分類するならば「骨董世界漂流記」がいい。筆者にとってビートルズは中学1年生からリアル・タイムで新譜を追い続けたミュージシャンで、おおげさに言えば人格の多くをその音楽に負っている。
筆者の世代以降にもビートルズは聴き続けられ、今でも編集もののアルバムは巨大な枚数を売り上げる。どの曲もすっかり知り尽くし、筆者にとっては充分年月を経た骨董品であるので、新たな編集盤が発売されてもすぐに買う気にはなれない。朱色地の中央に黄色の1を抜いたジャケットのアルバムが発売されたのは2000年だ。ビートルズのヒット・チャート1位となったシングル盤を順に収録したアルバムで、うまい具合にCDぎりぎりの制限収録時間内に収まっていた。筆者はそのアルバムを買わず、まともに聴かなかったが、2年前に新たにマスタリングされ、同じ曲を同じ順に収録したDVDとセットになって発売された。どの百貨店か忘れたが、レコード売り場で家内がトイレに行っている間にその新譜の広告をまじまじと見つめた。それが2年前の今頃だ。ポスター以外にプロモーション用の映像が小さなモニターに映し出されていた。すぐに買って見たいと思いながら、中古で充分と考えた。その頃と同じ季節になったので思い出し、最近入手した。「骨董世界漂流記」のカテゴリーに含めるのは、11年前にビートルズのアルバム『LOVE』を同じカテゴリーで紹介したからだ。筆者が中学生の頃、ビートルズ好きはクラスにひとりかふたりはいた。昨日書いたように、わが家は母子家庭でとても貧しかったので、レコードを買うどころではなかった。当時堺市から泉大津に引っ越していた父の弟の叔父が裕福で、また叔父の子どもは女の子4人に小さな男子ひとりであったためと、筆者の学力がきわめて優れていたこともあって、叔父からとても可愛がられた。筆者は母にほしい物をねだることは出来ず、さりとて叔父に言う勇気もなかったが、ビートルズのLPレコードがあまりにもほしくて、中学2年生の時、叔父が酒に酔って気分がいい頃を見計らってレコードを買ってほしいと言った。いくらほしいのかと言われた。当時発売されていたビートルズの全アルバムを買うには2万円あれば充分で、そのように言った。すぐにお金がもらえた。そしてその日のうちに、叔父の奥さんの弟のバイクの後ろに乗せられ、南海の泉大津駅近くのレコード屋に走った。そうして買った『ラバー・ソウル』までの全アルバムは筆者の宝物になった。ただし、アルバムを入手してもそれを聴く装置がない。叔父の家には大きなステレオがあったが、大阪市内から泉大津まで頻繁に行くことは出来ない。
それで金持ちの級友と親しくなって、毎日のようにその家にLPを持って聴かせてもらいに行った。彼はポリドール盤を含めてすべてのシングル盤を持っていたが、LPは1枚もなかった。それでふたりの所有を合わせるとビートルズの全レコードになった。その級友は大きなテープ・レコーダーも持っていて、それでアルバムを録音したのはいうまでもない。以前に書いたことがあるが、筆者はその級友の母親から最初の頃は歓待された。今から思えば彼女は当時30代半ばであったろう。級友は母親似で物静かであった。母親は専業主婦で、筆者が放課後に毎日のように訪れることに、次第に愛想が悪くなって行った。とはいえ拒否の態度ではないので、筆者は相変わらずアルバム持参で通った。外に出て悪さをするのでもないから、彼の母親は息子があまり勉強しないことにもさほど文句を言わなかったであろう。筆者はビートルズを聴いても成績は下がらず、却って上がった。オール5で学年トップに何度かなったことがあり、筆者の母もビートルズ好きであることに文句は全く言わなかった。その級友とは別にもうひとりビートルズ好きの級友がいて仲よしになった。駄菓子屋の息子で、中学校の近くに店があり、下校時によく立ち寄った。勉強はあまり出来なかったが、柔和な性格で、筆者とは馬が合った。金持ちの方は20歳頃に一度梅田で会った切りで、今はどうしているか知らない。大きな家は別人の手にわたり、おそらく両親はもうこの世におらず、もうひとりの友は独身のまま3年前に死んだ。去年の夏、その姉が子どもたちを連れてわが家を訪れ、弟の形見と言って、ギターとビートルズのシングル盤やコンパクト盤を数枚置いて行った。そうした中学生の級友がビートルズについてその後も語り合える存在であったかと言えば、成人後はそうではなくなった。21歳頃、金持ちの級友と梅田の街角で出会った時、エリック・クラプトンに心酔していたし、死んだ友人は演歌をカラオケで歌うと言っていた。ほかにもビートルズ・ファンの友人がいたが、今は筆者ひとりが取り残された形だ。それに、もう筆者らの世代がビートルズの新譜をいち早く入手して喜ぶという時代ではないだろう。ビートルズの新譜を心待ちした筆者は、いい時代を生きて来たと思う。今の若いビートルズ・ファンはほんのわずかな音の違いのリミックスやリマスター盤を血眼になって分析し、またそれらを揃えようとする。そういう世代はビートルズの存在を知った時にはもうとっくの昔にビートルズはいなくなっていて、そういう楽しみ方しかないのだ。
本作は初心者から筆者のような古いファンまで楽しめる。『THE BEATLES 1+』という豪華限定ヴァージョンも発売され、ボーナスのDVDが1枚ついていて、シングル盤以外の曲を含む。その選曲はファンによってはいろいろと異議があるはずで、筆者には中途半端な内容と思える。ビートルズに限らないと思うが、多くのフォーマットでいくつかの種類を同時発売することが多くなっている。筆者はその傾向が好きではない。どれも少しずつ差があるとなれば、ファンはみな買わねばという気にさせられる。露骨な商売をミュージシャンは本当は望まないではないか。ビートルズのベスト・アルバムは今後100年、200年と聴き続けられて行くと思うが、15年目に収録曲全部をリマスターしたというから、また15年後にはほんのわずかに音が違う同じアルバムが出るのだろう。時代に合わせてビートルズを最新のものとし続けるにはそうするしかない。そして、15年後にどういう音楽が好まれているかは誰にも予想がつかない一方、ビートルズの曲が古典となって行くことは間違いがないだろう。筆者は本作を聴いて、リマスターによって大きく変わった音がどれかがよくわからない。パソコンの小さな音で聴いているからでもあるが、音が多少変わっていてもほとんどわからないものであることは予想がついた。それで筆者の目当てはDVDであった。その映像の大半は『ビートルズ・アンソロジー』で紹介されたものと思ったが、CDの音に映像を被せただけなのか、あるいはCDとは別の音が入っているのか、そこに関心があった。結論を言えば、初めて見る映像があった。ただし、忘れているだけで『アンソロジー』で見たかもしれない。また音に関しては初期の曲にCDとは別のヴァージョンが多かった。一方、口パクの曲があるのは予想出来たし、演奏の映像とは違う音をくっつけている場合もあると想像したが、本作のための映像材料探しに苦労した形跡も見える。後者はたとえば「レット・イット・ビー」と「ロング・アンド・ワインディング・ロード」の映像の最後だ。どちらも最後はポールのピアノに肘をつく男が見える。これはどうにかならなかったのか。それほどにビートルズの映像が少ないことがわかる。「ゲット・バッグ」も最後の一旦演奏が終わってまた始まるところは、映像は別のものを切りつないでいる。初めて見たと思うのは、「ア・ハード・デイズ・ナイト」だ。ジョンがポールにヴォーカルをバトンタッチする際、すかさずジョンがポールを指差す。その一瞬が印象的だ。ついでに書いておくと、DVDでは各曲の冒頭は曲名表示がちょっとしたアニメになっている。それはいいが、「A HARD DAYS NIGHT」とアポストロフィ抜きで表示される。「カム・トゥゲザー」は演奏する場面がないのでどうなのかと思っていたが、『アビー・ロード』のジャケットの4人の姿を簡単なコンピュータ・グラフィックスによるアニメとして動かしている。これはこれで面白い。白黒映像とカラーが混在するのは仕方がないが、カラーは最近撮影されたかと思うほど鮮明だ。『ビートルズ・アンソロジー』でもそうなっていたと思う。それをさらにリマスターしたのかもしれない。
15年前のアルバムをDVDつきで再発することは、音楽に映像があってあたりまえという時代になった。これはYOUTUBEの影響だ。昨日書いたように、その映像つき音楽はMTV時代に発端があり、またビートルズがその地平を切り開いた。60年代はまだミュージシャンの演奏する姿を見る機会は限られていた。もちろんTVはあったが、カラーではなく、また登場する番組はほとんどなかった。それで音楽雑誌がよく売れた。視覚的な情報が少ない分、ファンはレコードを熱心に聴いた。そして、耳を頼りに実際の演奏する姿を思い浮かべたが、そのような想像力を働かせることが楽しかった。それがMTV時代になると、映像は「これだ」と固定化され、鑑賞者は想像する余地がない。そうなると、音楽を真剣に聴く態度まで希薄になった。見ることに意識が奪われ、聴くことが疎かになるのだ。やはり音楽は聴くものであって、見るものではない。そのことをパソコンが崩壊させた。その点、ビートルズはちょうどいい程度に映像が存在している。本作の映像はファンならほとんど見たことのあるもので、それほどに未発掘の映像がビートルズにはないとなれば、今後もビートルズを新しい世代に継いで行くために、目新しい何があるのかという疑問が湧く。それはたとえばYOUTUBEが飽きられるとすれば、その次に若者に歓迎されるものに合わせてビートルズの素材を作り換えることで対応される。筆者は世の推移に伴うビートルズ商品の変化についてそれなりに関心があるが、それはビートルズの音楽とはほとんど関係のないことだ。本作のDVDにはポールとリンゴがそれぞれ4曲について語る場面がボーナスとなっているが、彼らがいずれこの世から去れば、本人たちのお墨つきはなくなり、新編集で発売されるアルバムからはアウラが消えるような気がする。となると、本作がビートルズのベスト・アルバムの極地として認識され続ける公算が大きい。ただし、本作には不満な部分がある。「ペニー・レイン」とは同じA面扱いで「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」が1位になったと思うが、筆者の思い違いか、あるいは1枚のCDでは収録時間がないのでカットしたのか、同曲は本作に入っていない。それは一方で、その頃のビートルズはもはやシングル盤を重視せず、アルバム本位の活動をしていたことを示し、本作のようなアルバムはビートルズに馴染まないと思わせる。せいぜい『ヘルプ』までを扱う場合にはよいが、それ以降のアルバムにはシングル盤以上のいい曲が含まれる。つまり、アルバムからどの曲をシングル盤として発売しても1位になった。とはいえ、アルバムに収まり切らない、あるいはアルバムの予告としてアルバムには含めない曲をシングル盤としたので、『ヘルプ』以降でもベスト・アルバムに収めるにふさわしい曲はある。「ハロー・グッドバイ」や「レディ・マドンナ」がそれに当たる。本作は忘れかけた頃にまた引っ張り出して聴く、あるいは見るのによく、やはり骨董品だ。それは筆者の遠い記憶がそうなったことでもある。