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●捨石の力士
んませんと謝ってもヴァッシングは止まない。ネット時代になってそういう非寛容さがさらに大手を振るうようになった。人間は進歩し続けるとは限らず、いつでもどこでも獣以下の野蛮になり下がる。



罪を犯した女に人々が石を投げようとした時、キリストはこれまで罪を犯したことのない者が石を投げよと言った。するとそんな者はひとりとしていないので、女は石を投げられなかった。今ならみんなが寄ってたかって石を投げ、罪を犯したものは1分と経たずに撲殺される。キリストがいた時代より野蛮になった。1か月ほど前、たまたま手元にあった上田秋成の本を読んだ。昔読んでほとんど忘れている短編小説の『捨石丸』だ。読み始めるとすぐに思い出した。ぐいぐいと最後まで読ませる。前に書いたが、現代語訳では駄目だ。時間が3倍ほどかかるが、江戸時代の文章そのままで読む。この物語は昔映画になったのではないか。それほどに感動的で、そのために現実離れした話のように思える。だが、江戸時代のことだ。今は信じられないことがあったとしても不思議ではない。また部分的には史実に基づいている。この物語が感動的なのは、罪を犯した者が立派な業績を残して死ぬことで、またその者を討とうとしている者も考えを変えてその男の仕事に協力することだ。つまり、人間の寛容性を描いている。人間は許すという行為が大切ということだ。罪を犯した者は捨石丸という力士のような怪力の持ち主だ。遺伝子のせいで、体格と体力が抜群に恵まれる者がたまに生まれる。そういう者は特別の存在とみなされ、口減らしの意味からも、力士となって生きる道があった。士農工商からは外れた存在で、白拍子や傀儡と同類だ。捨石丸は今でいう東北の大金持ちからかわいがられる。力士のたにまちと言ったところだ。捨石丸は主と毎日酒を飲んで楽しく暮らしていたが、その酒が原因で血を見る事故が起こる。それは捨石丸のせいではないが、周囲の者から誤解される。それで捨石丸は江戸に逃げ、そこで殿様のお抱えとなるが、故郷から追手が来ることにびくびくしている。そこで国に帰る殿様の籠に乗って豊前に向かう。そのことで道中で追手から免れる。そこまでは物語の半ばほどか。ここでは書かないが、捨石丸が死んだ後は捨石神社が出来るほどで、それほどに人々のために偉業を成した。そうそう、この物語で面白いのは、捨石丸が逃げた後、その国のお守が捨石丸を抱えていた東方随一の金持ちの資産を狙う話がさりげなく書かれることだ。江戸時代ではそういう小説は発禁になったはずだが、この小説は秋成の生前には発表されなかったと思う。秋成が役人を風刺するのは、いかにも大坂人だ。筆者はそういう秋成が大好きだ。
 捨石というのは、その言葉どおり、役に立たないものだ。だが、この小説ではそのようにはっきりとは書かれていなかったと思う。注釈には、庭の片隅に置かれている石とあった。それはそれで役割があるという意味だ。そういう存在として力士のような大男を描くところに、当時の力士の社会的な位置が見える。ひるがえって今ではTVが大相撲を生中継し、力士を抱える親方は、土俵の中に金が転がっていると力士に言って練習に励ませる。下品な話だ。そのどこに品格があるのか。今の若者にはとっくに消え去ったものを外国人の横綱に求め、しかも必ず不十分だと責める。力士は日本人に限ると決まりを作れば、へなへなな男ばかりとなって、目も当てられないだろう。捨石丸のような体格に恵まれれば、今は心身ともに苦労と強いられる相撲界に入るより、もっと手っ取り早く有名になるスポーツの道がある。もう大相撲は神社に奉納する時に出番があるような存在にすればいい。神社に力士が奉納のために訪れる姿をTVで見ると、それはなかなか清潔でいかにも依代という感じがしていい。またそれだからこそ、力士を贔屓するたにまちが存在するが、TVで放映され、また場所数が増え、そのうえ地方巡業もあって、金が入る機会が増えた。その代わりに身体を故障する割合も増した。筆者は大相撲にはほとんど関心はないが、家内の兄が学生時代に日本一になり、相撲部屋から誘われたことがあって、多少は相撲に縁がある。そのためでもないが、TVの大相撲中継は割合見る方だ。だが、贔屓の力士はない。もう10年ほど前だが、学生相撲をやっていた家内の兄が大相撲の力士を男芸者と言ったことがある。捨石丸が金持ちや殿様のお抱えとなってかわいがられたこともそれと同じだ。力士の収入はいわば祝儀だが、何でもごっつぁんですと懐に入れるところを、義兄は男芸者みたいだと評したのだろう。だが、それは悪意あっての言葉ではない。女の芸者が立派な職業であるのと同じで、世の中から必要とされているから存在する。だが、大相撲を依代と見れば、異国の力士は違和感がある。筆者は大相撲が国技を謳うのであれば、外国人力士は一切認めない方がいいと思っている。だが、そんな決まりを作ると、混血はどうかという問題が起こる。それに、純粋な日本人という考えが曖昧になって来ている。国籍が日本であれば純粋な日本人か。ネットでは悪質な事件が起こると必ず在日朝鮮人だと書く馬鹿がいるが、そういう人間として救いようのない馬鹿が日本人の何割かはいる。一方、何事にも真面目で、敬愛ということもしっかり認識している在日外国人も多い。そういう者が大相撲の世界に入って親方にしつけられ、力士になることは全く問題がないと思う。だが、外国人であるからには、日本人力士の数倍は努力しなければ認めてもらえない。また、横綱になっても何かことがあれば、罵倒の限りを尽くされる。そのことを今回の日馬富士や白鵬は今までになく実感したであろう。40回の優勝をした横綱でも、今では逮捕されてしかるべきという意見がネットに溢れ、それをそのまま自分の意見として垂れ流すタレントが雨後のたけのこのようにTVで増えた。そういう連中は自分の人気が下がることを何よりも恐れているので、世間の目をうかがってそれに反旗を翻さない。
 日本はかつて蒙古の襲来を撃退した。今の大相撲はモンゴル力士の存在があまりに目立つ。知らない間に蒙古に征服されたようなものだ。少年をモンゴルから連れて来てしつけるのであるから、それは違うだろうという意見があるが、大相撲の世界では外国人は親方になれない。帰化すれば問題ないというのは、いちおうは理解出来るが、帰化したところで、何かことがあれば、やっぱり外国人だと掌を返される。出稼ぎに来ているのであるからそれくらいの差別は仕方がないという意見があるだろうが、その人は自分が差別主義者であることを知らないほど暢気だ。馬鹿と言い換えてもよい。それで、大相撲の世界に外国から引っ張って来るなと筆者は言いたいが、そのことを先日の日馬富士の記者会見を見てさらに思った。彼は日本を愛していると言った。それは本当だろう。白い目で見る人がいることを知っていても、あえてそう言う。少年であった自分を育ててくれた親方や相撲界、ファンへの感謝からだ。やせ細った10代半ばの少年が20年経たずして9回も優勝する横綱になった。日馬富士が絵を描き、その売り上げを寄付していることは以前から知っていたが、その絵を今回の事件で初めてTVで何度か見た。富士山の麓に馬が描かれた絵があって、それは自分のしこ名に因んだのだろう。鮮やかな色使いが多少安っぽい感じがあるが、それはモンゴル育ちであるからだろう。その空や光は日本のように濁っていない。どの絵も素人とは言えないほどの腕前で、また絵から伝わるものに純粋さがある。そういう絵を描く力士は稀有だ。それに彼は悲しいときやさびしい時の方が描けるそうだ。そこに人知れない孤独とそれを絵で解消する姿が見え、筆者は胸が熱くなる。退職金がたくさんもらえるとか、国に帰っても食うには困らないなどと書いた記事をブログで読んだが、何とも下衆な連中だ。そういう輩が跋扈する日本に住まずに、さっさとモンゴルに帰った方がいい。だが、そういう人間もいることを知ったうえで、日本を愛していると言った。そして大宰府天満宮を後にする際、手を合わせて拝んでいたが、そういう敬虔な日本の若者が今はどれだけいるだろう。日本人以上に日本人らしい彼に、今は石を投げつける者が溢れ返っている。非寛容な国の日本であるからこそ、上田秋成は『捨石丸』を書いたのだろう。
 警察が調べれば事件の本当のことがわかると思っている人が多い。暢気な話だ。事件現場を撮影した映像があっても真相が全部明らかになるとは限らない。事件が起こるまでのそれぞれの人間関係がある。加害者と被害者という言葉を、今回の事件で1日に50回以上は聞く。加害者は日馬富士で、被害者は貴ノ岩だ。それは貴ノ岩が殴打されたという点のみを捉えてのことだ。その殴打の傷跡の写真がどういう経緯で公表されたのか知らないが、それより前に医師の診断書が出ていて、10日ほどの傷という。その後悪化した可能性は考えられるが、本人の姿が見えないでは、実際はわからない。そのため、ひとまずは最初の医師の判断を信じるしかない。10日の傷なら力士であればたいしたことはない。貴ノ岩の顔には額と頬にかなり茶色の傷跡らしきものがある。稽古で負ったものか。親方に殴られたか。相撲とはそういうものだ。殴打された貴ノ岩は日馬富士と握手したということだが、傷が親方にわかって警察に届けられた。それは親方としては当然かもしれないが、ほかの方法もあった。それを協会のもみ消しや、さては八百長をして日馬富士や白鵬が横綱になったので、これまでの経歴を剥奪すべきだという反吐が出る意見がネットに氾濫しているが、日本はどうしてここまで下衆ばかりになったのか。誰よりも練習して横綱になったのだ。そんな努力のかけら出来ない奴が品格も何もない文章をネットに投稿する。石を投げてやれとの感覚だ。日馬富士と伊勢ヶ濱親方が三度も貴乃花親方に謝りに行き、三度目は何度もTVでその映像が紹介されているが、貴乃花親方は素知らぬ顔で車に乗って出かけてしまう。警察に伝えたこととは別にして、顔見知りの人間は出会えば挨拶はするものだ。筆者はそう教えられたが、貴乃花親方は親からそんな常識も教えられなかった。そんな男にどんな品格があるのか。無礼な奴だ。江戸時代なら斬られていた。常識を知らない親方に育てられた貴ノ岩が横綱から殴打されるのは、当然の成り行きだ。だが、世間は貴乃花親方と同じく、外国人の横綱が気に食わず、あらん限りの石を投げて追い払おうとする。おまけにTVでは白鵬が黒幕だと、頭の悪いコメンテーターが世間の尻馬に乗ってはしゃぐ。それで金がもらえるのであるから、やましくないのか。貴乃花親方は日馬富士の引退は知らなかった、あるいは辞める必要はなかったなどと白々しく言うが、辞めてからなら何とでも言える。それに引退を知らなかったというのは、大相撲がTVのために人気が出ていることを自覚しない寝言で、この一言でも親方の資質がない。和と敬を最も重視するのが日本であるはずだ。それを日馬富士は礼儀や礼節と表現しているが、貴乃花親方は目上を敬わない。TVでの不遜な態度を見ていると、唾を吐いてやりたくなる。自分だけが偉いのか、自分だけが正しいのか。そう思っている奴ほど本当は悪党で、また馬鹿だ。
 今の日本の首相は語彙があまりに貧困で、1分に一度は「まさに」と発言するが、常に嘘ばかり言っているので、言葉だけは「まさに」を使いたいのだ。筆者はこのブログで「まさに」は絶対に使いたくない。それに「正しい」とか「正義」もだ。そういう言葉を貴乃花親方は大好きなようだが、自分で言ってはおしまい。協会の理事の要請を何度も断るのも非常識だ。筆者が理事長なら賛否を取って理事を辞めさせる。団体とはそういうものだ。和を乱す者がいては、団体は機能しない。それを自分が正義とばかりに主張するのは、日本人のすることではない。貴乃花親方は「正しい裁き」という言葉を使ったが、警察は常に正しいか。そして、殴ったことだけが悪か。被害者は日馬富士もだ。モンゴル力士が気に食わないのであれば、なぜ貴ノ岩を育てたのか。親のない子であるからと美談で語られるが、自分のつごうのいいように信念はどうにでも変えられるらしい。協会のやり方が気に食わないのであれば、さっさと辞めればよい。筆者はそうして生きて来た。団体を改革するには賛同者が欠かせない。これは人間的魅力だ。それが貴乃花親方にない。また、自分の部屋からひとりでも大関や横綱を輩出してから大きな顔をすればよい。和も敬も知らず、態度だけでかい世間知らずによって、日馬富士は捨石になった。だが、もともと力士はそういうものだ。興行であるからには世間を楽しませることが目的だ。その点でも貴乃花親方は失格だ。「相撲」という言葉の由来は知らないが、この言葉を書く時に筆者はいつも感じることがある。「相」は相手で、「撲」はなぐるだ。その言葉どおりに日馬富士は行動したと言えば笑い話だが、相撲は相手あってのことだ。その相手を打ち負かせる一方、その打ち負かされる相手があってこそ自分が引き立つことを自覚する格闘だ。そこには和と敬の思いが宿らねばならない。貴乃花親方はひとり相撲を取っていて、他の親方との和、また敬うことを知らない。兄とも親とも縁を切っているところからも人間的欠陥がわかる。貴ノ岩はプレハブ小屋に閉じ込められたまま年明けの場所でも出られないらしい。座敷牢に閉じ込めて人権蹂躙と思われかねない行為だ。『ああ、なるほど、モンゴル力士が気に入らないことに貴ノ岩を最大限に利用しようとしたのか。そして貴ノ岩をポイと捨てる気か』。そんなことを言われても仕方がない。上西元議員がその親方のことを、「女々しい」とツイートした。女からそう言われるほどの捨石ということだ。それに、秋成の『捨石丸』の主人公ほどの偉業もしておらず、死んだ後に神社で祀られることもない。それどころか、宮沢りえの祟りが今後も続くのではないか。
by uuuzen | 2017-12-01 23:59 | ●新・嵐山だより
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