ダンサーが突如数人現われてビートルズの曲に合わせてフラ・ダンスを踊る場面に気づいた。DVD『THE BEATLES 1』収録の「ハロー・グッドバイ」の映像の最後だ。
フラ・ダンスはその曲にあまり合わないが、ダンサーを登場させようと発言したのは誰だろう。それから数年後にザッパは地元ロサンゼルスのロキシーでのライヴを撮影、録音し、ダンサーはひとりのストリッパーであった。もっとも、会場から志望者を募り、もっと多くの人数を舞台上で踊らせたが、それもビートルズの「愛こそすべて」のスタジオでの録画、録音時を想起させ、ビートルズの先駆性は何事においても明らかだ。ただし、ザッパが徹底的にビートルズよりも早く、また才能において勝っていたのは、10代半ばに管弦楽の作曲を始めたことだ。そのことを後年のヨーコ・オノは自分の音楽のバック・グラウンドと似ていると語った。ザッパのひとつの名言とされる「MUSIC IS THE BEST」は、ビートルズが規範としたエルヴィスやさらに先輩格の黒人が演奏するR&Bに限らず、音楽全般を指すが、そのことからザッパ研究家を自認するには、同じように幅広い音楽の知識や関心が必要だ。それは無理な話と割り切って、もっぱらザッパのロック色の強い曲のみを好み、その観点でザッパの音楽について語るのであれば、それはザッパ研究家を名乗ることに僭越過ぎる。筆者はザッパについての文章をこれまでたくさん書いて来ているが、一度も自分をザッパ研究家とは思ったことはなく、自称したこともない。日本ではそれは不可能だ。その理由は英語の壁もあるが、まずは音楽の幅広い知識の欠如だ。筆者はたとえば80年代初頭にストラヴィンスキーの全集的なLPボックスが高価な限定盤として発売された時、それを購入した程度にはクラシックないし現代音楽への関心はあり、また西洋音楽に関する著作をそれなりに読んでいるが、そのあまりに広大無辺の世界のごく一端にたたずんでいるだけだ。したがって、先日も書いたように現代音楽からザッパないしその曲を眺めた文章を書くことは全く手に負えないが、世界は広く、ネットではザッパの曲を楽譜を頼りに分析している人もある。そういう人こそザッパ研究家と呼ぶにふさわしい。だが、彼らがザッパに関して知り尽くしているかと言えば、そうは言えない。他の現代音楽を深く知らなければ、ザッパの音楽がどのような位置にあるかははっきりとは見えない。また、ザッパへのインタヴューを全部読んでそれらを記憶し、一方でザッパを撮った映像やザッパの録音された音楽を知悉し、さらにはザッパについて書かれた本もみな目を通す必要もあるだろう。となれば、筆者がザッパについて書く文章はほとんど子どもの感想文同様だが、筆者の書くことはすべてわかっていて、そのうえで筆者が書かないことが書けると筆者に言う人があり、いずれその人は世界をあっと言わせるザッパ研究本を上梓するだろう。
中学生はビートルズで明け暮れた筆者は、成人した頃からはザッパの音楽を聴くようになった。ザッパに触発されて現代音楽に関心を抱いたのではない。ザッパを聴く以前にそれを含めた西洋のクラシック音楽は好きで、レコードを毎月買っていた。その興味がザッパを聴くことと平行して高まり、筆者が所有するCDの半分はクラシックと現代音楽が占める。それでもそれら専門のファンからすれば他愛ない規模で、クラシック音楽について多少語りたいのであれば1万や2万枚のCDは持っていて当然だ。それに楽譜を手元に置いて音楽と聴き比べ、またたどたどしくても多少は自分でピアノを弾き、楽曲の特徴を把握することも欠かせない。ザッパの音楽についてもそうで、たとえばザッパの曲に特徴的な音階や音程をただちに脳裏に流せるほどでなければ、本当はザッパを語る資格はない。そういった研究家をザッパは持っている。それはザッパにとって幸福なことだ。その意味でザッパは成功者であり、その作品は今後も伝え続けられるだろう。そのことを世界の片隅で信じる筆者も幸福と言うべきで、ビートルズについでザッパの音楽に深く魅せられてこの年齢まで生きて来たことは輝かしい思いがする。筆者の小学生並みの駄文でもたくさん書けばわずかにはそれに気づく人もあると信じたいし、筆者の文章によってザッパの音楽の魅力に触れる人もいるかもしれない。その魅力は音楽の芸術性にほかならない。ザッパが生涯かけて目指したのは結局それで、作品の芸術性が人々を楽しませると、ザッパの名前もそれと同時に伝わって行く。作者が生きている間は自作について存分に語ることが出来るし、またそのことで作品がそれなりに世間に受け入れられるが、作者やその知人友人や取り巻き連中が死んだ後、つまり作者の没後50年や100年後は作品のみで世界に立たねばならず、真の評価はその時から始まる。それは筆者が死んだ後のことで、将来のザッパの評価は知りようがないが、ザッパ没後にザッパの新しいアルバムの発売とともに、ザッパの音楽に魅せられた人が本を執筆したり、ドキュメンタリー作品を製作したりすることが増えている。その他者によるザッパ解釈の発表は今後も続く雰囲気がある。それほどにザッパは多様性に富み、いろんな切り口で分析され得る。今日はザッパの命日で、ザッパが生きていれば77歳の喜寿で、『ザ・イエロー・シャーク』以降に書き下ろしの数十枚のアルバムを発表し続けて来たはずだが、それら幻となった作品の欠落の埋めようのないさびしさをザッパ・ファンは共有し、そしてたとえば本作のような映像作品によってザッパの軌跡を再確認しようとする。
本作は去年発売された。邦題は「フランク・ザッパ/ 音楽に愛された男」で、これは原題とは関係がない。「イート・ザット・クエスチョン」は72年のザッパのインストルメンタル曲の題名で、本作がインタヴューを中心とすることから本作の監督トーステン・シュッテは選んだ。それにはゲイルの許可が必要であったはずで、本作はゲイルに捧げられている。ザッパ・ファミリーに許可を得ずとも製作出来たと思うが、ゲイルの許可を得れば、資料援助もあるはずで、またザッパ・ファミリー公認の作品という、販売に大きく関わる徴が得られる。シュッテはドイツ人で、先日取り上げた『シチリアのザッパ、82年夏』はイタリア人監督、そして数年のうちに映像作品が完成するはずのアレックス・ウィンターはユダヤ系アメリカ人、またイギリスでは3本の内容の濃いDVDが製作されていて、国が違えば切り口も違うことがわかるようになっている。ただし、後から製作する人は、前例のない内容にすべきで、アレックスの作品がどのようなものになるのか、不安と期待が混じる。シュッテはたぶんサルヴォ・クッチャと同じような世代で、50代半ばから後半と思うが、ザッパのドキュメンタリー映像作品を作る気になったことの経緯はわからない。その点はクッチャ監督と大きく異なり、本作には監督の自己主張はほとんどない。あくまでもザッパの数多いインタヴューのうちから映像を伴なうものを初期から晩期まで選び、時系列に沿ってつなぐ。ザッパの演奏する場面も多少はあるが、それはインタヴューの発言を補完する意味合いを持っている。だが、本作の日本盤にはザッパの曲の歌詞に対訳字幕がなく、ザッパ・ファンでなければなぜその曲がその位置に挿入されているのかわからない場合があるだろう。歌詞を訳さなかったのは、ザッパ・ファミリーの許可といった問題が生じる懸念があったからかもしれない。本作がソニーではなく、ザッパのアルバムを発売しているユニヴァーサル・ミュージックであれば、そういう心配はなかったと思うが、本作はソニーが発売権を獲得した。それもあってか、ケースにはディスクのみで、解説書はない。また、映像を見ればほとんど解説は不要と言ってよい。付け足すものと言えば、本作には含まれないが、ザッパのロック・ジャーナリストに対しての意見だ。それは映像がないのだろう。『ロック評論は、文章を書く才能がない者が文章を読む能力のない者に向かって書くもの』といった発言内容で、これを先の「MUSIC IS THE BEST」と対に記憶すればよい。ザッパは音楽についての文章を否定していたのではなく、ロック評論家を信じていなかった。ロックはザッパにとって一部であるからで、それしか関心のない音楽ファンには自作の一部しか理解出来ないと思っていた。そこで最初に書いたことに戻るが、ザッパの音楽を深く理解するには、あらゆる音楽を聴き、さらにはそれらを取り巻く文化などの知識も必要だ。
本作はYOUTUBEでザッパのさまざまな映像が見られる時代となったことで必然的に生まれた。あるミュージシャンの多くのYOUTUBE映像を見ていると、たとえば20代と70代の姿を簡単に比べ得る。それは古い写真と最近の写真を併置して感じることの拡大した思いをもたらすが、便利な世の中になったものだという陳腐な思いとは別に、その便利さがもたらす残酷さを筆者は強く思う。それは人生は本当に一瞬だということだ。ザッパのギター曲の題名にそのことを謳ったものがある。「今見ているかと思えば、次の瞬間にはない」。繁華街を歩いていると、最近まであった店がなくなって空き地になっていたり、新しい別の店が営業していたりする。それが繁華街に出るたびで、また以前にあった建物の様子が思い出せない。そのこともやがてはグーグルのストリート・ヴューですべて記録される時代になるのだろうが、何事もすぐに変わるということの実感は、老いるほどに強くなる。ジョージ・ハリソンの『オール・シングス・マスト・パス』で筆者はそのことを20歳そこらで思っていたが、YOUTUBEによって数十年の動く姿や顔を見比べられるようになって、真にその実感が伴なうようになった。そして本作はザッパの22歳頃から最晩年までの変遷する姿を90分程度で一気に見せてくれるが、ビートルズの姿はたとえば『THE BEATLES 1』では21歳から28歳までで、その後の4人のソロ活動を含まないので、隔世感は本作ほどではない。また、本作は晩年のザッパが癌のために疲弊して行く様子が記録され、その痛々しさがさらに「人生は一瞬」との思いをもたらすが、疲弊の度合いが増す一方ではなく、92年の前半期だろうか、顎が髭だらけになったザッパが髪を後ろに束ねた姿でインタヴューに答える眼差しは、目がきらきらと輝く。その純粋で透徹した顔つきはほとんど聖人に見え、ザッパが最期に到達した、つまり自分で少しずつ作り上げて行った人格の見事さが胸を打つ。初期のザッパは本作で描かれるように、猥雑のイメージで売り出した。それは売り出すためのポーズでもあったが、半ばは実像で、それほどに売れずに食えなかった。それがオーケストラに念願の管弦楽曲を早くも21歳で演奏させて次第に自信をつけて行き、同じ人物には見えないほどに面がまえが出来て行く。貫禄をことさら誇示するというのではない。優しさも混じる。だが、最晩年は凛々しくなって、そこに猥雑の片鱗もない。癌が末期に近づくにつれて諦めて行ったのではなく、残された月日に何を優先してやるかという覚悟を決めたような顔つきだ。そして、最晩年までインタヴューを受けたことは驚きだが、ザッパはインタヴューも仕事のうちと思っていて、最期の最期まで仕事を続けた。それを取り去れば自分には何もないと思っていたかのように。
ザッパの音楽をあまり知らない人は本作の豊富なインタヴュー映像に驚くだろう。インタヴューはほかにもたくさん残されていて、たとえばサイモン・プレンティスさんとかつて話したが、すべてのインタヴューを突き合わせると、矛盾したザッパの考えが現われるかもしれない。それはザッパの考えが年月とともに変化したことを物語るが、そういう検証は今後の研究家の仕事だ。そのためでもないが、本作はザッパの音楽を聴き始める人が必ず見ておくべきもので、ザッパの活動の背景にある筋の通った思想に思いをめぐらし、またザッパの考えから歌詞の内容を類推出来もする。だが、それはザッパ自身の意見からすれば、作品とは関係のないこととも言える。ザッパはある作曲家の人生はどうでもよくて、その作品だけに関心があると言った。これは倫理的にまともな人が素晴らしい作品を生むということではなく、作品はもっと深い人間の思考から生まれるものと思えばよい。たとえば、ザッパの女性関係がいろいろと発言されるようになって来ているが、それはザッパの作品とはほとんど無関係ということだ。仮に女にふしだらな芸術家がいたとして、その人の作品が取るに足らないと思うことは、作家と作品を結びつけ過ぎで、作品本位の価値を認めない態度だ。先に書いたように、人生は一瞬だが、作品はひとまずは何百、何千年と生き残る可能性がある。そしてそんな遠い未来においては作者の生涯はほとんど忘れ去られているか、問題視されない。大事なのは作品だ。ザッパは自作を楽譜と録音という形で遺した。前者は伝統的な方法で、後者は20世紀の技術だ。そしてザッパは技術の進化は信じていたので、ザッパの録音は楽譜と同じように長い年月を生きる。シュッテ監督も本作をそのように思っているだろう。前言を翻すようだが、多くのインタヴューから選択する行為はひとつの創作で、本作は監督の意図の表明だ。それはザッパという一瞬を生きた芸術家の見事な人生を花火のように見せようとすることで、本作によって誰もが自分の人生を振り返る。芸術作品に触れることは人生の輝かしい出会いだ。作品の輝きに自分の内面が一瞬照らされる。それがなければ人生はどれほどか暗く、他者も自分も見えにくい。一瞬の人生であるがゆえに、努力を積み重ね続けて自由を得る。さて、本作はザッパのインタヴューや演奏する姿とは別に、一緒に演奏したメンバーであるトミー・マーズ、アーサー・バーロー、トム・ファウラー、エド・マンのインタヴュー映像がおまけとなっている。その類はザッパの発言以上にたくさん存在し、今後も増えるが、本作ではまた興味深いことが語られる。ミュージシャンの意見であるので、ザッパの作品の特徴が端的に紹介される。ザッパがメンバーに強いた過酷な練習に耐えられずに途中で嫌気が差して脱退したメンバーがいるのかどうか知らないが、ザッパは各人の埋もれた才能を見出し、それを育てる才能に長けていた。筆者はザッパに会った時、サイモンさんの予めの吹き込みにもよるだろうが、オペラ『アンクル・サム』のために必要なので、日本文化を知りたいので紹介してほしいと言われた。それはかなわなかったが、筆者はザッパの音楽以外に日本文化への関心はいろいろとあり、そっちの方面では研究家を自称しようと思っている。