ショーは見世物で、音だけならそうは呼ばないかもしれないが、ともかく本作はザッパが恒例としていたハロウィーン・ショーの頂点を飾るものだ。
そのニューヨークでの6つのショーが全部収められているのは、ここしばらく連日聴いていると、さて今日はどのステージにしようかと選択肢が多いのがなかなかよい。どのステージもわずかな差だが、それを確認する楽しみもある。これがいつものように2枚か3枚のCDに代表的なステージが収録されていると、すぐに聴きどころがわかってしまい、楽しさが持続しにくい。その点、今回は贅沢かつ豪華で、1万数千円出した甲斐がある。アマゾンを見ると、品切れになっていたのが10いくつのセットが入荷していて、世界的に売れ行きが悪いのかもしれない。まだ日本のアマゾンでは購入者の批評も出ていない。まずは評判を見てからと躊躇している人が多いのかもしれない。そう考えると、筆者がこうして書いていることは多少の責任があると自覚すべきか。それはともかく、人は出した金額に応じて品定めする習性がだいたいはあるもので、新譜に1万数千円出すと、その元を取ろうという気になるし、それなりにありがたがる。転売するとその思いが消え去ると言ってよく、筆者は4499番を獲得したことを一生覚えておくためにも売りには出さない。さて、ライナー・ノーツは全部で30数ページで、その画像を全部載せるのはまだ何日か書き続ける必要がある。画像を全部載せてもザッパ・ファミリーから咎められることはないと思うが、商品を買う人が減るかもしれず、数人が書いている文章が載っているページは公開しないことにする。そのため、今日が本作についての投稿の最後になる。先ほど各人の解説をざっと読んだが、3枚組CDに載っているのはエイドリアン・ブリューのもので、これが一番の長文だ。興味深いこととはさほどないが、会場となったパラディアムについて書いている。3800だったか、4000に足りない収容可能なとても古い会場で、本作の翌年にリニューアルされた。天井が高く、また内部はぼろぼろで、それがまたよかったそうだが、その天井の高さは本作の響きからはっきりと伝わる。悪く言えばガランとした寒々しさだが、外は凍えるほど寒くても内部は汗が出るほどであったという。それでザッパも上半身裸で演奏したのだろう。このボロボロの会場は翌年にはそうではなくなったので、ザッパは記念すべき年度に演奏したことになる。最初は4日間で4回の演奏であったのが、チケットがすぐに完売し、それで1,2日目は2回公演したが、エイドリアンによれば通しのリハーサルもしたので、2,3時間のステージを1日に3回もこなした日があった。これは彼が書くように、完全に普通ではないミュージシャンの態度で、また会場にはそれを歓迎するファンが詰めかけた。その普通ではない態度とは、仕事を徹底することで、その果てにザッパは自由があると思っていた。自由と聞くと、日本ではぐうたらなイメージが思い浮かべられるかもしれないが、ザッパの場合、人の何倍も仕事をすることで、すればするほどそれが自由と考えていた。これが理解出来ない人はザッパの音楽を理解したことにはならないだろう。そして、何度も書くようにそういう人はいつの時代も少ない。だが、年月を経るほどにそういう人の仕事は自ずとしかるべき評価を受ける。あたりまえではないか。そのことをザッパはよく知っていた。そのため、40年前の演奏がこうしてまとめて発売されることは、回顧趣味では全くなく、音楽を聴いている目の前にザッパやメンバーの姿が浮かび上がり、少しも作品が古びていないことを感じる。そして、すでにこの世にいないザッパがもう同じ形では存在しない会場で演奏していることに、人生の不思議を感じる。
さて、エイドリアンは最後に、最後のショーが終わった後、黒のリムジンに載せられて会場を後にしたことを書いている。狂気のファンに車は囲まれ、車は傷だらけになったそうだが、運転手がどうにかその場を切り抜けた。このリムジンで会場を後にする様子は映画『BABY SNAKES』では最後に出て来る。ただし、その時の撮影がエイドリアンが同乗した時かどうかはわからない。映画用の撮影は全ステージではなく、最後の4つだったと思うが、最後のステージから選んだ場面が最も多いだろう。リムジンの運転手らしき年配の男性のポラロイド写真が載っているが、これらの未発表の写真はロード・マネージャーのフィル・カウフマンが保存していたものという。彼も少し今回は書いているが、エイドリアンも書くように、トロンボーンの音色を口まねしてステージで演奏した。「キング・コング」の中間ソロで、その様子は3枚組CDにボーナス・トラックとしても入っていて、ザッパはかなり気に入っていた。そのため、映画『BABY SANKES』でもその口まね演奏は収録された。ゲスト出演を言えば、ロイ・エストラーダもそうだが、ザッパのロイの即興による奇妙な歌声を好み、それがハロウィーン・コンサートでは色を添えると判断したのだろう。ダッチ・ワイフを舞台に登場させ、それをもてあそぶなど、成人映画すれすれの場面が撮影されたが、77年のハロウィーン・コンサートのみの羽目を外した遊びであった。また、その後のロイについてはザッパ・ファミリーはあまり発言していないが、未成年との性行為で数十年収監の刑を受け、目下どこかの刑務所に入っている。笑えない不祥事で、ザッパが生きているとどう思ったであろう。日本公演ではなかなかベースの演奏も巧みであると思ったが、本作では若手のパトリック・オハーンが交代している。彼は無口な感じで、今回の解説も書いていないが、そう言えばインタヴューでザッパのことを語ったことがあるのだろうか。それはいいとして、今回の解説で一番ザッパに親愛の情を示しているのはトーマス・ノーデッグだ。彼はギターを弾くが、ザッパのオーディションには受からず、代わって同じオーストリア人のピーター・ウルフがキーボード奏者として参加した。その代わりと言っていいのかどうか、彼はザッパのステージを撮影してよいとの許可を得て、ハンディ・カメラでとにかく片っ端から撮影しまくった。ステージだけではなく、リハーサルや楽屋での様子も撮影したが、ステージは彼が書くところによれば100に上るという。これらの映像は今はアレックス・ウィンターがデジタル化し、またそれ以前に今回解説者のひとりとなっているジョー・トラヴァースがめぼしいものをゲイルが生きている間にデジタル化したようだ。100ものステージの内外の映像があることは、今度ザッパのDVDがいくつ発売されるのか、想像を絶するほどの素材があることになる。話を戻すと、トーマスはザッパ家の運転手となって、ゲイルやザッパ、あるいは子どもたちの送迎などをしたそうだ。そういう経験があるので、ザッパに対する思い出は深く、ザッパの下で働いた数年間は人生の最も輝かしい時期と書いている。楽器や機材に詳しいノーデッグがいたことは、ザッパにとって、またザッパ・ファンにとっても幸運であったと言わねばならない。彼の仕事の重要性が認識されるのはこれからであろう。車で思い出したが、エイドリアンは車を持たずにロサンゼルスに転居したそうだ。借りたアパートは有名なHOLLYWOODの文字の看板の麓にあったらしい。どのようにしてザッパ家での練習に通ったのかわからないが、毎週金曜日はザッパの車に乗り、また家に滞在したらしい。さて、6つのステージの個々の感想をほとんど書いていないが、いちおう全部聴いた後は、ランダムに選んでいて、まだ各ステージの特徴をしっかり把握するに至っていない。レパートリーは80曲あったらしいが、その全部は演奏されていない。同じ曲が別のステージでほとんど同じに演奏されるかと言えば、声色が違ったり、また短いギター・ソロやそのほかの楽器の音色も違ったりする。そうそう、ピーター・ウルフのキーボードは初日は左チャンネルがほぼ故障していたらしい。それで最新の技術によってその音を大きくしたようだが、ザッパがしたように、新たな音は全く加えていない。ハロウィーン・コンサートは72年から始まり、今回の77年が頂点で、それを思えば6つのステージの一挙発売は大きな意味があってのこととなる。となると、今後のハロウィーン・ステージの発売はもうあまり期待出来ないことになるか。