少数であったろう。情報や知識を多く得るには、同じ趣味を有する会に参加した方がいいが、自分が好きなものを楽しむことには約束事はない。情報量が誰よりも多いとしても、そのことが愛の深さに比例するとは全く限らない。1000点の中身が珍しくないものばかりとしても、そのことで収集家としてたいしたことがないとは言えない。むしろ、自分の審美眼にしたがって、本当に良質のものだけを1000点集めたという方が、数を誇る人よりはるかに好感が持てる。どうせ使わない「おもちゃかるた」を買った理由のひとつは、新聞記事に製作した夫婦の住所があって、それが家内の実家と同じ町内であったことだ。早速調べると、家内の実家から30メートルほどだが、川を挟んでいて、家内は全く知らないと言う。それはともかく、学校の先生であった人が好きで集めた郷土玩具を題材にかるたを作ることは、いかにも先生らしい発想で、郷土玩具の魅力を広く伝えるとともに、自己表現も出来た。先日京都の高島屋で見た『民藝の日本』展では、芹沢銈介が製作した日本全国の郷土玩具地図屏風の複製が展示された。各県の代表的な民芸品を図示するもので、それと同じ発想で各県の郷土玩具を選んだものが「おもちゃかるた」だ。どの県にも同じように有名なものがあるとしても、その数はまちまちであるので、1県当たりひとつでは選択に困るが、かるたの枚数が決まっているからには仕方がない。この投稿のために、先ほど絵札を並べたが、筆者はほとんどの玩具を知っていて、10個ほど持っている。つまり、それほどに有名なものが多く、これは製作者があえてそういうものを選んだのだろう。絵札を並べた2枚目、つまり今日の最後の写真は、左下隅に四日市の郷土玩具の実物を少し覗かせた。その絵札は写真の左上隅にあるが、読み札には「せいたかおおにゅうどうがしたをだし」とある。この舌出し大入道は、いくつかの種類の玩具となっていて、立体の人形もある。
ネット社会になって、今では1年で1000個くらいは簡単に集められるが、それは郷土玩具に関心を持っていた人が世を去るなどして、手放す人が増えたことにもよる。ネット時代は世の中を大きく変えたが、物を集める人にとってはとても便利になった。それは、物の所有を楽しみと考えない人が増えたことも意味し、必ずしも歓迎すべきこととは言えないが、郷土玩具が今なお大人気であれば、簡単には入手出来なかったはずの「おもちゃかるた」を筆者は見つけることが出来た。以前の所有者は入手したまま一度も実際には使わず、新聞記事の切り抜きを入れた状態で保管し続けた。それがようやく日の目を見たことになるが、500部限定で、1組1500円であったというから、希少品ながら、価格は下がっている。それほどに郷土玩具の人気が廃れて来た。かるたを製作した夫婦は、実物の玩具を後世に伝えることとは別に、収集した玩具によって自分を語ることにした。カルタによるカタルシスで、出来たかるたの絵札はスシのように日本的な色合いで美しい。筆者も眺めるだけで、いずれ他者の手にわたるが、それは製作者の内面の語りが広く伝わって行くことでもある。郷土玩具の会に参加する人たちは、基本は収集家だが、「おもちゃかるた」のように、ひとつの作品を作りたいと思っている人は少ない。たくさん集めると、それを人に見せたくなるのは人情と思うが、それを拒否する人もあって、かくて収集されたものは半世紀以上も世の中にふたたび登場しないことは珍しくない。筆者は郷土玩具全般に関心はなく、これぞと思うごく少数のものしか持ちたくないが、それらは郷土玩具の世界ではごく普通のどこにでもあるもので、1個数千円までで買える。そういうものは数が多いこともあって、収集するほどのものではないとされているが、普遍的な人気を保ち続けるだろう。郷土玩具がブリキの玩具よりもはるかに市場価格が低く、見向きもされなくなるものになりつつある現在、郷土玩具の会に集まる人たちが何をどう考えているのかに筆者は多少の興味があるが、語ることが大事と思うのであれば、思いを書いて伝える方法がいい。そのために筆者はこうして書いている。年賀切手の図案にブリキの玩具が使用されず、相変わらず郷土玩具が取り上げられるのは、まだ日本に正月らしさを求める思いが強いことを意味しているが、その年賀状も年々人気がなくなっている。日本が新しい日本になるのは、流行の観点からも当然のことだが、新しさは古いものを捨て去ることとは限らない。遊びの種類がラッパのように広がるのはいいが、ロジェ・カイヨワが分類した遊びの域から出ず、また偏りがはなはだしいことは問題がある。つまり、ひとりくらいは古いラッパ・ズボンを履いてもいいということだ。