デパートで郷土玩具の頒布会がかつてはよく開催されたという。今はもうほとんどない。先日京都高島屋で日本民藝館創設80周年記念の『民藝と日本』展を見た。同じ趣向の展覧会は2,3年に一度は開催されている気がする。
それだけ民藝の人気があると考えてよさそうだが、高島屋がかつては民藝を後押しし、展示会をよく開いたことにもよる。同展については感想を書くかどうかわからないが、今日は一昨日大阪の心斎橋で開かれた「郷玩文化」の例会について書く。
3年前の5月に第287回の例会について投稿した。それ以来の投稿と思う。偶数月の第4日曜日に開催されるのが普通で、年6回のうち1回は各地の郷土玩具館を訪れることになっているが、筆者は遠方まで出かけるほどの収集家、ファンでもない。それで、だいたい2回に一度は参加している。天気や仕事、またついでに他の用事があるかどうかにも関係している。一昨日は忘年会があるというので、また時間も空いていたので出かけた。2か月前にどういう内容で開催されるか告知があるが、今回はとっておきの玩具の中でも戌年に因んだ正月らしいものを持参してほしいとあった。筆者は伏見人形が好きで、その犬を持っているが、これはあまりにポピュラーで、筆者が持参せずとも必ず誰かが持って来る。またほかに住吉大社の犬の土人形を持っている程度で、めぼしいものがない。それに、犬を題材にした郷土玩具はあまり例がないように思う。そんなことで今回は何も持たずに手ぶらで家を出た。クリスマスまでにもう一度大阪に出る用事があるが、それはそれとして、一昨日は例会のためにだけ出かけた。珍しいことだ。阪急電車の中で、筆者と同じ世代の男性が40歳くらいの男性と話を始めた。筆者の隣りでその内容は丸聞こえであった。ふたりのうち年配者が、正月の遊びについて独楽回しやめんこ(大阪ではべったん)などの話を得意気に話し続けた。そういう遊びはほとんど幻となって、今の子どもにはわからない。独楽は電子独楽と呼ぶべきか、回転すると虹色に光輝くプラスティック製で、完全な工場製品だ。そのため、価格も高い。昔は貧しかったので、あたりにある材料で遊び道具を手作りしたこともよくあったが、やがて玩具は買うものということが常識化した。それで子どもの創作する悦びが減退したように思うが、どの子どもも小刀を扱うなどの手先の器用さをある程度持っていた時代と違って、今は知識は多いかもしれないが、自分で考える能力がどうなのかと思ってしまう。子どもの玩具は成長にとって重要なもので、高価であればいいというものでもない。それはさておき、子どもは玩具をほしがることは昔と変わらない。スマホが玩具の役割を果たしているのかもしれないが、大人が子どもと一緒に遊べるすごろくやカルタなど、昔ながらの玩具、遊びはそれなりに今の子どもでも歓迎するのではないか。
電車の中での昔の正月の遊びを耳にしたこともあって、例会の会場に向かう途中、時間もたっぷりあったので、松屋町の玩具街を歩いた。「まっちゃまち」と大阪では呼ぶが、筆者はそこが玩具や人形の卸問屋が軒を連ねることを小学生の授業で学んだ。たまにTVで紹介されるが、日本人形店の売り上げはどうなのだろう。季節感を楽しみ、また祝うことがめっきりと減った日本では、雛人形や5月の節句人形の需要は激減しているのではないか。それでも、また日曜日にもかかわらず、そうした店はどこも営業していた。例会で紹介する正月らしい犬の玩具がないものかと考えながら歩いていると、昭和時代から改装していないような古い店の前を通りがかった。中に若い親子連れが数組入っている。薄暗い店で、下町の駄菓子屋の大きなものを思えばよい。5メートルほど通り過ぎて後戻りし、店内に入った。くじつきの駄菓子や安っぽい玩具が所狭しと置かれ、筆者が目に留めるものはなさそうだ。奥へと進むと、天井から糸で吊り下げた紙製の風船型人形、あるいは人形型風船が目に入った。その種類はざっと20ほどか。パンダやアザラシ、うさぎや猫、蛸やライオンなど、ゆるキャラ風デザインのさまざまな動物をかたどった、1個100円程度の商品だ。犬はないかと探すと、耳の大きい白いものがあった。1個150円だが、卸売り店なので10個セットを買わねばならない。10個も必要ないが、腐るものではなし、また正月の集まりに小さな子がいればプレゼントするのもよい。そう思って買った。それは昔ながらの色鮮やかな紙風船の製造法を少し発展させたもので、雪だるま状に上下2個の円形が連なっていて、そこに顔の表情をシールで貼りつけ、また耳や手足を別の紙で糊づけしてある。折りたたむと紙風船のように舟型になるので、伝統的技法に現代に好まれるデザイン性を加味している。袋の裏側を見ると、大阪の東住吉の店が扱い、メイド・イン・チャイナとある。それは仕方がないが、いかにも大阪の下町の小さな会社らしいアイデアの商品だ。風船であるので、ある程度広げると、後は頭に空いた小さな穴から息を吹き込む。それは昔の紙風船そのままで、大人が小さな子に与えるにはちょうどよい。それを筆者は例会で紹介したが、郷土玩具ではないので、大きな関心は呼ばない。
例会の後は近くの安い居酒屋で談義が始まった。参加者は9人で、大部分は古くからのメンバーで、また郷土玩具については誰よりも知識がある。郷土玩具の全盛期がいつであったかを筆者は質問した。それは昭和40年代とのことで、新幹線や名神高速道路が出来て、日本の各地に行きやすくなった頃だ。家内も筆者も、またどの家にも、温泉旅行で買ったこけしなどの小さな置物が箪笥の上にたくさんあって、郷土玩具という名を知らなくても、地方それぞれに特有の手作りのお土産品ないし玩具があった。だが、当時のそうした商品はたとえば大阪の下町で大量に生産し、そこに各地の名前のみを書き入れるという、贋の御当地のお土産用玩具であった。昭和のモダンを感じさせるそうしたデザインの商品は、今では誰も見向きもしない。当然、郷玩文化の会でも全く評価せず、話題にもならない。だが、そうした製品とそれ以前からある郷土玩具の厳密な線引きが出来るかどうか。話を戻すと、例会の最初に、司会のKさんから、「昨日ネット・オークションで落札されたこけしを紹介します」との切り出しで、高さ18センチの大正時代のこけしが191万円で落札されたことが報告された。こけしの収集家は郷土玩具のそれとはまた違って、人数が多く、全国的に散らばり、また会も開かれている。そして、こけしの収集は資産がものを言うらしい。投機のために購入する人もあるという。古くて汚れたこけし1本に200万円近い出費が出来る人は限られる。話のついでに訊ねた。これまでネット・オークションで最も高価に落札されたこけし以外の郷土玩具はいくらほどか。数年前に相良の土人形が40万円ほどで落札されたのがめぼしい事件とのことで、たいていは数千円程度かそれ以下だ。そして、話はブリキの玩具になった。歳時記とは無関係な、また歴史がほとんど戦後からというそうした子ども向きの玩具は、郷土玩具に比べて桁がひとつふたつ多い価格で取り引きされている。それが郷土玩具収集家としては悔しいが、ブリキの玩具を世に広めた例の人物のように、TVに出演して魅力を大きく発信出来る人が出現しない限り、郷土玩具はやがてすっかり忘れ去られるのではないかと、諦めのムードが漂う。
郷土玩具とブリキの玩具を比べた時、前者は畳の日本の家屋に馴染むが、後者は現在の日本中どこでも短期間で建てられるプレハブに似た家屋にぴったりだとの意見も出た。それだけ日本は手作りの文化を捨て、工業製品万能の時代になった。まだ作り続けられている郷土玩具やその類のものでも、今は完全な手作りはなく、半ば機械化されている。そして、そうした製品は当然古い郷土玩具を知っている人は評価しない。筆者はブリキのロボットや鉄砲で遊んだ世代だが、そういう玩具をほしいとは思わない。では郷土玩具が圧倒的にいいかとなれば、江戸時代から作り続けられる郷土玩具のすべてが美しいとも思わない。しょせん玩具であり、消耗品だ。安価で作られたもので、脆いことを特徴としているから、あまりに古いものはほとんど残っていない。残っていても無残な状態であることが多い。そして、簡単に作られているので、復元はいつの時代でも簡単で、その意味で骨董的価値はよほどのことがない限り、ごく一部のものに限られる。日本に数個しかなくても、それに美的価値を認め、手元に置きたいと思う人がなければ、それはほとんどゴミだ。それは玩具に限らない。生前はそこそこ有名であった画家の掛軸でも、今では機会があれば、また目が利けば1000円でいくらでも買える。結局のところ、ほしい人があるかないかで物の価格は決まる。ブリキの玩具が高値であるのは、毎週のように番組でそれが高いと紹介されるからで、将来価格が暴落する可能性はいくらでもあるし、一方で二束三文扱いの郷土玩具の人気が再燃することもあり得る。そのため、好きな人にとっては今は郷土玩具をいくらでも集められるが、その種類が膨大で、若者では保存場所がない。それでテーマを絞って集めるべきだが、玩具や人形を集める思いには、美的なことへの関心が必ずある。それと個人的な思い出だ。他の人がさっぱりほしがらなくても、自分がよいと思えばそれでいいのであって、郷土玩具の中には誰でも魅せられる何かが必ずあると言ってよい。筆者にとってそういう玩具は少ないが、気に入ったものは自分で作りたいと思うほどだ。そうして作ったものは郷土玩具ではないが、製造が途絶えた郷土玩具を復活させる人は細々とながらも日本全国にいて、場合によっては神社の授与品になる。それも郷土玩具の部類に入り、収集家はいる。つまり、集めるだけではなく、販路を見つけて自分で作ることも出来る。そのため、郷土玩具は全く過去のものではなく、今も作られている。ただし、材料の確保や人件費を思えば、昔のように安価ということは難しい。神社での授与品となれば、せいぜい1000円までの価格で、それならその半額で作る必要があるだろう。それでも多くの人の手に届くことを喜びと考える人は、採算度外視で作る。
一方、先に書いたような紙風船の進化版が郷土玩具でどこまで可能かという問題がある。日本らしさを残しつつ、若い世代の目を引くようなものが期待されるが、こけしはそのことに挑戦し、それなりに成功しているらしい。それがこけしファンの層の厚さとなっているが、郷土玩具はそのような時代に伴う改変以前に、廃絶しているものがあまりにも多い。そして、ネット・オークションでごくたまに出品されることに気づかず、存在を一生知らないという玩具は無数にあるが、では数千個を所有する収集家がそれをどのように後世に伝えるかとなれば、例会の忘年会で聞くところ、博物館に寄贈しても死蔵され、状態を悪化させるだけで、ほしい人に譲りたいというのがもっぱらだ。ネット時代であるので、誰もが参照出来るデータ・ベースを作ればいいと思うが、数千となればその手間を思って断念するだろう。そして、例会に参加する人は7、80代が中心で、知識が若手に伝達されずに収集品も散逸する可能性が大きい。最初に書いた高島屋での民藝展では柳宗悦が収集した人形が2個展示された。郷土玩具と呼べるものはそれのみで、郷土玩具は民藝ファンとも微妙に一線を画している。そしてこけしや土鈴など、別の日本的な手作りの愛玩品を集めている人もあって、日本には物が溢れ過ぎていると言える。それをゴミと見るか宝物と思うか。例会に横浜からやって来た女性がいて、飲み会にも参加した。東京の郷土玩具の会はとても有名で、毎回70人ほど集まるという。若者中心で、大阪の会からすれば羨ましい限りだが、若者は古い玩具の知識がなく、また手作りか半手作りかの区別がつかないという。だが、古い価値観に囚われずに愛好するのはいいことではないか。そういう若者の中から新たな郷土玩具の楽しみ方が発信されるだろう。昔がよかったと思いたいのは老人の悪い癖とも言える。廃れて行くものは半ば仕方のないところがある。また、古くてよいものの魅力を今の間に若者に伝達する努力を古株はもっと真剣になった方がよい。10人の若者からひとりでも本物の価値観を伝える者が現われれば、それでいいのではないか。筆者はほとんど郷土玩具の門外漢だが、何らかの方法でその存在を知らせられるのではないかと思っている。この投稿もそれによる。郷土玩具については年内にもう一度投稿する。