●温泉の満印スタンプ・カード、その14
サインはしないが、片手を軽く上げて挨拶はする。今日はスタンプを3個捺してもらえる日でもあり、家内と風風の湯に行って来た。スタンプ・カードの20個目の無料入湯欄を使ったので、今日の写真のカードはもう手元にない。



紅葉がきれいなデザインで気に入っていた。それを紅葉がすっかり消えてから使い終わった。今は花灯路が開催されていて、風風の湯に向かうまでの道に並べられたている行灯が点灯していた。また風風の湯のすぐ近くに警備員が立って、花灯路を見に訪れた人を誘導していたが、平日でもあって、人の通りは少なかった。寒さのせいもある。さて、以前に何度か書いたように、相変わらず筆者は週に2,3回風風の湯に行き、必ず顔見知りと出会う。家内もそうなっている。今日は風風の湯の玄関で、向こうから出て来たYさんと鉢合わせになった。Yさんは週に2,3回は愛宕山に登っている71か2の長身で、筆者とは馬が合い、風風の湯のサウナ室でたまに会うと話が愉快に弾む。だが、Yさんは午後4時半頃に行くので、いつも帰り際のYさんと会うだけで、ゆっくり話をしたことがここ数か月はない。筆者のその頃に行くようにすればいいが、そうなると、別に親しくしている人たちと会えない。それに筆者の習慣からどうして6時過ぎになる。親しく話をする人は7,8人だ。各人は利用する曜日と時間が違うので、全員の顔を見る日はないが、2,3人とは話す。そう言えば今日はMさんから最近耳にして、Mさんと同じマンションに住んでいる人がいた。70代後半と思うが、顔つきからして、なかなかの人であることがわかる。その人とはまとも話したことはないが、筆者がひとりでサウナ室で座っていると、その人はサウナ室の前にある露天風呂に向かう途中で振り返り、筆者に気づいて片手を上げた。その人からは明るいサウナ室の筆者がよく見えたのだ。だが、露天風呂はかなり暗いので、その人の顔はよくわからない。体格で何となくその人かと思うだけだ。それから10数分して筆者がサウナ室を出て洗い場の扉を開けた時、その人は露天風呂から上がってサウナ室の前にあるベンチに向かった。そしてまたその人は筆者の姿を見ながら片手を上げた。湯船の中で一緒になれば話しかけて名前を訊ねようと思ったが、サウナから上がった筆者は必ず体を洗う。それに要する時間は15分ほどだが、その間にその人は着替え室に去ってしまった。一度世間話をして親しくなりたいと思っている。筆者が風風の湯で話をするのは同じ年齢で、先のMさんとは違う毎日利用しているMさん以外は、みな70代から80代で、昔話に花が咲くことが多いが、それはそれでまた楽しいものだ。今日はサウナ室で毎日利用していない方のMさんと10分ほど話したが、82歳でも考えはかなり若く、また大阪人らしく筆者とは大いに考えが合い、お互い世相をぶった斬ってとりとめのないことを話している。
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 筆者が行くのは午後6時から半の間で、最近は1時間50分入る。それはかなり長めで、ほとんどの常連は1時間少々だ。今日は背の高い西洋人が数人入って来て、1分ほどで全員出て行った。シャワーを30秒ほど浴びただけだ。みな風呂には浸からなかった。もったいないが、そういう週間がないのだろう。あるいは全員駅前のホテルに宿泊していて、それで入って来たので、外湯としての風風の湯の利用は内部を見ることだけが目的であったかもしれない。そう言えば、先週は毎日利用している、つまり筆者と同じ年齢のMさんも5分ほどの利用であった。筆者はサウナに入っていて、Mさんが着替え部屋に入って来たことを窓越しに見た。それから5分もするとサウナにやって来るはずだが、裸のMさんはまた着替え室に戻り、そこで服を着始めた。体も洗わず、大きな湯船に一度浸かっただけだろう。Mさんはたいていは小1時間の利用だが、5分程度というのは珍しい。それなら自転車に乗ってわざわざやって来るのが面倒だと思うが、短くてもとにかく大きな湯船にごく短時間でも入りたいのだろう。それはそうと、以前に何度も書いたように、風風の湯の一番大きな湯船に面して露天風呂が向こうに見えるという大きなガラスの隔てがあって、そこに筆者は毎回必ず大きな円をひとつ描く。だが、外が寒くてそのガラスの内側に湯気の露が充分付着する季節でなければならず、それが秋から春までの半年ある。秋は10月下旬頃にならなければそのような状態にならない。大きな湯船に誰かが浸かっていると筆者も気が引けるが、午後7時頃はホテルの宿泊客は食事時で、露天風呂やサウナ、それに大きな湯船やそれがある洗い場の人影が急に少なくなり、わずか2,3人になることが珍しくないから、誰にも見られずに存分に大きな円を描くことが出来る。その円を描いた後、筆者は必ず向こうの露天風呂の側に行き、その円を裏側から見る。そしていつも思うことは、かなりその円がひしゃげていることだ。これが不思議だ。描いた直後はかなり正円に近い出来と思うが、裏に回れば見事に斜めに歪んでいる。そして、自分で自分を説教するような気分になり、普段の自分の行ないがその円のように、ごくまともで正しいと思っていても、裏から見ると辟易する状態であるのだろうと考える。つまり、自分の行為を美しいと自惚れるなということだ。それを筆者は風風の湯に行くたびにいわばかみ締めている。最高の出来栄えと思っても、それを別の角度から見ると必ずどこか変なのだ。人間とはそういうものだ。その一方、筆者はいつか裏から見ても鑑賞に堪えるきれいな円を描きたいと思っている。それは可能だろう。描く時の体のゆがみに気づき、また裏から見て歪になっている箇所を充分確認して次回はそこを手加減して描く。その試行錯誤の果てに、表から見ても裏から見てもおかしくない円がおそらく誰でも描けるようになる。だが、そのここと人間性がよくなることとは別だ。円を描くのはもちろん禅僧が描く円相を意識してのことだが、筆者は風呂の湯気で曇ったガラス窓に大きな円を描くことで悟りを得ようとしているとも言えるし、また少しはそれに近づいたかもしれないと最近は思う。自分の行為を過信することは醜いが、さりとて自信がなければ無価値に近いものしか生まれない。その均衡を保ちながら、年齢相応の自信をつけるのがよく、筆者はもうそのような年齢になっていることを最近はよく思う。今日はTVで清水寺の貫主が今年を代表する一字を揮毫したが、その準備の様子を見ながら家内とどういう漢字かを予想し合った。筆者は「排」がいいと思いつつ、そういうネガティヴな印象の文字は嫌だなと家内に話し。予想とは全然違う「北」であったが、これも何となく否定的な印象があって面白くない。それはともかく、今日は風風の湯の大ガラスにまず円を描き、裏に回って出来栄えのまずさを確認した後、しばらくして「円」の左の空いたスペースに「北」を書いてやろうという気になった。それに気づく筆者の顔見知りがいれば、また話に花が咲くと思ったのだが、それを書いて以降に顔見知りはふたりやって来たものの、どちらも「円」にも「北」にも気づかなかった。そして、20分もすればどちらもまた露によって消えてしまうが、二度は書かないことにしている。時々小学1,2生ほどの子どもが父親と一緒に入って来ると、必ず筆者が書いた大きな丸に気づき、父親にそのことを言うが、決まってその父は無関心だ。筆者は子ども並ということか。これも前に書いたと思うが、もし寒い季節の夜に風風の湯に行くことがあれば、その大ガラスを見てほしい。その中央に大きな円がひとつ描かれていれば、筆者がそこにいるか、あるいはいたことがわかる。とはいえ、そんな痕跡は2,30分でほとんど見えなくなる。人間のやることは命がごく短い。それだからこそ、円を描いて肯定したい。
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by uuuzen | 2017-12-12 23:59 | ●新・嵐山だより


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